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交合


格好つかないな、己の力量を見誤るなんて。顔前で手をひらひらとさせながらぼんやり思う。僕は今日、敵に破壊されかけた。…主がくれたお守りのおかげで何とか免れたけど。重傷も重傷、あと一太刀でも浴びていたらぽっきりといってしまっていただろうね。一緒に出陣した仲間に背負われるように支えられて、なんとか本丸に帰ってくれば。長谷部くんが主に掛け合って、手入れ札を使ってすぐに修復を行ってくれた。僕は太刀だから資源が嵩張るだろうに、主はすんなりと用意してくれたらしい。この僕に。それもまた格好つかないよ。…だって、僕は率先して主を避けていたんだから。前の主がとても優しい人で、料理から掃除、洗濯に裁縫まで、家事を全て教えてくれた。だから僕は前の主を慕っていたんだ。新しい主なんて必要ない。そう思って『いないもの』として行動していたんだ。実はそれは呪に縛られていたからで、呪が晴れた瞬間は愕然とした。僕は一体なにをしていたんだ!?守らなくてはいけない存在に対し、従うべき存在に対し、なんて無礼な態度を取っていたんだ!?情けない。だけど…刀解されてもおかしくないはずだったのに、彼女は何も言わなかった。これまでのように、毎日を離れで静かに過ごしている。新しい仲間が増え、貞ちゃんも来て、主にお礼の一つでも言いたいのに接することができない。

「主は、いい女だよ!優しいし、温かいし、側にいると落ち着く。俺の話もたくさん聞いてくれるし、料理はうまいし。みっちゃんも早く仲直りして、伽羅や鶴さんも一緒にみんなで食べたいぜ!」

貞ちゃんが主のことを口にする度に、僕は胸が痛くなる。貞ちゃんの言う通りなんだ、僕は早く主と隔たりをなくしたい。そう思っていた矢先に、この様だ。本当に格好つかないや。『今日は寝ていろ』と布団に押し込まれているけど、何もしない方が却って嫌な考えにたどり着くものだよね。

「よっ…と…」

傷の影響かな、体がやけに重く感じた。ゆっくりと上半身を起こし頭をガシガシ掻いていると、障子戸の向こうから入ってもいいかと声がかけられる。

「…ああ、長谷部くん。」
「調子はどうだ?」
「おかげ様で、傷一つないよ。ねえ、そろそろ夕飯の支度にとりかかる頃だろう?出来れば僕も作りたいんだけどな。」
「駄目だ。貴様には、今日一日安静にしていろと言ったはずだぞ。」
「そうだけど…」
「…太鼓鐘が心配していた。口には出さないが、大倶利伽羅も鶴丸も心配していたぞ。」
「ふふっ、嬉しいね。」
「もう一度聞くが、調子はどうだ?」
「うん?だから問題ないって…」
「…本当か?」

長谷部くんがじろりと睨んでくる。怖いなあ、大丈夫なのに。確かめるために体のあちこちを動かしてみるけど、何の障りもない。相変わらず重い気はするけど。大丈夫だよ、と長谷部くんに笑いかけても彼の表情は変わらずに鋭いままだ。うーん、困ったな…。

「…体は重く感じるけど、手入れしてもらったからそのうち何ともなくなるだろうね。」
「やはり…」
「どうかした?」
「この本丸でお守りを使った者は、幸いなことに今まで誰もいなかった。だから、気に留めていなかったが…」

渋い顔で長谷部くんが何やら呟いている。え、僕どこか治ってないところでもあるの?困るなあ。

「…燭台切。」
「…なに?」
「今夜、主とまぐわえ。」
「…は…?」

え…長谷部くん…?何を言っているのか分かってる…?

