忍びと素敵紳士

これは小百合がまだ、松永の忍びとなって間もない頃の話である。

小百合が松永の忍びとして働くことになってから程なく、初めての任務が回って来た。
織田に与する軍の動きを調査せよ、という内容であった。
この忍びもどきは伝説の忍びから直々に教えを受け、術や動きなどはそこらの忍びを上回る実力だ。伊達に武人として育てられたわけでなく、武術に関する事となると、小百合が上達しない道理は無かった。

しかし、そこは即席、付け焼き刃の忍び。その精神は忍びと呼ぶには程遠かった。
また師である忍びは、大層無口で感情の起伏というものが稀薄、を通り越して皆無のようにしか見えない男である。
確かに忍びと語る実力は備わっていても、忍びたる心持ちや、相手を騙す話術など、そういった目に見えない、しかし、忍びならば必須でなくてはならない筈の事柄については、なんの教えも受けていないのであった。
最も、仮に教えがあったとしても小百合にそれらが身に付いたかは別の話だ。

そんな小百合は、それを己でも自覚していた。武士として育った自分はその事を差し引いても嘘をつくのが下手である、と。
不意打ちなど卑怯、騙すなど以ての外。戦うのならば正面切って正々堂々と。
心構えは、正しく古き武士のそれであった。
忍びとして働くのならば、戦力として。戦忍びとしてであろう、と高を括っていたのである。
それが、どうした事か。
偵察とは、大変忍びらしい仕事内容ではないか。私にはとても、荷が重い。
と予想と全く違う命令に内心焦りながらも、御意に、と極めて冷静ぶって頷くのであった。

また、その命令を出した当の本人、松永は、この実直な娘が狼狽え困る姿を見るのが愉しい、と近頃自覚しつつあった。
織田への謀反の為に、という名目で命令したが、松永にとっては他の軍の動きなど瑣末に過ぎず、有れば役立つが別に無くてもいい、そんな位の情報である。
ならば試しに、自分の忍びになって間もない娘に調べさせてみよう、といった具合であった。
実際に、思いがけない命を受けた小百合は、困惑しつつも、その惑いをひた隠そうとして出来ていない、という忍びであることを鑑みると何とも愉快な様を見せた。
松永はこの時点で半ば満足した。
命じられた娘にとっては堪ったもんでは無いが、知らぬが仏とはこの事である。

さて、任務を与えられたからには半端は出来ぬ、と気合いを入れ直した小百合。
織田に与する軍、と言われ彼女が一等最初に思いついたのは、良くも悪くも胡散臭いと評判の、最上軍であった。
小百合は伝説の忍びにもお墨付きを貰った疾い足で、目的の地へ向かうのであった。

城の警備はやや薄め。慣れない彼女でも忍び込むに苦労は無かった。のだが、そこからが問題であった。
自分の身分を偽って誰ぞに変装、などという器用な真似は、この忍びもどきには難があり過ぎた。ならばいっそ、堂々とそこらの兵に聞いて仕舞えばいいのでは、などという考えが浮かび上がってくるまでに小百合は参っていた。
木の枝に身を潜めながら、渋い顔でうんうん悩んでいた彼女は突如として飛んできた爪の鋭い鳥の気配に気づかなかった。また、それを追い掛けて近づいて来ていた紳士の気配にも。

気付いた時には時すでに遅し。
小百合の眼前には鳥の鋭い爪が迫り、そこは流石の反射神経で咄嗟に身体を反らし避けたのだが、些か体制に無理があり、枝から落ちざるを得なくなった。音も無く着地し、ふう、危なかった、と呑気に安堵した後、ばっ、と背後を振り返った。
そこには最上義光、その人がいた。
ぱちりと目が合ったときては、何をどう誤魔化して良いか小百合には検討もつかなかった。

「お、お邪魔しております…。」
「ふむ、木からお嬢さんが落ちてきた。さては……素敵紳士を御所望だねっ。」

そうして出来上がった、一城主と忍びの何とも間抜けた出会い。
運が良いのか悪いのか、小百合は情報を最も持っているであろうその人に会った。
こうなれば仕方ない、嘘をついてでも乗り切ってやろう、と半ばヤケクソになった忍び風情は何でもない風を装って、情報を探ろうと腹を決めた。
腹を決めたところで嘘が上手くなるわけでも無いのだが、出来るかどうかでは無く、やってやろう、という根性である。

