虎の道場、弐

「よくぞ、そこまで鍛え上げた!天晴れえええええいッ!」
「はぁはぁ、ケホッ、あ、有難う御座い、ます。ゴホッ、コホッ…。」

「うおおぉぉおああ!この幸村っ、まだまだ未熟で御座いましたああ!し、叱って下されっ、ぅお館様あああ!」
「よかろう…。精進せいっ、幸村あああ!」

武田殿の拳により、天高く吹き飛ばされていった真田殿を放って、武田殿は踵を返し道場の奥へ行ってしまわれた。
体力も残ってないのと、途方もない達成感による安堵で、その場にへたり込む。
真田殿の炎の槍の猛攻、猿飛殿の影を用いた死角からの技、そして、何より凄まじきは、武田殿の拳。あの力が有るのなら、武器など必要無いのではなかろうか。
戦場に立つよりも神経が研ぎ澄まされた、気がする。
拳を受けた箇所が痛む、を通り越してビリビリと痺れる。しかし、受けた事に後悔は無い。言葉では表現し難いが、あの拳は、私に何か清々しいものを吹き込んだ。例えるなら、喝を入れられたような。
ただ、少しばかり、強力すぎた。

「ちょ、大丈夫…?」
「だ、大丈夫、です。はぁ…、武田殿の拳は、流石、よく効きますね…。」
「何で避けなかったの?あんたの速さなら、それも出来たろうに。正直、忍びもびっくりの身のこなしだったよ。」

倒したのは私の筈なのだが、武田の方がたは何故か元気だ。中々息が整わない私を猿飛殿が案じてくれた。
殴られた頬が赤くなっているのか、猿飛殿は痛そう、と言わんばかりの顔をして、座っている私に合わせ尋ねてきた。

「さあ……、自分でもよく分かりませんが、避けなくてよかった、とは思います。心身の成長に痛みは付き物ですし。」
「ふーん…。ねえ、さっきから薄っすら思ってたんだけど、おたく、結構熱い人?」
「熱い…?私はどちらかと言うと冷え症ですが……。確かに今は動いた後なので熱いですね。」
「あっ、天然系だわ、こりゃ。……。それはそうと、さ。おたく、ウチで働かない?」
「は、いえ、小早川を移動する気はない故…。」
「そう?いやー、残念だなー、今入れば、特別待遇なのになー。何と、毎日の飯提供さらにおやつの団子付き!どうよ?お得だと思わない?」

押し売りみたいだな…。こんな勧誘の仕方は初めてだ。この勧誘、秀秋様なら揺らぎかねないな。何故おやつは団子に限定しているのだろう。

「…食べ物に吊られる程、私は単純では有りません。」
「アハハ…、流石に真田の大将の様には、いかないよな…。」

真田殿は、この口説き文句で、釣れるのか。
さてそろそろ帰ろうか、と思い始めた時、
武田殿が戻ってこられた。やや慌てて立ち上がる。もう息は上がっていない。

「お主の太刀筋、見事であった。虎帯は運や偶然などでは決して破れぬものよ。」
「、お褒め頂き光栄です。」
「ウム、わしは確かに、お主の中に風林火山の片鱗をみた…。しかし、まだ種火の如き不確かさ。それを如何するかはお主次第よ。」
「わ、私の、風林火山…?」

私に、そんな大層なものがあるのだろうか。

「これは、虎帯の試練を突破した証じゃ。受け取れい。」

武田殿がずい、と何かを私に差し出す。恐る恐ると迄はいかないが、僅かに躊躇いながらそれを両手で受け取った。
面、か?兎を模しているのか、耳に相当する部分が長い、白兎の面だ。
兎、とは地を跳ね翔けるもの、そこから、飛躍、向上する、といったように縁起の良い動物として知られている。

「次は、お主の主君と共に来れば良い。その時にこの面を身に着け、お主自身が主君の相手をするのじゃ。」
「私が、秀秋様の…?」
「あのへっぴり腰の鍋坊主、鍛え直せばもしかするかもしれん…。その役目、他の誰でも無くお主が果たすがよい!それがお主のさらなる成長にも繋がろう。」

あの武田殿が秀秋様の可能性を示唆した。更には、私の成長まで…。
武田殿のお心遣いに感服した。
道場の試練での疲労も吹っ飛ぶ気持ちだ。

「か、必ずや!秀秋様を連れて参ります!」

「え?んじゃあ〜、そん時は俺様働かなくっても良いって事、ですよねぇ!」
「そうじゃな…、お主は働かんでも良い。だが代わりに!天狐仮面には働いてもらう!」
「あー、成る程天狐仮面がねー、て……はああ!? それは冗談きついって、お館様!あれ、すっごい恥ずかしいんだけど!?」

再度、武田殿に礼を言い、道場を後にした。猿飛殿は何やら武田殿に訴えていたが、あの様子では退けられるだろう。上司に振り回される苦労人の相がありありと見えた。上司に振り回される、という点では私も似たようなものだ、要らぬ親近感が芽生えた。
門から少し離れたところで、殴り飛ばされてから戻って来たらしい真田殿が背後から声を掛けてきた。

「む、広瀬殿。もうお帰りになるのか?」
「真田殿……、ええ、これから仕事があるので。先程は、見事な槍捌きでした。貴方とはまた戦いたいです。」
「おお!某も貴殿とはまた仕合いたいと思っていた。この幸村、次は負けませぬぞ!」
「ふふ、私も負けぬ様鍛えておきます。」

一体何処を通って来たのか、葉っぱやら土やらを髪や服に付けて来ている。その状態で言われると、次の戦いの場に燃える彼の凛々しさも半減してしまっている。
年頃は私と近いのだろうが、何だか微笑ましい様な気持ちになった。

甲斐武田は、何となく、少しだけ城主様の居られたあの場所と似ている。
城主様は武田の方々と似ても似つかぬ、穏和でおっとりとした方だった。が、あの方の家臣たちは、今は亡き我が父を筆頭に、頑固で不器用で、熱い心を持った人たちだった。
よくよく思い返せば幼き頃に父に受けた厳しい稽古、武田殿の拳と重なるものがある。
そうだ、ここの熱さは父との稽古を思い出させる。

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