「いいから聞け。お守りを使うと、どんなに手入れをしても全快することはできないそうだ。今の貴様は顕現された時に前の主から頂いた力を使い切ってしまった状態になっていて、体内の調和が狂ってしまっているらしい。」
「…そうなの?…困ったね、それは…」
「全快するには、主から新たに力をもらう必要がある。そのために『まぐわえ』と言ったんだ。」
「でも…」
「…主には既に説明済みだ。『必要ならば致し方ない』とおっしゃって下さった。」
「っ…オーケーした…のかい?」
「ああ。」
「…主、が…?」
「…ああ、そうだ。主が、了承なさった。」

渋い顔つきのまま長谷部くんが立ちあがる。『今夜だからな。大切に、大事にして差し上げろ』と念を押すように言って部屋を出て行ったけど…。頭が混乱したままだ。だって主だよ?それにまぐわうって…そう簡単にするものじゃないと思うんだけど。何で?どうして?答えが見つからないのにあっという間に夜になってしまい、長谷部くんによって離れに続く扉の前に放り出される。

「…早く行け。」
「…長谷部くんさあ、そんなところに座り込んでどういうつもり?」
「主のお覚悟を無駄にしないためだ。」
「…ねえ、本当に…」
「早くしろ。」

そんなに厳しい目をしないでよ。いつまでもいたらそれこそ斬られそうな鋭い視線に、絶望的な気持ちのまま主がいる扉の向こうへ声をかける。これは破壊された方がよかったかもなあ。

「…主。僕…燭台切光忠だよ。」

少しして姿を見せた主に息をのんだ。薄桃色の襦袢に右前結びの伊達締め。緩い巻き髪はおろされたままの、あれらもない姿に思わず顔を横に向けて視線を逸らす。

「…どうぞ。」
「え、あ…うん…失礼するね。」

初めて入る離れは僕達の足音しか聞こえず、心の臓がうるさいぐらいに響く。通された部屋は奥に書棚と机。机の上にはパソコンがあって、たぶんここは執務室だろう。長谷部くんが座り心地が良いと言っていた長椅子は部屋の端に除けられていて、代わりに布団が敷かれていた。

「っ…主っ…」
「…『まぐわう』とは、こういう事でしょう?」

部屋を明かりを落とし、布団の上に座った主が視線を合わさずに言う。

「…嫌じゃないのかい?」
「…」
「君が嫌なら、僕は無理にするつもりは…」
「…仕事を奪わないでください。」
「っ…」
「あなたが完璧に直るために必要なこと、と聞きました。あなたは祖母の大切な刀。祖母が大切にしたものをダメにしたくありません。」
「主…」
「…あなたの主は祖母です。私は引き継ぎの審神者にすぎない…余計な気遣いは無用です。」

…悲しい。そんなことを言わせてしまうのは、以前の僕だって言うのに。隔たりを作ったのは僕達なのに、それを見せつけられると胸がずきりと責めてきた。暗い中、わずかな光を反射させた瞳が僕を捕える。真っ直ぐに向けられるその輝きに惹き寄せられるように僕は主を布団の上に倒した。出来るだけ優しく、出来るだけそっと…。

「僕の主はもう君だよ。…と言っても、説得力がないかもしれないけど。」
「…」
「ねえ、謝らせてくれないかい?僕がしてしまったことは水に流さなくていい。ただ、己を情けなく思っているってことを知ってほしいんだ。…まぐわえば、僕の中に君の力が宿る。名実ともに、僕は君の刀になる。これよりは君のために尽くすと誓うよ。前の主と同様に…君の、主の役に立ってみせるさ。」

こんな体勢で言うべきことじゃないかもしれない。だけど、いま告げないといけないと思ったんだ。若い女の子が何かのためにまぐわうと決めるなんて、仕事だとしてもかなりキツいものがあるはず。それを僕のために了承してくれたと言うのなら、僕も真心をもって返さなくちゃ失礼だ。そうじゃないと、この子を主として仰ぐことができない。覆いかぶさるように主の顔の横に手をつき、視線を逸らされることがないように射抜くつもりで彼女を見ながら伝えれば…。黒い大きな瞳を瞼がゆっくりと隠していく。それを合図に、僕は主を蹂躙した。


2017/11/22 掲載