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廊下を渡って主がいらっしゃいます。私達は深く頭を垂れ、衣擦れの音に集中しました。ゆっくりと歩まれるのは、まだ傷が癒えきっていないため。他本丸の私が横に控えているのはなかなかに面白いことではありませんか。見慣れているはずの足元に、一太刀を見舞ってやりたいですな。

「…どうぞ、頭を上げてください。」

鈴を震わすような清い声に、誰が声をかけるわけでもなく同時に上がる気配がします。主席に坐された主はあの時よりだいぶ顔色もよく、ほっと息が漏れました。私達の上に座っているのは主だけでなく、もう一人。政府のお役人がぎろりと睨みを効かして大広間内を一瞥しました。怨念と言うものは恐ろしい。それは神も人も関係ありません。

「…任務報告は受けている。日々怠らず、まずまずだな。」
「は。」

その鋭い眼差しのまま、お役人は長谷部殿に告げました。長谷部殿の短い返答を聞き苦虫を噛み潰したような表情を見せた後、主へ目を向けられます。それは厳しいものでしたが慈愛も多分に含まれていて、お役人と主が信頼され合っているのが見て取れました。

「さて、加奈。今回の不始末、どう蹴りをつけるつもりか聞かせてもらおうか。」
「本丸内にあった呪の存在に気がつけなかったのは、審神者としての私の落ち度です。『良』ランクを返上いたします。」
「男士への処罰は。」
「石切丸の刀解をもってお終いにしたいと考えています。」
「…甘い。」
「すみません。ですが報告してあるように、男士達も任務に励んでいます。これからも続けてくれる事でしょうから、その仕事振りで今回は見逃してもらえませんか?」

眉を下げてそう申された主の言葉に、ぐっと拳が固くなりました。主は私達を評価して下さっている、その御心が嬉しくもあり…そんな主に対してのこれまでの行いを、とても情けなく悔しく思いました。

「…分かった、この件は私が処理する。任せてくれ。」
「ありがとうございます、先輩。」
「ああ。これからも期待しているぞ。」
「はい。」
「但し、今から言う事は守ってくれ。」

そう言ったお役人の目は鋭さを戻して私達を見渡し、今度はそのまま主に向けられました。

「これからの鍛刀は加奈が行え。」
「はい、分かりました。」
「そして、今いるやつらと換えていけ。」
「…」
「そうすれば、加奈を主だと真に慕う男士が揃う。お前も下手な心配をせずに毎日を過ごせる。変な制約もなく、この本丸で気儘に暮らせるぞ。」
「…ありがとうございます、先輩。」
「お前のことだ、一時的に戦力は落ちてもすぐに優秀な本丸に立て直してくれるだろう?」
「努力します。」
「ああ、頼んだ。」

主の返答にふっと気を緩ませたお役人は、『帰る』と他本丸の私達を連れて大広間を出て行きます。

「あ、先輩!お見送りさせてください。」
「いらん。」
「嫌です。この間させてもらえなかったんだから、今日はします。一期さんとやっくんとあっくんにも、きちんとお礼がしたいですし。」
「…仕方ないな。」

にっこりとお役人に微笑まれた主は、表情をすっと戻すと私達に『話は終わりです。ご苦労様でした。』と短く申されてお役人と一緒に大広間を退出されました。



「前田藤四郎が鍛刀された。…前田は主命が出るまで、部屋で待機していろ。」

夕餉の席で長谷部殿がそう言った時、私は目の前が暗くなりました。弟達も前田を見て辛そうに顔を歪め、平野などは前田から離れようとせずに涙を流しています。夕餉どころではありません。前田がいつ刀解されるか、主次第なのですから。前田の瞳は濡れていましたが、気丈にも私に笑いかけてきました。

「いち兄、新しい僕をよろしくお願いします。」
「前田…」
「主君がお決めになられたのなら、僕は従います。」
「…主に刀解をお取り止めいただくよう願い出てみよう。そうすればお前だって…」
「いち兄…僕は主君を傷つけてしまいました。この身で贖いたいです。」
「それはっ…」

楽しかったです、と深々と頭を下げた前田は食事の席を立ち部屋へ戻ってしまいました。それから翌日、今度は平野が鍛刀されたのです。私の弟が二人も…。主の命など待っていられなく、私は彼女がいる離れへと駆け出しました。

「主、一期一振にございます。どうか話を聞いていただきたく、失礼ながらこのような時間に参りました。」

この先へ行くことを阻む扉の前で伏して待っていると、少しして主が扉を開けられました。小さく息をのむ音が聞こえます。私がこの場にいることに驚かれたのかもしれません。

「…まずは立ってください。」
「いいえ、主。どうぞこのまま話をお聞きください。一期一振、主に願い申し出たいことがございます。」
「…あなたの弟達のことですか?」
「っ…、はい。」

主は察しておられたのか、すぐに『弟達』と口にされました。その言葉に一段と低頭し願いを申し出ようとすれば、主が遮るように訊ねてこられました。

「…本丸はどのようになっていますか?」
「…」
「どのような状態ですか。」
「…皆、平静を保つよう努めておりますが…短刀達は…」
「そうですか…。」
「主。私の話を聞いては…」
「…三日月を呼んでください。あなたは大広間に全男士を集めて待っていてください。」
「主、私の話をっ!」
「よろしくお願いします。」

