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御社


新しく審神者が着任したその日、午の刻を過ぎてようやく本丸が落ち着いた。ざわめきが鎮まると各々が本日の当番へ向かう。彼女との取り決めで日課任務をはじめとする全任務の達成を約束されたが、これまでも私たちだけでこなすことができている。出だしが遅くなってしまったが、問題はないだろう。新しい審神者は離れで政府の役人となにやら話し込んでいるようで、姿を現さない。互いに不干渉でいると決め事をし、双方が納得した上での新生活。だが、主に仕えるのが私たちの本望なのだ。新しい審神者に興味を持つなと言う方が無理だろう。幼い姿の刀剣たちなど、その様子が顕著に表れていた。



夕刻、ようやく審神者が離れを出てきた。政府の役人を表門まで見送った後、のんびりとした足取りで敷地内を見て回っているようだ。畑に植えられている野菜や果物、馬、蔵など、己の本丸を把握しようというところか。どこの本丸もそうだろうが、この本丸も敷地が広いから一日で全てを掴むのは難しいだろう。眺めるように審神者の様子を窺っていると、一度離れに戻った彼女はなにやら白い器を持ってまた出てきた。その足で向かった先は社。何をするのだろうと後ろから見ていたが、なんてことはない。お神酒を供えてようとしているところだった。その姿は在りし日の主に重なって見え、ふっと口元が緩む。やはり主のお孫なのだ。

「…お参りかい?」

審神者が社に背を向けたところで話しかければ、びくりと彼女の体が揺れる。…どうやら驚かせてしまったみたいだ。申し訳ない。

「すまないね。君の姿が見えたものだから、何をしているのかと気になってしまって。」
「…あなたは石き…」
「おっと。名を呼ぶのはお互いによさないかい?」
「なぜ…と聞いても?」
「名はその存在を縛る。私たちは不干渉と決めたのだから、名で呼び合わない方が良いだろうね。」
「…分かりました。」

理を述べれば少しの沈黙の後で解を示す。なるほど、他者の考えを聞いて捉える姿勢も立派なものだ。

「聞いてもいいでしょうか。」
「なんだい?」
「このお社は何を奉っているのですか?刀剣男士は神様だと聞いています。そうだとすると…」
「己自身を奉っているのかって?違うよ。この地を奉っているんだ。」
「…本丸を?」
「私たちの国が多神教なのは知っているかい?別天つ神から始まり神代七代、そして八百万の神々。全てのものに神は存在しているという考えなんだよ。」
「はい…」
「難しい事ではない。常に尊敬と感謝の気持ちを忘れずにものごとに向き合えば良いんだ。」

真剣に聞くその姿もまた立派なもので、思わず目が細まる。

「この本丸が平安であるよう、この地の神を奉って加護を願う。それは人間であろうと私たち刀剣男士であろうと違うものではないんだよ。」
「そうですか。教えていただきありがとうございます。…もう一つ、聞いてもいいでしょうか?」
「あぁ。」
「このお社はどなたが管理をされているんですか?」
「いやはや、管理などと大それたことは出来ていないが…私がよく加持祈祷で使ってはいるね。」
「そうですか。他の…他の刀剣男士もここへはよく来るのですか?」
「全くないわけでもないけれど、あまり来ないよ。ここは本丸の中で静かに時を過ごすには最適な場所だ。加持祈祷に集中することができる。」
「そうですか…。」
「ここが気に入ったかい?」
「…はい。当たり前ですけど本丸の中はどこにでも男士はいますから…このように静かな場所は他になさそうで…」
「ならば好きな時に来たらいいよ。君がここを気に入ったことは、他の者には内密にしておこう。」
「…ありがとうございます。」

深く下げられた頭に連なって背を隠していた髪が垂れた。柔らかそうな明るい色がふわりと流れたのに目を奪われていると、審神者は私から離れて拝殿とその奥に建てられている本殿に近づく。お神酒を丁寧に供えた。腰からのお辞儀の後、胸の前で手を合わせて祈る。その瞬間、空気が一変した。清廉潔白な、凛とした空気が本丸に広がる。背がぞくりと痺れた。

「…では、私はこれで。」
「…あ、ああ…」
「失礼します。」



彼女がだいぶ離れてようやく、ようやっと呼吸の仕方を思い出す。なんと言う霊気を持ったお人なんだ。この地の神にも認められたようで、本丸をあっという間に支配下に置いてしまった。質、量ともに文句のつけようがない。…主と同等、いや…もしかしたら…。温かく包みこむ主の霊気とは違うが、自尊心や矜持を擽られるような、背筋を伸ばさざるを得ないような気高い霊気。この気に触れ続けられることに喜びを覚える。…だが。ならばこれまで心地よく感じていた主の気はどうなってしまう。隠れてなお私たちを包み込んでいたあの方の存在はどうなってしまう。

「…まずいな。このままでは…」

早急に何とかしなくては。私は主に顕現され、主を見取り、主を拠り所としていた。主を失ってしまえば、どうなってしまうか…。

「私は…主を覚えて…」

…すまないね。私は主といたいのだ。彼女には何の罪も恨みもないが…この本丸の主はあの方だ。急いで戻る途中で仰いだ空に、黄昏の深淵を覗いた様な気がした。


2018/03/27 掲載