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日常


「へし切長谷部です。」

本丸と離れをつなぐ廊下、そこにあるのは離れを隔てている鍵をかけられた扉。その前で名乗れば、しばらくして扉が静かに開いた。

「…どうぞ。」
「失礼致します。」

通された先にあるのは本丸とは異なる様式の廊下や部屋。洋風、と呼ぶそうだ。その中の一室で、俺と審神者は政府への報告書を毎日作成する。…と言っても原案は俺が認め、それを審神者がパソコンを使用して清書した後に政府へ送信していた。

「本日の報告書です。」

いつもの決まり文句。肌触りのよいソファに腰をかけ、手にしていた紙を机に差し出す。それを横によけて、審神者は開封されていないペットボトルと茶菓子を俺の前に出した。これもいつものこと。

「ご苦労様です。清書しますので、しばらくお待ちください。」
「はい。」

会話はこれ以上続かない。部屋の奥に置かれたパソコンからは、審神者の指の動きに合わせてカタカタと一本調子な音が途切れずに立てられる。慣れたこと、あまり時間はかからない。出されたものに手をつけずに待っていると、別の機械の音が鳴り出した。あれはプリンターと言うらしい。パソコンで清書したものを洋紙に刷る機械だとか。

「…確認をお願いします。」

短い一言の後に出された内容は、俺が下書きしたものと寸分違わず。

「よろしいかと。」
「では、政府に送信します。」

パソコンの前に戻った審神者は、今度はマウスと言うものを操作し始めた。カチカチと何度か音がすれば、この仕事も終わりだ。

「こちらは本丸での保管用に。」
「はい。では、本日はこれで失礼致します。」

余計な会話は一切ない。立ち上がった俺の後に続いて審神者もあの扉へ向かう。俺が廊下へ出れば、背面より聞こえるのはカチッと鍵の閉まる音。ひとりでに出てくる息を押し込め、俺が資料庫へ向かうのも…またいつものこと。



俺達を顕現した主はもういない。人間の寿命を全うし、静かに旅立たれた。代わりにこの本丸へ来たのが、今の審神者だ。俺も他の刀達も新しい者に本丸を管理させることに反対した。しかし政府が申し渡してきたのは『新しい審神者を入れなければこの本丸は解体し、ここの刀達は本体に封じる』だった。それならばと俺達が要求したのは、新しい審神者が主の血縁者であること。審神者は主の孫娘に当たるらしい。初めて見た時は随分と綺麗な人だと思ったが、主の面影は探せなかった。新しい審神者を仕方なく受け入れるのだと全員が態度で示せば、彼女は表情を硬くしたがそれを受け入れた。俺達にも、政府にも、文句を言うことなくこの本丸の審神者になることを承知したのだ。本丸に彼女を入れたくなく用意した離れにひっそりと住み、俺以外の刀とはめったに顔を合わせることもない審神者。審神者の心身の安全を保障し、決められた任務をこなせば、彼女から何も言われることはない。逆に俺達の生活の邪魔をしなければ、本丸に入ってこなければ、俺達は彼女に何も言わない。余計なことは言わないし、しない。簡潔に言えば、関わりがないのだ。だから審神者が何を考えているのか、何を思っているのか…どういう人間なのかさえも知らない。知る必要がない、と思っていた。だが…

「…こうも端然と日々を終わらせるのは、彼女にとって有益なことなのか?」

毎日会っていれば、少しずつ判明していくこともある。そうして分かったのは、彼女は優しく慈しみ深いらしいということだった。確信は持てない。なぜなら、そういう面を見せるのはこんのすけに対してだけだったから。『こんちゃん』『こん』と心地よい声音で呼び、優しく背を撫ぜ、やつのすきな油揚げをやり、ふわりと抱きしめ、柔らかく笑う。年頃の娘らしくこんのすけの存在を可愛いと言い、動きを可愛いと愛で、寄り添って過ごしているらしい。宗三ではないがまるで籠の鳥のような暮らしに、彼女は不満はないのだろうか。

「…だが、俺達は…」

俺達の主はあの方だけだ。審神者は主ではない。本丸に彼女が来ることは、俺も他の刀も拒否するだろう。彼女に命を下されることも。主を失い、新しい審神者が本丸へ来たならば、刀剣男士はその者を『主』と呼び命に従うのだ。俺達が望まなくとも、政府に望まれて来た彼女にはその権利がある。そして本来なら、俺達は拒むことはできない。彼女は有能だ。物覚えも早く、頭の回転も早く、数多いる審神者の中でも優秀の部類に入るだろう。優秀な審神者に仕えることは、俺には光栄なはずなのだ。光栄のはずなのだが…

「…難儀だな。」



資料庫の扉を閉めている間にも、また一つ深い息が漏れ出た。


2017/11/07 掲載