ジャラジャラと牌を混ぜる音や、パチパチと牌同士がぶつかり合う音から、四方山話に花を咲かせていたと思えば悲喜交々からの阿鼻叫喚や呵呵大笑が待っていたり、苦虫を噛み潰したような顔と満面の笑みとの間で点棒の受け渡しが行われたりと忙しない。
 ロンだかチーだかツモだか、他には熟語のような単語が飛び交うが、それらの意味を齋藤は知らない。そもそも牌の絵柄や点棒の意味どころか麻雀のルールすら知らない彼女にとって、未知の世界である。こうして参加はせずとも同席していてもそれは変わらない。興味を向けることがないから覚えないだけなのだが。門前の小僧習わぬ経をなんとやらではないのだ。
 彼女だって子供の頃に友人の家でポンジャンを経験済みだし、パソコンゲームで麻雀ソリティアや二角取りくらいなら遊んだことがある。それを冬島に言った時は大爆笑されてしまったが。それは麻雀と呼ばないと諏訪にばっさり切り捨てられたのも記憶に新しい。
 齋藤が今いるのは諏訪隊の作戦室だ。そして諏訪隊の作戦室は雀荘である。ボーダー内では有名な話だ。麻雀卓を普通にテーブル代わりに使用しているくらいであるから、雀荘が作戦室なのではないかと疑われることもある。
 雀荘を訪れる者は所属問わずそれなりにいるが真夜中となれば大体メンバーは固定される。今夜はいつものメンバーと言うべき四人、諏訪と太刀川、それに東と冬島だった。決して夜間待機組ではない。齋藤は当然イレギュラーである。
 小佐野も麻雀に参加したがっていたが、明日大事な小テストがあるため勉強をしなければならないと堤に説得されて泣く泣く諦めていた。そもそも高校生に徹夜麻雀はまだ早いと諏訪に窘められていた。昼間ならいいらしい。
 悲喜交交に騒ぐ男達をよそに齋藤は文庫本のページをめくる。作戦室の本棚から適当に手を取ったそれは海外SFだった。諏訪隊の誰の趣味かは分からない。
 眠れないが仕事をする気にもなれず暇だからと齋藤は真夜中にダラダラと麻雀をする男達と同席することを選んだ。ここならば話し相手も暇潰しの小説も揃っている。定位置は本棚のすぐ横の二人がけのソファーだ。今日の隣人は東であるが隣に誰が座ろうと気にしたことはない。酔っ払った男共に抱きつかれようが、慣れてしまえば子供がじゃれついてきた程度の認識になる。恥じるには経験を積みすぎた。
 時刻はすでに日付を越えている。素面の齋藤の鼻はすでに煙草とアルコールの臭さに慣れきってしまっていた。冷房の肌寒さから身を守るために羽織っている作業着にもしっかりと煙草の臭いが染み付いていることだろう。

「伊織、ビール取ってきてくれ。ハイネケンな」

 齋藤が文庫本の半分を読み終えようとした頃、向かいのソファーに座る冬島が空になった缶ビール片手に彼女に声をかけた。雀卓を見るも戦局は分からないが諏訪と太刀川が牌をかき混ぜていることから察するにどうやら一戦終わったらしい。
 なら俺も、と斜め左に座る諏訪が牌を混ぜる手を止めて齋藤に目を向けた。

