立つ鳥、春風に乗る
冬の寒さを残しながらも風は暖かい。
もうすぐ春になる。
少年、赤月は丘陵に立っていた。この丘から見える景色は彼、そして彼の友であり家族である二人しか知らない。高いその地からは生い茂る緑、その下に広がる町、遠くに立つ城まで一望できる。山をひとつ越えたところにあるせいか、あまり人も寄り付かない。川も近く、町まで遠いわけでもない。暮らすにはいい場所だ。
「今日で終わりかぁ…」
赤月がここに立つ時は、決まって大事な時だった。最初にこの地に越してきた時、大喧嘩をした時、そして、父と母の事を思い出した時だ。
今日もまた、理由があった。
彼は今日でこの家を去るのだ。
今まで幾度となく住む家を転々としたが、この家はよく馴染んだ。おかげでこの家に来てからは住む家を帰ることは無くなった。一番長く住んだ家だった。そんな家を離れる理由は、至極単純な事だった。
壬生浪士組に入る為だ。
彼は明日で十八になる。壬生浪士組の入隊資格は十八を迎えた男子。幼き頃からの夢を叶えられる時が来たことに彼は期待に満ちていた。
「赤月!」
軽快な声で彼に声を掛けた少女は桃。彼女の隣を歩く、少し背の高い少年は碧だ。
「桃!」
「おい俺はどうした」
「だってお前に呼ばれてねぇし」
睨み合う二人の姿も見慣れたものだと桃は思った。しかし、そんな姿でさえ今日が最後だと思えばなんとなしに物悲しさを感じる。
「黄昏てんのか? ガラじゃねぇことすんなって、赤月」
「なっ、俺だって思いにふけることくらいあるんだよ! 悪いか!」
「お前もそんな顔出来るんだなと思ってな」
「なんだと〜!?」
今日くらいは目を瞑ろうと思ってはいたが、止めなければ激化しか待っていない二人の口論を止められるのは自分だけなのだと再確認した桃はやはり仲裁に入ることにした。
「ほらほら二人とも、喧嘩はやめよう? 今日は三人でいられる最後の日なんだから!」
笑顔で諌める桃を他所に、赤月と碧は反省する素振りを見せることなくお互いの欠点を指摘し合う。
「こいつがうるさいのが悪い」
「こいつが口減らずなのが悪い!」
おそらく、桃の顔が二人には見えていなかったのだろう。下を向く彼女がどれほどの剣幕であったかなんて、二人には気付く余地すらなかったのだろう。言い合う二人の論争に終止符を打ったのは、ぱちんという激音だった。
赤月と碧の頬は片方ずつ手形に赤く染まっていた。
「いってぇ!」
「…ふたりとも、私、さっき、最後の日だって、言ったよね?」
「…」
「言 っ た よ ね?」
「はい…」
目を逸らして凌ごうという浅はかな二人の少年に対し、少女は逃すものかと追い討ちをかける。逃げられないと悟った二人は大人しく説教を受ける姿勢へと体の向きを変えた。
「また喧嘩してドアを壊すつもり?」
「すいません…」
「また門限破って11時になっても帰らないつもり?」
「…悪かったって」
今まで一番喝を入れられた出来事を思い出させられたこの状況に逆らおうとする者はいなかった。赤月は正座し、碧は目を逸らしながらも体は桃に向けながら真っ直ぐと立っている。いつもの光景だった。
そんな光景も、今日で終わりなのだ。
「今日でこのお家とも、お別れなんだよ」
「…ああ」
先ほどとは打って変わって、弱々しげな声に、碧か応えた。真っ青な顔で正座していた赤月も立ち上がり、桃と碧に並ぶ。
「今まで、色々あったな!」
「明日寝て起きたらもうバラバラだ」
「でも、何があっても私達は繋がってる」
「当たり前だろ。俺たちは家族だ!」
三人ともこの家を離れるのは名残惜しいのだ。しかし、時は流れる。生きるために、この先の未来のために、彼らはそれぞれの違う道を歩んで行くのだ。
赤月は幕府の役所へ行き、碧は鍛冶屋になり、桃は白川女になるとお互いに言った。赤月は、自分が壬生浪士組に入ると言えば、碧に馬鹿にされるかもしれないと思って少し濁したのはここだけの話である。
もう、同じ寝床で寝ることはないし、同じ釜の飯を食べるかもない。同じ道を、歩むことも。
「…三人が違う道を進もうとも、心はずっとここにある」
春風が吹いた。
季節もまた、冬から春へと移り変わろうとしている。