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忠誠


「…戻ってきたか。」

明け方、扉の向こうから姿を見せた燭台切は居心地悪そうに俺をじろりと睨んだ。

「…調子はどうだ?」
「…頗るいいよ。」
「それは良かった。」
「いいわけないでしょう。…恨むからね、長谷部くん。」

構わない。そう答えた俺に、燭台切は嫌そうに顔を顰める。ガシガシと頭を掻くと、深くため息をついた。

「…朝餉の準備をするからもう行くね。長谷部くんも部屋に戻って、少し寝たら?」

俺の返事を聞かずに本丸に続く長い廊下を歩いていく燭台切の背中を見送った後、主がいらっしゃる離れへ目を向けた。もうすぐ今日が動き始める。男士達が起き、朝餉の場で当番を発表し、日中はそれに沿って動き、夜までに報告を纏めて主のもとへ。いつもと変わらない一日が待っている。…だが、それでいいのだろうか。刀剣男士は審神者によって人の姿を与えられた刀剣の神。だから審神者を主と呼び、主命に従って時間遡行軍や検非違使を討伐していく。…のが、本来の姿だ。だが、この本丸では俺が部隊編成や出陣場所、内番など全てを取り仕切っているのが現状。俺としては主にお任せし、主をお助けすることを望む。主が男士を束ねてこそ、本来の本丸と言うものだ。

「…主。不甲斐ない俺を許してください。」

燭台切に負けないくらいのため息が己の口から漏れ出る。それに気付かないふりをし、主のいらっしゃる離れに一礼して、俺は自室へ戻った。



「…なあ、歌仙。」
「何だい、長谷部。」
「…」
「長谷部?」
「…」
「…一体、何だと言うんだい?珍しく僕の部屋まで来たと思ったら、今度はだんまりか。雅じゃないね。」
「…主のことで相談がある。」

歌仙は前の主の初期刀だ。いろいろ思うところもあるだろうが、どちらかと言えば今の主に好意を持っている。それならば、俺の考えに同調してくれる可能性が高い。大勢の前で己の意見を通すためには、まず発言力のあるものを自陣地に引き込むことだ。歌仙は前の主の初期刀と言う事で、皆から一目置かれているからな。俺の考えを真剣に聞いた歌仙は、『いいと思うよ。僕は君に同意する。』と明言した。

「主は未だに離れで過ごされておいでだが、この本丸は既に主のもの。主を疎ましく思っている者ももういないと思う。」
「そうだよ!あるじさんがこっちに来てくれたら、ボクは嬉しいな!」
「主は俺達が必要とする資源や費用を惜しみなく出して下さる。先日、燭台切が重傷で戻った時も…その御力で完全修復して下さった。」
「なんと!光坊、本当か?」
「…本当だよ、鶴さん。この身は今の主の力が込められてるんだ。」
「こりゃ驚いた。主はまぐわいも許してくれるのか。」
「鶴丸殿!弟達の前でそのような物言い、お止め下され!」
「あのなあ、一期。弟達の方が詳しいと思うぞ。」
「っ…!」
「いち兄、鶴丸の旦那の言う通りだ。懐刀の俺っち達短刀の方が、その手の話に理解がある。」
「薬研っ…!」
「その手の話は今はいい。鶴丸の言った通り、主は御身をもって燭台切を修復して下さったのだ。それなのに、このような状態が続いていいと思うか?」
「よくないよ、長谷部くん。あの日、僕は主に誓ったんだ。『君のために尽くす』ってね。…主からの返事はなかったけど。」
「ほう、光坊は主によからぬ心情を持っていると見ていたんだがなあ。」
「…鶴さんの意地悪。」
「ははっ、拗ねるな。」

からからと笑っていた鶴丸が、ふっと表情を戻して俺を見る。話を先に進めろと目で促してきたのに、小さく頷く。

「主命を果たすのが俺達の本来の姿だ。今は俺が差配しているが、今後は主にお任せしようと思う。これまでの非礼を詫び、これからは主に従う旨の誓紙を認めて、主にお渡ししようと思うのだが…どうだろうか?」
「さんせーい!ボクも名前書くよっ!」
「僕も連名させてもらうよ。」
「俺も反対する気はないが…歌仙、きみはどう考えているんだ?」
「前の主も今の主も雅を解するからね。反対する理由はない。」
「…きみ、そんな理由でいいのか?」
「勿論、それだけじゃないさ。主は前の主、つまりおばあ様を慕っている。おばあ様の大切なものを己も大切にしようとする気持ちが強い。だからあの状態だったこの本丸の審神者になったし、燭台切も修復した。僕達に無理を要求しないし、変に割り込んでこようともしない。…彼女はいい主になると思うよ。そんな主に仕えることができるのは誉だ。」
「ふむ…」
「僕達が慕っていた方を彼女も慕っている。そして大切にしてくれる。それなのに僕達は主を離れに押し込めている…雅じゃないね。」

静かに、だがきっぱりと言い切った歌仙は、『筆と紙を用意してくる』と席を外した。その行動に否やを唱える奴はいなかった。



「…私に用、とは?」

上段にお座りになった主が戸惑ったように問われる。

「主に目を通していただきたいものがあります。」
「…何ですか?」
「これを。」

傍らに置いた盆ごと主の前に差し出せば、それと俺を見比べるように視線を動かした後、主はゆっくりと広げる。しばらく読み進められると、驚いたように顔を上げた。

「…これは?」
「そこに書いてある通りです。俺達は主の刀、貴女の命をいただきたい。」
「…あなた方は祖母の…」
「確かに顕現していただいたのは前の主ですが、今の主は貴女です。これからは貴女の刀として、存分に働きたいと願っています。」
「…審神者としての仕事をしろと言うのであれば、このようなものを書かなくてもします。こちらはお返しします。私は以前に約束したことを守ってもらえれば十分ですので。」
「主をお守りするのは男士の本望です。それなのに、呪に縛られていたとは言えあのような決め事をしたは無礼千万なこと。幾重にもお詫び申し上げます。」

頭を下げた俺に合わせて、後ろも動く気配がする。

「…頭を上げてください。あなた方に私をこの本丸の主と認識してもらえるのは嬉しいのですが、私としてはあなた方は祖母からの大切な預かりものです。私が顕現した男士達も、『私の刀』と言うより『力を貸してもらっている』という認識でいます。そうですよね、三日月。」
「ああ、そう申しておったな。だが、俺の主は加奈だ。俺はおぬしのために働くぞ。」
「三日月。今はそう言う事を…」
「俺も加奈に顕現してもらったけん、主ん刀たい。」
「はったんまで…」
「加奈よ。以前、俺達が肩身の狭い思いをしていないかと心配してくれたな。」
「…ええ。」
「おぬしが頑なな態度を取り続けていると、これからそうなってしまうやもしれぬが?」
「っ…」
「『溝を埋める』いい機会ではないか?のう、加奈。」
「…」
「俺がおぬしに契った言葉は、画餅ではないぞ。」
「三日月…」

じっと己の初期刀を見つめられる主。その瞳に俺もうつりたい。ただただ主の言葉を待っていると、目を閉じた主が深く息を吸われる。そして、凛とした眼差しで俺達を見渡された。

「…では、刀剣男士様方。どうぞ私に力をお貸しください。」

澄んだよく通る声が大広間を支配する。ひとりひとりを真摯に見つめる黒曜の輝きに、背筋に痺れが走った。この方が俺の主。力を賭してお仕えしよう。深く伏す俺達に主は『よろしくお願いします』と重ねた。さあ、主。刀剣乱舞、開始ですよ。


2017/12/03 掲載