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変化


「えーっ!?」

朝食後、本日の当番が発表されたところで弟が不満そうな声をあげた。天真爛漫で何でも前向きに取り組む彼らしくない。

「浦島?どうかしたのかな?」
「は、蜂須賀兄ちゃん〜!どーしよ〜!?」
「一体、何がどうしたんだと言うのだ。言ってくれなきゃ分からないだろう。」

眉がハの字に下がりきった情けない顔をしている浦島に、諭すように聞いてみれば。返ってきた答えに俺の眉間にも皺が寄ってしまった。



「加奈さん、加奈さん!」

跳ねるようにして浦島が離れに続く廊下を進む。対して、俺の足取りは重い。それもそうだろう、出来れば引き受けたくないのだから。俺の問題ではない。むしろ主が嫌がるのではないか…?

「蜂須賀兄ちゃ〜ん、早く早く!」
「…そんなに慌てなくても主は逃げやしないだろう?」
「そうだけどー、早くっ!」

先に扉の前に着いた浦島が、せわしなく主を呼んでいる。少しして出てきたのは寛いだ格好の主で。

「おはよう、浦ちゃん。どうしたの?」
「おっはよー、加奈さん!今日もいい天気だね!」
「うん。」
「って、そうじゃなくて!俺、加奈さんに謝らなきゃいけないんだ。」
「…どうかした?」

浦島の言葉に、主は表情を顰める。それを見た浦島も悲しそうに寂しそうに眉を下げた。

「俺、今日の当番が遠征なんだって。せっかく加奈さんと現世へ行けると思ってたのに…」
「…それを伝えに来てくれたの?」
「だって急に言われても困るだろ?」
「ふふっ、よかった。」
「え?」
「しょんぼりしているから何かあったかと思っちゃった。わざわざありがとう。浦ちゃんと一緒に行けないのは残念だけど、それなら一人で行くから大丈夫よ。」
「だめ〜!加奈さん、一人だと危ないって。だから、俺の代わりに蜂須賀兄ちゃんについてってもらうから!」

最後の一言にそれまで優しく微笑んでいた主の表情がすっとなくなった。…ほら、やはり。無表情のまま視線を投げかけてきた彼女に、どうしたものかと思考を逡巡させる。主はすぐに取り繕うように笑ってみせ、一人で大丈夫だと浦島にまた言って聞かせる。だが浦島も譲らず、困った顔をして二人は見つめ合っていた。

「…俺がお供では不満なのかい?」
「…いえ。あなたの手を煩わせるのは申し訳ないと思っているだけです。」

浦島にかけるのとは違う硬い声。余所余所しい態度。こうも違うものなのかと落胆するが…こうなった原因は俺達にある。彼女を責めるのはお門違いと言うものだ。俺の心内が声に出そうになるのを押しとどめ、努めて普段通りに会話を続ける。

「ならば、俺が煩わしくないと思っていれば問題ないね。お供するよ。」
「うん!蜂須賀兄ちゃん、頼んだぜっ!」
「彼女を守ってみせるよ。それより、浦島。そろそろ支度をしないとまずいんじゃないかい?」
「わかったっ!加奈さん、お土産くれよ!」
「浦島。」

主に土産をねだるなんて、真作のすることじゃない。弟の名前を呼んで窘めれば、浦島は慌てて『行ってくる!』と踵を返した。

「…一人で問題ありません。」
「…では勝手にお供するとしよう。浦島に頼まれたことだし、黙って見送るわけにもいかないからね。」

弟の名を出すと主はぐっと押し黙る。困らせたいのではない、君の役に立ちたいんだ。

「…二時間後、表門に来て下さい。内番服で結構です。」

小さく息を吐き出した主はそう言って扉を閉めた。



現世には初めて来た。前の主はほとんど行くことはなく、俺がお供をする機会もなかった。来てまず思ったのは、着るものがあまりにも違うということ。主はそれを分かっていたらしく、この時代らしい服装を一式買い揃えられた。そう言えば、浦島も『加奈さんが買ってくれたんだ!』と嬉しそうに広げて見せてくれた。そして大事に箪笥にしまってある。俺も本丸へ帰ったら大切に保管しよう。着たことがない服をしげしげと眺めつつ、主に連れてこられたのはカフェと呼ばれるところだった。茶屋みたいなところだと教えてもらう。主は別の場所で用事を済ませてくるから、その間ここで待っているように言われたが…。

「それではお供にならないじゃないか。」
「安全なところです。時間もそんなにかかりません。」
「そう言った問題ではない。万が一のことがあったらどうするんだい?」
「ここには時間遡行軍も検非違使もいませんので、問題ないです。一時間ほどで戻りますから、ここでお待ちください。」
「…浦島も同じなのか?」
「…彼は一緒に行っています。だからこそ、ここにいてほしいのです。」
「理由を聞いても?」
「…違う人を連れて行ったら噂になってしまうからです。根も葉もない噂を立てられても、お互い気持ちのいいものでもないでしょう?」

