右目と話す

「随分お疲れだな、ああいう乗りとは無縁だったか?」

髪が少し乱れている、と指摘された。
予想していたより気安い様子の景綱さんに、僅かに強張っていた体が元に戻る。
乱れてしまっていたらしい髪に手をやりながら、多少、半目になりながら返す。

「…見ていたのなら助け舟の一つでも出して欲しかった位には。随分根も葉も無い事が広まっているようで?」

少し不満を込めて言う。ああいった、色恋沙汰の話への苦手意識は、未だ拭えない。ここにきてからは、独眼竜に始まり兵達までその類の話をふってくるのだから参ってしまう。
あんな浮ついた内容を大きな声で、武士の名が泣くというものだろう。兵達はまだ、純粋な疑問の方が強いように感じたが、独眼竜に至っては完全に面白がっているとみた。
そのせいで、城の門をくぐる前の時とはまた違った意味で、景綱さんと話すのが気まずいと思ったのだ。
他人事のようにされるのは納得いかない。

「噂ってのはそういうもんだろ?それに、割って入れば、俺に飛び火する。」
「…そう、ですね。でも、しかし、どうにかならないのですか?」
「安心しろ、後であいつら全員シメとく…。」

恐ろしい事を真顔で言う景綱さんは、いたって真剣だった。しめる、の言葉に慣れを感じるのは気のせいだと思いたい。楽しく騒ぐ兵達の及び知らぬ所で、彼らの危機を招いてしまった。そんな気はなかったのだが。
しかし一体噂はどこから広まったのやら。
一瞬なぜか、綺麗に笑う姉君殿が頭に浮かんだが、いやいやまさか、な。

「あ、あの、でも、彼らの雰囲気は嫌いではありませんよ。情に厚いし、活気、があるのは良いことですし。」

確かに気疲れはしたが、伊達軍は気に入ったのだ。と言う事を伝えたくて、ぼんやりとした印象をなんとか紡ぎ出す。

「活気、か。喧しいの間違いじゃねえか?率直にガラが悪い、と言っても構わねえんだぜ。自覚はある。」
「い、いえ。そうは、…う、ん。」

そういう事を伝えたかったわけでは無いのだが、ガラが悪いかと訊かれれば、そうだなと素直に思う。
騒いでいる彼らを見ると、嘘でもそれは否定出来ない。気の良い人たちだというのは話してみて分かったが、一見した時の彼らの見た目と言動からは、こう、荒くれ者っぽさが、有り有りと伝わってくるというか。
自軍の兵達に中々容赦無い言い様の景綱さんだが、しかし、彼らを語るその表情は優しかった。それを認めて此方の心も温かくなった気がした。

「確かに、それは否めませんが、その、伊達の方々は、家臣も主も互いに深く思いあっているのですね。話してみて思いました。素晴らしい事です。」
「…その言い方は、野郎ばかりの俺らには、ちと、いや、大分気持ち悪いな…。」
「そうですか?私は羨ましいですが。」
「……。」

照れ臭いのだろうか、実際はどうか知らないが、微妙な顔で景綱さんは目をそらすと、そのまま顔を兵達の居る正面の方に向けた。

「俺としてはお前と、あの小早川の関係が気になるがな。」

あ、話を逸らされた。
彼の目線の先には伊達の兵達では無く、秀秋様がいた。周りの兵達に鍋の具を取られそうになって憤慨している。が、全く怖く無い。

「松永よりかはよっぽどマシってもんだが、何故小早川なんだ...?」

もっと他にあっただろう、と言外に伝わってくる言い方だった。何度目の質問だろう、この手の質問は秀秋様と共に会う人には、大抵にされている。
秀秋様に自ら望んで仕える、というのはそんなに稀有な事だろうか。俄かに解しがたいのは、小早川軍より自軍の方が良い、と考える人が多い事だ。

「…理由は、まぁ、色々有るのです。何にせよ私は、秀秋様以外は考えられない。ので、私はもう何処にも移ったりしませんよ。伊達軍にもです。」

勢いと力を込めて言うと、景綱さんは少し面食らったようだった。そして気まずげに顔をしかめた。

「気概はよく伝わった。…お前の主を侮った様に聞こえたかもしれ無いが、何も伊達に来いと迄は言ってないだろう。」
「え、あ、そうでしたね。…その、最近、こういう質問と共に、よく勧誘されるようになったので…、つい。」
「勧誘だと?」
「ええ、近頃はよく毛利や、豊臣から。」
「豊臣…、…まさか、竹中じゃねえだろうな。」

彼は嫌な事を思い出すかの様に、苦々しい顔で豊臣の軍師の名を出した。確かに豊臣と伊達は以前より対立関係にあるらしいが、竹中殿は、竜の右目を高く評価していたのを聞いた。剣呑な関係だとは思わなかったのだが。

「ええ、よくわかりましたね。彼と何かあったのですか?」
「まぁな…。あいつには気をつけた方がいい。知らぬ顔でえぐい事を平気でする腹黒い奴だ。」
「そ、そうですか。…知りませんでした。」

きっととんでもない事が有ったのだな…。
豊臣の者にしては珍しく、秀秋様があまり怯えずに対話出来る貴重なお人だったのだが。
伊達と小早川とでは立ち位置が違うが、景綱さんが此処まで言うのだ、心に留めておこう。

取り留めのない様な、そうでも無い様な事を話して、ゆっくりと時間は進んだ。

慌しい再会によって、ろくな挨拶も出来なかったまま、今の私の立場を漠然と理解してしまったのだろう景綱さんは、私の小早川に仕えるに至った仔細を尋ねてはこなかった。

ふと、昔景綱さんの屋敷で晩酌しながら話をした事を思い出した。
だが、今は夜更けでは無いし、お互いお酒は飲んで無いし、何より周りの賑やかさが、あの時とは違うのだと告げていた。
身元を偽る旅人とお武家様でもなければ、敵国の忍びと武士でも無くなった。今は、別の主に仕える武士と武士だ。関係はとても変わった。
筈なのだが、彼との会話は、ぎこちない親交を深めたあの、彼と出会った日の延長のように感じるのだ。
彼と過ごした時間は短いのに、彼と戦って私が負けてから今日迄の時間は長かったのに、何故か、彼と過ごす事に違和感を感じ無い。その事に違和感を感じる。
腰を据えて話すまでは、緊張さえしたのに。


秀秋様が鍋を食べ終わり満足そうに寛いでいる。そろそろ帰ろう。もともと長居する気は無かったのだ。今からだと烏城まで日をまたぐことになるだろうが、問題無いだろう。
充足感に浸る秀秋様を引っ張り上げるべく、立ち上がった。


ALICE+