一番星を指でなぞって


「三郎くんのバカ」
「は?」

あまりに子供染みていただろうか、と少し後悔する。案の定顔を顰めた三郎くんに、今すぐ謝りたいような気持ちになったけれども、それをグッと堪えた。ヒプノシスマイクを使ったラップバトルをしている三郎くんにしてみれば、わたしが不機嫌になったところで、きっと大した脅威にもならないんだろうけれど。
左右で色彩の違う瞳がじいっとわたしを睨め付けてくるので、居たたまれなくなって視線を下に向ける。この時点でわたしは、三郎くんに負けている。どうせ勝つ気だってないし、勝てると思ったこともないのだけれど。
わたしより数段低い、でもお兄さんたちに比べれば少しだけ高い、少年特有の声音が、今はいつもより低くて。そのことが、三郎くんがわたしの発言で不機嫌になってしまったことを如実に示していて、自業自得だというのに萎縮してしまう。

「……聞き捨てならない。今僕にバカって言った?」
「い、言った……」
「名前のくせに言うようになったね。まあ、話だけは聞いてもいいけど。……僕のどこを見てそんなこと言えたわけ?」
「自分で考えてよ」
「そういうところが低脳だって言うんだよ。僕はお前より遥かに頭が良いけど、それでもエスパーじゃないんだから、お前がどう考えて僕にバカって言ったかなんてわかるわけないだろ。増して低脳の考えることなんて、難解すぎて推察するのも一苦労だよ」
「普段はわたしの考えることなんて何でもお見通しみたいな顔してるくせに、こういう時ばっかりそうやって……」
「わからないものをわかった顔するより良いだろ。どうせ僕がそう振る舞ったところで、何もわかってないって理不尽に怒るくせに」

ぐうの音も出ない正論とはこのことだった。わたしは何も言えずに黙り込むしかできず、そうやって黙って、逃げてるのはどっちだよ、と吐き捨てられた言葉に唇を噛んだ。
三郎くんは女心というか、わたしの心がわからないけれど、女が面倒だということはわたしという存在によって嫌という程理解している。きっとわたしみたいな、面倒くさい女への理解力は彼のお兄さんたちより余程高いだろうと思えた。いきなりバカとわたしに言われたことにより少し苛立っているから、いつもの嘲りながらも宥めるような、三郎くんにしかできない絶妙な口調と声音でわたしを諭すことは、できないのだろうけれど。……この状況を作り出したわたしが言えたことでもないことは、重々承知の上だ。
そもそも、わたしがどうして三郎くんにバカと言ったのか。それは至極簡単で、単純で、三郎くんが聞いたらそれはもう、呆れて物も言えなくなりそうなそれだったのだから。
だって。だって、その理由は――

「わたし、三郎くんのこと好きだよ」
「は?何いきなり。文脈考えろよ」
「三郎くんが、初恋なんだよ」
「はつ、………ああ、そういうこと」

三郎くんは何やら思い至ったようで、ため息をついた。わたしを哀れな、食物連鎖の最下層にいるような生き物でも見るような目で見ながら。
「初恋は叶わないっていうけど、山田はどう思う?」――三郎くんがクラスメイトにそんなふうに話を振られて、何気なく答えていたその言葉に傷付いたのだなんて、バカバカしくて自分でも言えやしなかった。御察しの通り、一番のバカはわたしだ。

「三郎くんは初恋が叶わないって思うの」
「統計的には叶わないんだと思うけど。まあそんな統計とったこともないけど、普通に考えて初恋なんて小さい頃の話だし、それを叶えて結婚までする、っていうのは、そうそうあることでもないだろ」
「……そう、」
「話は最後まで聞けよ、そういうところが……ああ、全く。別に、お前がそうだって言ってるわけじゃないだろ。将来のことを確約できるわけじゃないけど、少なくとも僕は、僕の有り余る未来の一端を、お前に掴ませてやっても良いと思ってるけど?」
「……なんでそう、難しい言い方するの?」
「照れ隠しだよ」

その割に頬は赤らんではいなかったし、相変わらずバカな生き物を見るような目でわたしを見ていたけれど。

「お前の初恋はとりあえず、僕が叶えておいてあげる」

その言葉だけで、わたしは救われたから。なんかもう、なんだって良いや、という気持ちになってしまう。