「そ、そうなのですっ。私、最上の御城主様の御姿を一目でも良いから、みたく、参った次第。はしたないとは分かっていたのですが、小高い其方の木からならば、それも、かなうかと思い…。」

苦しい言い訳である。しかしこれが小百合の精一杯であった。
唯一の幸いといえば、小百合が忍び然とした装束では無かったことか。

「我輩見たさに木に登るとは、何とも見上げたお嬢さんだ。我輩、気に入ったよ!名前は何というのだね?」
「は、はあ。小百合、で御座います。そのように、言って頂けるとは、光栄、の極み、で、御座います。」

嘘をついたは良いものの、まさかこうもあっさりと乗ってくるとは、思っていなかった小百合。
最上義光の性格を小百合はよく知らない。

「ふむふむ、小百合ちゃんと言うのだね。さ、お望みの素敵紳士だよ、好きなだけ、堪能したまえ!」

更にぎょっ、とする小百合。
田舎と雖も由緒ある武家の出の彼女は、こういう、言葉悪く言えば、胡散臭いの極みを体現したような男とは接した事がなかった。相手は一国の城主である、という固定観念は彼女とって混乱を助長させるものでしか無い。
小百合の目には、この素敵紳士を名乗る男が未知の恐ろしい生物のように写っていた。

「い、いえ、私、あなた様の御姿をこの目にしかと、焼き付けたので、もう…、もう、充分で御座いますれば、これ以上の失礼を重ねない内に、お暇したく存じます…。」
「慎み深いのだねぇ…。ますます、気に入った!ささ、城にお招きしよう、玄米茶はお好きかな?」
「ひっ。」

出羽狐は小百合の手を無遠慮に取ると、城の方へと引っ張った。遂には、軽い悲鳴じみた声が出た小百合は、手を振り払いたくなる衝動を必死に抑えた。
労せずして城へ入れるならば、こんな僥倖はないだろう、と彼女は自分に言い聞かせながら、引っ張られて居る己の手を睨みつつ、大人しく着いていった。

そういうことになってしまった。

「…それで信長公からこの兜を頂いたのだよ。その時の嬉しさといったらもう云々…」
「はあ、左様で、ありますか。」

小百合がさして聞きたくも無い長い自慢話の末に分かったこと、それは最上は暇であるということ。必死になって得るべき情報等、欠片も見当たらない。
この無駄話が終わる兆しは未だ来ず、さりげなく帰りたい雰囲気を出しても、伝わらず。
時間を無駄にしてしまった、と後悔の念に苛まれていた忍び紛い。
もう、帰って良いだろうか、むしろ帰りたい、とその気持ちが小百合の頭を占拠する。任務とこの状況からの脱却、後者に天秤が傾いた瞬間である。
如何すれば上手く帰れるか、彼女は考えた。

「私!実は忍びなのです!」

立ち上がって忍び宣言、これが答えである。
如何にか穏便に事を運びたい、という一心で浮かんだ案は、本物の忍びからすれば鼻で笑われ、ともすれば呆れられる事間違い無しの愚策である。
回らない頭で考えた小百合は正体をばらしてしまうという暴挙に出た。忍びであるとばらして仕舞えば、追い出してもらえるだろうという寸法であった。

「私は、松永から参った、忍びの者なので御座います。」
「む?松永…、松永といえば、信長公に従っている…?」
「そうっ、その松永です!」
「何と……、恐ろしい。」

流石にこの呑気な紳士も、驚いたらしい。
遂にやったか、と小百合は戦さの駆け引きの如き心持ちでもって、勝利を確信した。
しかし。

「忍びをも惹きつけてしまう我輩の魅力が恐ろしいっ!」

小百合にひょうきんさがあったなら、ズッコケていたところである。
彼女は、心底、負けた気分になった。

結局小百合は夕餉時まで最上に留まる羽目になる。最上の忍びになってしまっても良いのだよ、とあの素敵紳士的勢いでもって引き止められたが、最終的には実力行使で彼女は城を飛び出した。
最初からこうすればよかったのだ、と小百合は一つ学ぶ。
迫り来る紳士というのは、年若い彼女に奇妙な恐怖心を植え付けた。

そして。
出された焼き鮭は美味でありました、と死んだ目で報告する小百合を見た松永。
確かに、忍びの困る様を見たかったとは思っていた彼だが、この有様は予想の斜め上であったらしい。
この後、風魔に再び彼女への指導を依頼をする松永の姿が見られたという。




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