忍びの夢或いは過去

夢を見た。此れまで何度も見た夢だった。そして、最近は久しく見ていない夢だった。

限りなく事実に近い、自身の過去。
これはこの通りだった。それは実際とは違うはずだ。
全ては自問自答。答え合わせをしても正しさがどこにあるのか分からなくなってくる。
夢の記憶に埋もれていったであろう事実は、私の頭が必要無いものと判断したのだろうか。

まだ太陽も上っていない。薄暗い時間。私は今日見た夢がどんなものだったか、一から思い起こした。


端に追いやられたかのような小国。しかし、民は慎ましく穏やかに生きている。
民も慎ましければ、城も慎ましい、勿論其処に座す城主様も。
そんな所に仕えていた父。長らく子が生まれず、ようやくできたと思ったら、女の私だった、と父は語る。私は武士として父に育てられた。
幼い私は泣きながら剣の稽古をする。父はそんな私を叱りつける。こんな事では城主様をお守りできんぞ、と。
厳格な父が苦手だった。木刀だって重いし、痛いし、容赦なく私を跳ね飛ばす父は私のことが嫌いなのだと思っていた。
厳しい父に対して母は優しかった。鮮やかな色の着物が眩しく感じた。そんな母が好きだった。
母は武士として鍛えられる私を哀れんでいた。

景色が変わる。

私は城主様に仕える様になる。城主様は穏やかな気性で、争いを好まない優しい方だった。男ばかりの城で浮いていた私に、重要な役回りを与えて下さった。初めは多々あった反発の声も、その任をこなしていくうちにそれらの声は無くなっていき、城のものから信頼される様になった。父に見事な忠臣っぷりだ、と褒められた。幸せだった。
その暖かなお人柄に触れ、私はこの人を命に代えても守ると決意した。それを城主様に伝えると、あの方は困った様に微笑みを浮かべて言った。

「私の為に、生きてくれ。」

私はその言葉にしっかり頷き、誓った。

また景色が変わる。

轟々と燃え上がる小さな城。曇天の空の下、黒い煙が上がっている。隣国のそのまた向こうの国へ使者として出向いた、帰り道。馬に乗って、呆然とそれを見遣る私。
使いの者が息絶え絶えに話す。織田の、魔王が、と。最後まで話を聞かずに馬を走らせた。民のことよりも、父母のことよりも、私の頭は城主様が無事がどうかで一杯だった。
途中見た村は、城と同じように燃えていた。

燃える城の中へ飛び込む。
織田の兵はもう居なかった。
酷い有様だ。燃え落ちていく柱。夥しい数の弓、刀傷、鉄砲の痕。見知っている頭。あちこちに飛び散る炎だけでは無い赤色。此処での穏やかな思い出が踏みにじられる様な感覚。

「城主様っ!!」
「、はぁ、ああ、……小百合か。」
「良かった、生きてい、て、……その、傷、早く、早く手当をっ!」

ようやく見つけた城主様は、胸から腹にかけて深く抉られる様にして斬られていた。
また柱の崩れる音が聞こえた。此処ももう危ない。

「ああ、鎌を、持ったな、死神に会ったん、だ。…、最後にお前に会えて、嬉し、い、よ。」
「死神? 何て、不吉な事を……、いやっ、それよりも早く此処から出て手当をしないと……。あそこからなら、飛び降り出る事が出来ます。」

城主様の肩を抱え、なるべく傷に触り無い様に窓の近くへお連れすると、急に城主様の足が止まった。

「城主様……?」
「お前、一人、で、行きなさい。……死期というのは、自分で解るんだ。」
「そんなっ、縁起でもない、……っ貴方が行かないのなら、私も行かない!」
「、げほ、はぁ、小百合は……誓ったろ?」

私の為に、生きてくれ。
あの傷付いた体の何処にそんな力が残っていたのか、強い力で押された。窓を飛び出たのは私一人。
手を伸ばすも、届かない。城主様の体が崩れる様にして倒れていくのが見えた。永遠の様に感じたけれど、ガラガラと音を立てて落ちる瓦で、直ぐに遮られた。
背中に感じた強い衝撃に目眩がする。碌な受け身を取っていなかった。立ち上がれない。薄眼を開けて、手を伸ばす。城は殆ど焼け落ちていた。

あの方が死んだ。私の生にこれ以上意味は有るのか…?
延々と頭のなかで回る私の言葉。その中に一つ、はっきり聴こえるあの方の声。
生きろ、と言う。
生き方がわからないのです。意味を見出せないのです。貴方を守れと、父にも言われたのです。貴方にお仕えする道しか知らないのです。私は、貴方の忠臣のまま死にたかったのです。
私の為に生きろ、と言う。
他でもない貴方に、誓いました。お優しい貴方に、誓わされました。自害も許されないのですね。生きたくないけれど、私は生きねばならない。

地面に寝そべったままだった体を、何とか起こす。耳もとまで流れた涙が、地面に落ちる。涙は既に止まっていた。

「ほう、生き残りが居たか。」

突然聴こえた声に、ばっと振り向く。ギシリと背中が痛んだ。

「貴方は、織田のものか?」
「まぁ、それに近い者だ。君は…、何かも奪われたのか。…だが、それでもまだ生きようとしている。」

興味深い、と低く嗤う男に眉を顰める。こんな所で死ねない。織田の者に、殺されるわけにはいかない。恥を捨て、誇りを捨て、朦朧としてくる意識を繋ぎ、頭を下げた。

「どうか、命だけは。見逃して下さい。」
「ふっ、ハハハ、こんな心無い命乞いは初めて聴いたよ。…そうだな、与えるだけというのも、また一興。」

「君には、望みを与えよう。」

この男は、私が何も言わなくても何かを私に与え続けた。
気を失った私を医者に見せ、私を治療させた。あの方以外に使える気は無い、という私に、ならば新たな生き方を、といってわざわざ忍びを雇い私に忍びの術を教えさせた。私が忍びとして動ける様になると、忍びとしての主従の関係を与え、気まぐれに任務を命じた。その任務をこなすと、彼はその場所へ赴き凄惨な略奪を行なった。その様を側で見せられ、奪う側に浸る気分はどうかね、と笑みを浮かべて問うのだ。返せる言葉など無かった。何て、非道な。
それなのに与えられるものに対して、逆らえ無いのは何故だろう。
松永久秀という男は怖ろしい、そう思って惨劇の映る目を閉じる。

夢はそこで覚めた。


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