chapter2-2

 ふとプロシュートは気が付いた。ワイングラスを傾けた指先をぴたりと止める。その視線の先が自身に向けられていることに気が付いてナマエが眉をひそめた。持ち上げたフォークを下ろす。

「なによ」
「香水、変えたのか?」

 一拍の間を置いたのち、ナマエの顔色が変わった。自身の襟元や手首を鼻に寄せ、ひっきりなしににおいを嗅ぐ。
 プロシュートの鼻は確かに爽やかなシトラスの香りを嗅ぎ取っているが、どうやら匂いに慣れてしまっているらしいナマエはそれに気付けていないようだ。長く色素の薄い髪が揺れるたびにシトラスの香りが振りまかれる。

「まだ臭うの? ほんっと最悪……」
「なんだァ、オメーの趣味が変わったのかと思ったぜ」
「まさか! 仕事先でね、“ついうっかり”香水をぶっかけれちゃったのよ。これでもすぐにシャワーを浴びたし、服も着替えたのに……」

 本当あのババアありえない。盛大に顔をしかめてぶつぶつと相手を罵るナマエの手首をテーブル越しにプロシュートは掴んだ。ぐいと乱暴に引き寄せて、自身の鼻を近付ける。
 原液でも浴びたのかと思うほどに皮膚からも服からも香る爽やかな香り。まるで真夏の青空のようだ。完璧な顔とプロポーションを持つナマエのイメージにはまったく似合わない。
 紫色のスーツが彼女を官能的に仕立て上げようとも香水がそれをぶち壊しにしている。エロティックで存在感のあるいつもの香水の方がよく似合うとプロシュートは思いながら上目遣いにナマエを見た。「やっぱり臭う?」彼女の顔は不快げだ。

「臭えな、鼻がひん曲がる悪臭だ。せっかくのワインがまずくなるぜ。――風呂貸してやるからうちにこい。しっかり消臭剤もぶっかけてやる」
「あら素敵。女の臭いが嫌いなあんたらしいわね。抱いた女の残り香もすっきりさっぱり消臭するテクならこの臭いも消せるかしら?」
「さっさと出るぞ。飲むならそれからだ」

 飲みかけのワインを一気に飲み干して、プロシュートは立ち上がった。

 プロシュートが所属する暗殺チームにはアジトがある。だが彼はそこを住み処としていない。
 ずぼらなチームメイトの何人かは住み着いてるらしいのだが、彼は共同生活を好まない。野郎だらけの家などすぐに散らかるし、掃除しても汚れるまでのカウントダウンはそう長くもない。さらにはプライベートまでチームメイトに侵されるなど考えたくもない。ルームシェアで発生するルールを守るなど煩わしいし、女一人連れ込めないからだ。
 だが間違っても彼が女を自身の部屋に連れ込んだことはなかった。外で女を抱くのは構わない。しかし自身のプライベートを侵されるのは我慢がならなかった。

 精神を洗浄するためにもプライベートを確保するためにもプロシュートは自身だけの家を持った。高くも安くもない、アパルタメントの一室。こだわった部分と言えば陽当たりと間取りと周囲の環境くらいだ。プライベートルームまで汚いのは耐えられない。
 ナマエがプロシュートの部屋に入るのはこれが初めてではない。だからといって積極的に訪れることもなかった。もっぱら今回のようにプロシュートに誘われてお邪魔する。誘われることも滅多にないのだが。逆もまたしかり、である。

 シャワールームから聞こえる水音を耳にしながらプロシュートは自身のシャツとボトムスを投げ出されているナマエのスーツと置き換える。彼女の着替えなど一切置いていないため、プロシュートのものを貸すしかないのだ。
 紫色のスーツを持った瞬間プロシュートは匂ったそれに眉をしかめた。これはクリーニングに出さなければ落ちないだろう。しかし一回風呂に入っても臭いが皮膚にこびりつくなど一体ナマエはなにをしたのか。
 だが疑問に思っても思うだけでプロシュートは決して口にはしない。例えば先日横取りを狙った麻薬を彷彿とさせるような匂いであっても、心の中で思うだけだ。

 血が繋がっていようとも所詮は他人、互いのプライベートは不可侵が当たり前だ。しかしまさかプロシュートがイタリアンギャングパッショーネの構成員、しかも暗殺チーム所属だとナマエは思ってもいないだろうが。
 プロシュートは紫色のスーツをランドリーボックスに投げ込んだ。どれだけ高級なスーツだろうと彼のものではないのだから大事に扱う必要はない。