右目と対峙

久秀様がご到着した。竜の右目が単体でやって来る、という知らせと共に。
思って居たよりずっと早い、何より一人で来るなんて。信じられないが、真実だった。
風魔殿を差し向けたが、それでも止められなかった位に、凄まじい勢いらしい。大和に着いて早々戦支度となった。今回は流石に私も戦場に出してもらえるらしい。
私以外誰も居ないこの場所で、竜の右目を迎え撃つ。


「まさか単騎で此処まで来るとは、思いませんでした。」
「御託はいい、其処を退け。俺はお前に用は無い。」
「貴方に無くとも私には有る。貴方を退ける、これが私に課された命だ。」

私は竜の右目に初めて刀を、向けた。
彼は大きく舌打ちをして刀を構えた。
ようやく、漸くケジメをつける事が出来る。
右目との戦いが始まった。

息が乱れる。
こんな滅茶苦茶な喧嘩殺法に圧されるなんて、竜の怒りを甘く見ていた。相当な怒気は感じていたが、まさか殴る蹴るでくるとは。
突然の頭突きに怯んだところに、追い打ちをかけられる。駄目だ、避けられない。

腕が痺れる。力を入れても感覚が鈍い。
竜の右目の放った雷撃を刀で受けたのだが、向こうの力の方が強く、勢いは殺せたがもろに食らってしまったのだ。刀を持つ手が震え、カチャカチャと音がする。

「死ぬ気というのは痛い程伝わってくるがなぁ……、殺気を感じねえんだよ。お前の剣からは。」
「そんなっ、私は真剣に、」
「殺す気で来い! 迷いのあるそれを、真剣とは言わねえぜ。」

ふと甘い香りがした。
手の震えが収まっていく。腕の痺れが、取れた。素早く竜の右目から距離をとり間合から出て、背後を振り返る。何故、誰が、何時、どうして此処に不死香炉が有るんだ。私はこんな物使うつもりなど、決して。
逆上せてしまいそうな熱気と、甘い香りにくらくらする。……そういえば、この男、私が死ぬ気だと言ったか?

「あの厄介な香炉かっ。」
「…死ぬ気なんて、有るはずがない。そんな、あの方への誓いを無視するような事、」
「、小百合?」

あっては、ならない。
目の前の人を倒さない事には私の明日はないのだろう。それならばやり遂げてみせよう、貴方の御為とあらば、何だって。
刀を構え直す。剣の切っ先から冷気が漂う。

「望み通り、殺す気で行く。」
「っく、氷の婆娑羅、か。」

足下に降り注ぐ氷に相手の動きが鈍くなる。その隙をつき、男の首めがけて刀を振り落とす。あぁ、惜しい。間一髪で止められた。火花が散った。
此方が優勢の形で鍔迫り合いになる。

「貴方に恨みはないが、此の儘押し切らせてもらうっ!」
「確かに、真剣だっ…! 今のテメエの目、見覚えがあるぜ、」

覚悟を決めている武士の目だ。
押されている状況で何を言うかと思えば、この男、至極当然の事を。女と雖も、幼少の頃から父に武士として育てられたのだ。それに城主様の為ならば、覚悟の一つや二つ。

「っテメエは何故、松永の為にここまでする?テメエが命を削る程の男かっ!?」
「……松永、…の、ため…だと?」

はた、と停止する。
松永とは、ああ、そうだ、久秀様だ。
そうだった、私は久秀様の忍びだった。武士ではない。私は久秀様の為に此処で戦っているんだ、右目を通すなと言われて。此処はあの方の為の戦場では無い。いや、だがあの時誓った相手は、城主様で。誓った私は、忍びでは無くて、武士だった。ならば忍びの私は、今の私は、一体何を…?
混迷とした思考の中に現れる矛盾に戸惑う。

「久秀様の、為に…? い、いや、違う。私は、ずっとあの方の、城主様の為に、…!」

ぐっと押され、簡単によろめく。しまった。
手から刀が弾かれる。弾かれた刀は大きく弧を描いて、地に突き刺さった。ついで、がしゃん、と何かが砕け割れた音がした。あの壺は、不死香炉の。どんどん靄が晴れていく。体が痛みを思い出し始めた。嗚呼終わった。

申し訳ございません、城主様。ただ純粋に貴方の御為に生きたかったのに、私ときたら。自分の中の歪んだ、とんでもない矛盾に気付いてしまったが、もう、いいんだ。
私もやっと、そちらへ。
目を閉じる。

「小百合、お前は殺さねえ。態々敵の望みを叶えてやる程、俺はお人好しでは無いからな。」

ゆっくりと目を開ける。
俺は先へ行く。そう言って走り去る竜の右目の背中をただ座ってぼんやりと見ていた。
頬を伝う涙を拭く為の腕は、動かない。

「成る程、確かに残酷な方だ、景綱さん。」

体が動かせるようになってきた頃、耳に馴染んだ爆発音がした。首を少しだけ上にあげると赤く燃える炎が見えた。
あの頃と同じだ。燃え盛る炎の中に私が仕えている人がいる。しかし、あの頃と違って、私は主人を助けに行こうという気は起きなかった。
未だふらつく足でなんとか立ち上がる。
私は、生きます。


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