「俺もおっさんと同じの頼むわ。東さんもいります?」
「そうだな。齋藤、頼んでもいいか?」
「あ、俺もビールで」
「おい未成年、お前はコーラでも飲んどけ」

 どさくさに紛れてアルコールを飲もうとする太刀川を諏訪が嗜める。太刀川は一ヶ月もしないうちに二十歳を迎えると分かっていてもそこの線引きをきちんと行うのが諏訪という男だ。
 そもそも隊員に未成年がいるため、いくら作戦室が雀荘になろうとも彼は律儀にもアルコールを置くことを望ましくないと思っている節がある。代わりに作戦室に設置されている冷蔵庫にはソフトドリンクやゼリーなどが入っていた。
 どれだけ隊長がチンピラめいていて、作戦室で不健全なことをしていようとも、冷蔵庫の中は健全だと知っている者は知っている。なお、つまみは小佐野の菓子類と一緒に備蓄されている。
 一方、冬島はそこまで深く考えていない。彼の作戦室の冷蔵庫には酒が入っている。引き戸の中にもアルコールが収められている。当真は気にしておらず、真木も眉を顰めはするものの我関せずだ。作戦室が大人達のたむろ場にならないだけマシだと思っているようであった。
 ビールは冬島隊の作戦室まで取りに行かなければならないが、コーラは笹森が飲むからと諏訪隊の冷蔵庫にストックされている。齋藤がそう考えている途中、コーラの甘さを想像したためか、ふと彼女の脳裏に飲物とは違う自動販売機が思い浮かんだ。真夜中だからこそ小腹が空き、そして今の季節が夏だからこそ、背徳感に誘われる。

「アイスを買いたいのでビールを取りに行くついでにラウンジに寄ってきてもいいですか」
「もちろんさ。これで買ってきなさい」

 齋藤が寄り道をするから遅くなると暗に伝えると、東が千円札を差し出した。言わずもがなアイス代兼おつかいの駄賃もといパシり代だ。
 彼はこういうところに気が利く。齋藤は素直に受け取るだけ受け取るが、それがそのまま彼女のラボにて大事に貯められたのち、別の形で戻ってくることも東は承知済みである。彼女が受け取らないという選択肢を取らないのは、無用な押し問答が始まるだけだと知っているからだ。3年以上付き合いがあれば、お互いの性格もそれなりに熟知する。
 アイス? とビールを飲み干した冬島が齋藤の言葉を繰り返す。

「ラウンジでアイスなんて売ってたか?」
「試験的にですけど、この間アイスの自販機が入ったんです。本部設備の要望アンケートで一位だったらしくて」
「なあなあ、伊織さん。俺にもチョコアイス買ってきて。東さんのお小遣いで足りるっしょ」
「言っとくがさっきのお駄賃は齋藤用だからな。太刀川には奢らないぞ」
「ひどい!」

 ずるい俺も食べたい伊織さん奢ってと騒ぐ太刀川に諏訪が喧しいと拳骨を落としたところまでを見届けてから、齋藤は作戦室を出た。ここまで通常運転である。
 冬島隊の作戦室とラウンジでは、冬島隊の隊室の方が圧倒的に近い。ならば、と齋藤はおつかいルートを考える。ラウンジでアイスを買ってから冬島隊の隊室へビールを取りに行くのが最適だ。小瓶とはいえ瓶ビール三本はそれなりに重い。太刀川にアイスを買うかは保留中である。
 齋藤が冬島隊の作戦室に勝手に入ることについて咎める者はいない。それどころか彼女が作戦室の暗証番号を知っているし、当真も真木も彼女が自分達の根城に出入りすることを公認している。それどころか齋藤はこの年下二人によく懐かれている上に、周囲からは冬島隊の四人目の隊員だとからかわれることすらあるほどだ。
 実際に隊に入らないかと誘われたこともあったが、齋藤は丁重に断っていた。戦闘員でもオペレーターでもないただのエンジニアである彼女が冬島隊でできることはない。

「あれ、齋藤さんやん。何しとるんです?」

 齋藤がアイスの自動販売機の前で何を買おうかと吟味していると背後から声をかけられる。振り返れば部屋着姿の水上が彼女を見下ろしていた。メインの照明が落とされた薄暗いラウンジの中で水上の姿は自動販売機の光に照らされぼんやりと浮かび上がる。

「水上くんこんばんは。おつかいついでにアイス買いにね」
「はいこんばんは。奇遇やな、俺もアイス買いに来たんですわ」

 水上は県外スカウト組であり、齋藤とは本部居住仲間である。彼らがボーダーに入った当時、齋藤は細井のボーダー生活のサポーターを担当していた。その縁もあり、生駒隊の面々とはそれなりに交流があった。
 こんな時間まで起きていたのか目が覚めただけなのか水上の表情からは読み取れない。明日は学校があるのではとも齋藤は思うも、心の中に止めて声には出さなかった。

「真夜中に私に会えたラッキーな水上くんにはアイスを奢ってあげよう」
「ホンマですか? 遠慮はしませんよ」
「あはは、お腹を壊さない程度にね」
「いやいや、一個で十分ですって」
 