…ああ、なるほど。下世話な連中がこの時代にもいるのか。それならば仕方ない。

「わかった。では、きみが戻ってくるまでここで現世を観察でもしているよ。」
「ご理解いただきありがとうございます。」

実にそっけなく言われたことに虚しさを感じたが、触れずに主の背を見送る。向かいの建物に入ったのを見届けて、俺はカフェの外で流れている人波に目を移した。



主は言っていた通り、半刻を少し過ぎた辺りで戻ってきた。そのまま本丸へ戻るかと思いきや、寄り道がしたいと言うではないか。そういう一面もあるのかと内心驚いた。否やはなく、彼女の後を追うようについていく。入った店には、色鮮やかなものが所狭しと並んでいた。まるで練りもののようだ。主はひとつひとつ丁寧に見ている。

「…ここは何を売っているんだい?」
「洋菓子です。どうぞご自由に見て回ってください。」

女人は甘いものを好むと言うが、主も多分にもれずにそうなのか。思いがけないところで一つ彼女のことを知ることができ、ふっと口元が緩んだ。やがて下を向いていた主の顔が上がり、小さな籠にいくつか品物を入れていく。ずいぶんと楽しそうだこと。己でも分かるぐらい弛緩した顔をしていると、不意に彼女が俺を見た。

「…欲しいものはありましたか?」
「…いや。見ているだけで満足したよ。」
「…そうですか。」

俺の返事を聞いた主は何かを考えるようにしていたが、品を三つ増やして会計へ向かった。店の者に何かを指示しながら財布を取り出す。中身を確認しながら詰めてもらったものを大切なもののように受け取り、お代を払った。

帰り道でも会話はない。けれど、行きとは違って俺は満足していた。今日の一日で、主の新たな一面を知ることができたからだ。浦島に優しいこと。浦島と仲が良さそうなこと。理路整然と話せること。先をある程度予測できること。甘いものを好むこと。…どうやら、たくさん知ることができたらしい。胸の内で誇らしく思っていると、主が現世から本丸へと時空を繋いだ。

「あっ、加奈さん!おかえり〜!」
「ただいま。」
「俺、加奈さんが帰ってくるの待ってたんだよっ!」
「ありがとう。はいこれ、お土産。」
「わ〜っ!ありがとうっ!!」

手に提げていた袋から小分けにされた紙袋を取り出して浦島に渡す主の顔には、朝と同じ優しさが見えた。『わーい!』と彼女の周りを犬のようにくるくる回って、浦島は主の隣にぴたりと並んだ。

「蜂須賀兄ちゃんにちゃんと守ってもらえた?」
「うん。」
「よかった!俺、遠征中も心配してたんだぜ。」
「大丈夫よ。あそこは危ないとこじゃないって、浦ちゃんも知っているでしょう?浦ちゃんこそ、怪我はなかった?」
「うん。あのね、玉手箱はなかった!なんちゃって!」
「ふふっ。安心した。」

離れに戻るまでの間、浦島の口が閉じることはなかった。弟の話があちこちに飛んでも、彼女は面白そうに笑いながら相槌を打って先を促す。それが嬉しいのだろう、浦島もずっと笑顔のままだった。

「…と。浦島、離れに着いたよ。」
「え〜!?俺もっと加奈さんと話したい!」
「主も出先から帰ったばかりだからね。休ませてあげるのも大切だ。」
「…わかった。」
「きみも戻ってゆっくり休むといい。」
「今日はありがとうございました。これをどうぞ。」
「…何だい?」
「先程のお店で買ったものです。ご兄弟で召し上がってください。」

小分けにされた紙袋を一つ渡され、戸惑いが真っ先に出た。だって、そうだろう?想像すらしてなかったのだから。主が俺達に気遣うなんて。…いや、俺だけか。浦島も長曽祢も彼女が顕現した。虎徹の中で俺だけが前の主に顕現されたのだ。その事は誇りに違いない。けれど今、初めて苦しく感じた。きっとこの中には洋菓子が三つ入っているのだろう。兄弟で食べるように渡されたのだから。優しい人だ。俺達のことを考えているのだと、大切にしているのだと言われなくても分かる。それでも、己だけ疎外されているような感覚に陥る。彼女もこんな思いを持っていたのか…?だとしたら、俺は…俺達は彼女にずっと酷いことをしていた。意図して爪はじきにしていた分、余計に。

「…ありがたくいただくよ。」
「長曽祢にもよろしくお伝えください。それでは。」

罪悪感に震えそうになる声をなんとか平静に保ち礼を言えば、主は小さく頭を下げた。またね!と大きく手を振っている浦島に柔らかい微笑みを返す彼女を見やり、弟を促して本丸へ戻る。…あの微笑みを俺にも向けて欲しい。そう思うのは過ぎたことだろうか?この願いを口にするのは弁えなければならないことだろうか?

「…いや。願わなくても向けてもらえるよう、今は与えられた役目に励むとしよう。」
「蜂須賀兄ちゃん?なんか言った?」
「何でもないよ。さあ、部屋に戻っていただいた菓子を食べよう。」
「うん!長曽祢兄ちゃんも一緒だねっ!」
「…ああ。今日は仕方ないな。」


2017/11/08 掲載