そう言うと、主はさっと離れへ戻っていかれてしまいました。頼るべき灯が目の前で消されたようで、足に力が入りません。覚束ないまま本丸へ戻り、主の命を皆に伝えました。前田も平野も、互いに支えるようにして待っています。三日月殿が離れへ向かってしばらく、主と共に大広間へ姿を見せました。

「…どうぞ、頭を上げてください。」

すぐ目に入ったのは、主に背を向けて鷹揚に坐す三日月殿。首座の下、私達より上座、いわゆる臣下筆頭の位置に、三日月殿は座っています。まさしく三日月殿が主の頼みとする方なのだと判らしめるためでしょうか。三日月殿は主が初めて鍛刀された刀ですから、主がそう思われるのも無理からぬこと…。頭の片隅でそう考えていると、主が口を開かれました。

「…本題に入る前に一ついいでしょうか?」
「なんなりと。」
「今後、このような場において…頭を下げて待つ必要はありません。」
「ですが…」

これまで同様、長谷部殿が主の言葉を受けましたが…納得しかねる様子で言い募ります。それを三日月殿が『加奈が申しておるのだ、そうしようではないか』と流してしまいました。

「…では、本題に入ります。鍛刀と刀解の件ですが…」
「っ、主!その前に私の話をっ!」
「…分かりました、どうぞ。」
「ありがとうございます。どうか…どうか前田と平野を刀解するのはお考え直しいただくよう、お願い申し上げます。二人とも錬度は高いですから、間違いなく主のお役に立ちます。代わりに私が刀解されます故、どうぞ二人の刀解はお考え直しいただけないでしょうか!伏してお願い申し上げます。」

後ろから『いち兄っ!!』と悲鳴のような声が上がりましたが…いいんだ、お前達。私はお前達を守りたいんだ。お前達ならきっと主の役に立つだろうから、私は安心して刀解されるよ。弟を守れるのだ、長兄として当然のことを言ったまで。

「…あなたの二振り目は鍛刀されていません。」
「主っ!お願い申し上げるっ!」
「その他の粟田口達が鍛刀されたらどうするのですか?その時にあなたはもういない。」
「っ…この身一つで弟達の刀解を…どうか…」

声が震えます。このような虫のいい話が通るはずがありません。それでも私は弟達を守りたい。『いち兄!』と呼ぶあの可愛い声を失いたくない。どうかこの願いを叶えていただきたい。その一心で頭を下げ続けていると、頭を上げてくださいと凛とした声で主が申されました。

「…主…」

恐る恐る頭を上げれば、真っ直ぐに私を見る瞳とかち合いました。

「…以前に言ったはずです。『あなた方の邪魔をするつもりはない、約束さえ守ってもらえればいい』と。」
「っ…あの時と状況は…」
「変わっていますか?あなた方は本丸で、私は離れで暮らしています。あなた方の生活に割って入るつもりはありません。」
「…ですが、政府のお役人は…」
「この本丸の決定権は私にあるそうです。ですから、全員に言っておきます。鍛刀をしろと言われた以上、日課任務として鍛刀は行います。けれど、鍛刀されたとしてもここにいる男士を顕現するつもりはありません。」

きっぱりと告げられた言葉に体から力が抜けるのが分かりました。前田と平野の刀解は…ない…。弟達の刀解は、ない。そう告げられたことに、心の臓がうるさいほど鳴り響いています。

「…主、私もお聞きしてよろしいでしょうか?」
「…どうぞ。」
「貴方の今のお言葉、粟田口に対してと捉えればいいのでしょうか?」
「いいえ。『全員に』と言いました。左文字も同じです。刀種、刀派は関係ありません。全員…これから顕現されるかもしれない新しい男士も含め、私が刀解することはありません。」
「…感謝いたします。」

深々と感謝の意を表した江雪殿を見ていた瞳が私を捕えます。姿勢を正さなくてはと思っても、体が言う事を聞いてくれず…。呆然とするままに見返していると、ほんの少しだけ微笑まれた主が穏やかに申されました。

「…ですから、あなたの刀解もしません。これまで通りに弟達と過ごしてください。」
「っ…!万謝いたしますっ!!」
「夜分遅くに集まってもらい、お手数かけました。失礼します。」

席を立たれた主に、全男士が深く頭を下げて謝意を表しました。気配が薄れていくと同時に、大広間のあちこちから安心する声が聞こえます。

「いち兄っ!」
「よかったー!いち兄も前田達も刀解されなくて!ボク達も大丈夫みたいだし、やっぱりあるじさんは優しい人なんだね!」
「ああ、そうだね。お前達、今まで以上に主のために働くんだよ。」
「はいっ!!」

涙ぐむ前田と平野の頭を撫でながらひとりひとりの目を見て確認すれば、分かっているとばかりに大きい返事がきます。私も弟達に負けないように励まなくては。私達を大事にしてくれる主を大切にしたい、そう深く決意しました。


2017/11/28 掲載