 齋藤が五百円玉を入れてボタンを押すよう水上を促せば、彼は迷うことなくスティックタイプのチョコミントを選んだ。ガコンと音を立てて落ちてきたそれを彼が取り出し口から取り出すのを見てから、齋藤は再び光るボタンを眺めてコーンタイプのラムレーズンを選ぶ。自身のアイスを取ってからしゃがんだままだった水上が落ちてきたアイスも取り出して齋藤に差し出した。彼女は礼を言って受け取る。

「ラムレーズン好きなんです?」
「今はラムレーズンの気分的な?」
「なんですかそれ」

 齋藤の答えになっていない答えに笑った水上だったが、立ち上がった瞬間、鼻をひくつかせて何とも言えない表情を浮かべた。まじまじと齋藤を見る。

「齋藤さんって煙草吸いましたっけ?」
「あー、やっぱり臭い?」

 十数分前に考えていた、ニコチンの匂いが服に移っているだろうとの予想は見事に的中していたらしい。それまで諏訪隊の作戦室にいたことと、パシりの最中であることを齋藤が簡単に説明すれば、なるほどと水上は呟いた。彼もボーダー内に雀荘があることは知っていた。生駒が一時期「麻雀できたらなんか頭良さそうで格好ええやん?」と言っていたからでもある。
 太刀川のアイスも買ってやろうと齋藤が財布から小銭を出そうとした時、上着のポケットの中で私用のスマホが震えた。スマホを出して確認すると冬島からメッセージを受信しており、内容は緊急出動の呼び出しがかかり作戦室を開けるとのことだった。
 了解と返事を打つ齋藤に水上は呼び出しかと問いかける。優秀なエンジニアかつ本部在住の彼女が二十四時間いつでも呼び出されることは有名な話だ。優秀ではなくただのワーカホリックなだけだと本人は言うが、エンジニアの中でも古株の部類に入るせいもあってか、手先が器用で知識が多く、またそのサイドエフェクトもあり使い勝手がいいらしい。水上は詳しくは知らないが、同い年の一年目エンジニアが言っていたのだから実際にそうなのだろう。

「私じゃなくて麻雀組がね。――あー、門が複数出てる。これだけ離れてたら待機組だけじゃ間に合わないか」

 齋藤は私用スマホと入れ替えるようにボーダー用のスマホを出して、中央オペレーター室から発信される最新の情報を流し見る。出現した近界民の数だけなら夜間待機の正隊員だけで事足りるはずだが、複数の門が出現した上に門同士場所が離れ過ぎていて処理が間に合わないと判断されたのだろう。
 アルコールを入れてだらだらと娯楽に興じていた四人組に齋藤はご愁傷様と心の中で手を合わせる。しかし暇になったと同時に思った。ビールを雀荘の冷蔵庫に入れるまではいい。あの場所で一人寂しくアイスを食べるのは何となく気分が乗らない。海外SF小説が読みかけとはいえ、続きを読む気分でもなかった。
 そんな齋藤の状況を水上は機敏に読み取っていた。ビールを持って行く相手が出動したならきっとおつかいは中断で暇になるだろう、その程度の予想であるが。

「齋藤さん、暇やったらちょっと話しません?」
「いいよ。冬島さん達が戻ってくるまでだけど」
「ビールくらい自分らで取りに行かせたらええんちゃいますか」
「残念、お駄賃いただいてるの」

 そんな軽口を叩きつつ、彼らは自動販売機横のベンチに腰を下ろした。どちらともなくアイスの包装を開ける。二人もお喋りに興じてアイスが溶けるのを見守るつもりはない。メインはあくまでアイスである。

「で、何かな? 深夜特有のテンションからの恋バナ?」
「いや、イコさんじゃあるまいし……まあええか。恋バナしましょか」

 齋藤としては関西人特有の鋭いツッコミが来ることを想定しての軽口のつもりだったが、まさか水上が話題に乗ってくるとは思わず目を剥いた。一方水上はアイスに齧り付きにながら胡乱な目を齋藤に向ける。

