大谷妹1

蝶の羽は焼かれて落ちた


あの方は自分は何もいらない、という顔をして、その実、何もかも奪っていくのだ。

石田様との出会いは、私の方が兄様よりも早かった。お互い幼く、今よりよっぽど純粋で頑固だった。
それでも、仲は良かったのだ。今の関係が信じられないくらいに。昔は共に半兵衛様に教えを受けていた。内容と言えば、読み書きや計算、たまに武術など。幼い子どもが吸収できる範囲の基礎的なものだった。

成長するにつれたて、その内容も変わっていった。私は女に必要なものだと言われ、花道、茶道、料理などを半兵衛様ではなく他の方からそれらを教わるようになった。石田様は兵法やら剣術やらを半兵衛様から教わっていた。私は、それが何だかとても悔しくて、人目につかないところでこっそり兵法書などを読み漁ったものだった。負けたくなかった。

私は勿論、石田様も半兵衛様のことをとても尊敬し慕っていた。お互いにそれをわかっていたから、ほんの少し仲間意識のようなものがあったのだろう。
当時からあまり、人と馴れ合わない石田様であったが、私とは軽い世間話しや太閤様との思い出などを話してくれた。

ところで、話が変わるが私には一人兄がいる。兄様は子どもの頃から聡明で、私に対しても勉強で分からないところを教えてくれるような、面倒見のいい優しい兄だった。先のこっそり読み漁った兵法書というのは、この兄様から借りたものである。あの石田様とも多少の交流があったらしい。

しかし、いつ頃からだったか兄様が病にかかられた。なかなか治らなくて、ずっと兄様は体調がよろしくなく、体が動きにくくなったらしい。酷いときには杖を使って歩いたりして。
そんな兄様をみて私はとても不安に思った。いくら看病しても、医師の方に診てもらっても、治らないのだ。
強くて賢くて優しい兄様。いつも私を導いてくれたのは兄様だった。

病気に侵された兄様の周囲は目に見えて変わっていった。腫れ物を扱うように接する方、遠巻きになって距離を置く方、優秀な兄様に嫉妬していたのかこれ見よがしに嫌味を言う方、様々だったが、そんな彼らを見る兄様の目も何処と無く冷たいような何も写していないような、怖い目に変わっていった。私はそれが恐ろしかった。

そんな折だった、石田様が兄様を訪ねてきたのは。その頃、私は兄様のお世話や兄様の病状を伝えるための実家への連絡やらで忙しくあまり石田様と会っていなかった。

石田様は兄様が病気になる前から、兄様と交流があった。それを知ったのはこの時である。それまで偶然にも鉢合わなかったのだ。

石田様は兄様を見つけると、つかつかと歩み寄ると、一冊の本を兄様の前に突き出した。兵法書のようで、年季の入ったそれには私も見覚えがある。兄様が戸惑ったような手つきでそれを受け取ると、どかっとその場に座った。
兄様はやや呆然とした後、ゆっくりと本に挟まれていた手紙のようなものを取り出した。それを読んでいる兄様を暫くぼぅ、として見ていると石田様が此方を見ていることに気が付いた。私は、はっとして頭を下げた。頭を上げると石田様とはもう目が合わなくなった。
その後、お茶を淹れてきますと言って足早に部屋を去った。

部屋に戻ると石田様と兄様は、真剣な表情をして語り合っていた。内容からして、あの兵法書の中身について論じているらしい。
二人の近くにお茶をそっと置き、再び部屋を出る。

先ほどの兄様の表情、昔の兄様だ。どくん、と嫌な音をたてる心臓、立ち止まり胸をぎゅっとを抑える。

あんな活き活きとした兄様の顔、久し振りに見た。私の前ではあんな顔しなかったのに、どうして石田様の前で、ああ、でも、喜ぶべきじゃないか、兄様のことを思うならば、だけど、でも、だって、悔しい。

そもそも兄様は私といる時、どんな顔をしていた?嫌な顔はしていなかったはずだ。あの怖い目はしていなかったはずだ。本当に?私の何がいけないと言うのか。



そうして長いこと廊下で突っ立ていることに気がついたのは、石田様が前からやってきたからだった。兄様との話が終わったらしい。石田様は私の顔を見ると、少し目を見開いてどうした、と声を掛けてきた。余程酷い顔をしていたのだろう。
私は息を吸い、大丈夫ですと答えようとしたが、何の言葉も吐き出せなかった。二人で語り合っている、あの光景が脳裏にちらついた。

無理矢理口角を上げ、何でもありませんと答えると石田様は驚いた顔をしたのち、不審げな表情で私を見た。それを無視して、失礼しますと頭を軽く下げ逃げるようにして離れる。
私を呼び止める声には聞こえないふりをした。


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