「話題振ったの齋藤さんですよ」
「水上くんはこう言う話乗らないキャラだと思ってた」
「――アイス奢ってもろたし、深夜テンションなんで」

 齋藤はこっそり水上の様子を窺うも薄暗い中で見る限り彼の横顔はあくまでいつも通りであり、そこに深夜テンションによる高揚感は見つけられなかった。
 そんな視線を受けつつも水上はもう一口アイスを齧る。万人向けのチョコミントの清涼感が口内に広がった。飲み込んでから遠慮なく言葉を続ける。

「先週、大阪にいる彼女に振られまして」
「おっと」
「高一の時から付き合ってて、でも遠距離に耐えられんかったみたいで」

 深夜テンションの恋バナにしては話題が重すぎると齋藤は思ったが、大人しくアイスを食べながら水上の話に耳を傾けることにした。
 同じボーダー暮らしで細井を通じで交流してる程度の異性の先輩に話す内容ではない。しかし話すということは吐き出したかったのだろう。ある程度距離感があってそれなりに信用できる相手として水上は齋藤を選んだのだろう。

「ボーダーのことは理解してもらえとったと思っとったんですが。いつ死ぬかも分かれへん上に、赤の他人のために命をかけられる意味が分からん言われまして。自分との幸せを選んで欲しかったんやろなって」
「……」
「凄く好きやったはずなんですけど、振られた時に一気に冷めて。あれ、俺、アイツのこと好きやなかったっけ、ってなりまして」

 感情などまったく読めない淡々とした口調で水上は飄々と語る。傷付いているのかいないのかすら齋藤には判断できなかった。かける言葉も思い付かない。頭がよく理性で感情をコントロールできる彼に齋藤が気の利いたアドバイスなどできるはずもない。
 水上に限らず、ボーダーに所属したが故に破局したとはたまに聞く。一方では正隊員が恋人というステータスを求める者達もいるというのだからよく分からないものだ。

「あのさ……」
「まあそんなよう分からん感じで悩んでるいたいけな青少年に齋藤さん、何かコメントください」
「待って、今まで真面目な話だったはずなのに最後軽い。ねえ待って、今の話嘘でしたみたいな展開ないよね?」

 それまでの重い話題がじつはドッキリでした、と言われてもおかしくないトーンだった。騙されたのかと慌てて齋藤は水上を見上げたが、彼は前だけを見ながらつまらなそうにアイスを食べている。やはり嘘か本当かは判断できない。
 ならば同じトーンで話すしかない。真実か冗談かはさておいて、齋藤は深く考えずに軽口を叩くことを選んだ。その話が水上の真実だとしても、彼女から言えることは何もない。

「齋藤さんは彼氏おります?」
「残念ながら」
「じゃあ彼氏がおると仮定して、ボーダーと自分どっちが大事かって言われたらどうします?」
「最初の辺りが非常に失礼なんですが。――まあそうだね、うん。相手が大事だからボーダーを選ぶって言うかな」
「その心は」
「私はあなたの幸せを守るために戦うから、あなたは私以外の人と幸せになって、的な」
「自己陶酔は流行らんですよ」
「知ってる」

 あははと笑って齋藤は溶けかけのアイスを舐め上げた。舌が拾い上げたレーズンを奥歯で噛む。嘘か本当かは問題ではない。水上の話に馬鹿正直に付き合う気ことをやめただけだ。やめてしまえばとても楽で、何も考えなくていい。話に付き合って、勝手に満足されて解散すればそれでいい。

「で、齋藤さんは?」

 緊急出動のご褒美に太刀川にアイスを買ってやろうと齋藤が残り一口となったアイスを眺めながら考えていると、不意に名前を呼ばれる。何事かと見上げれば、いつの間にかアイスを食べ終わっていた水上がじっと齋藤を見下ろしていた。話の脈絡を見失って思わず聞き返す。

「え?」
「恋バナ。俺ばかり喋るのは公平やないでしょ」
「……四年前にいたけど、今はいないよ」
「彼氏がいないってのはさっき聞きましたけど」
「うん、そう。四年前からずっとフリー」

 そう告げて齋藤は最後の一口を口に入れた。そっすか、と水上は素っ気ない返事をして黙り込んだ。