我儘に抱きしめてB



けれど、その距離がそう簡単に縮まる事もないーー

大学の講義。
一番後ろの席で爆睡している実弥の髪に触れると思いの外柔らかかった。
だけど数秒後、実弥のデニムのお尻ポケットにあったスマホが着信の振動を鳴らしていて。
眠い目を擦ってそれを手にした実弥はほんのり目を開いてすぐにメッセージを飛ばした。
それから隣に座っているわたしを見て小さく言った。

「終わったら起こせ、ゆき乃。」
「…うん。今日もバイト?」
「あァ。急遽な。出れるシフトは全部出てぇから。」

…昨日もスタンドのバイト夜遅くまでやってたからこんなに眠いんだよね?
大学の講義なんてわたしだって聞いてない時も多い。
けれど、こんな風に寝ずにいられない事はなかった。
寝る体勢に入った実弥の腕をちょこっと摘むと「なんだよ?」ちゃんと視線が飛んでくる。

「今日はコンビニ?」
「そうだよ。」
「…わたし代わろうか?」
「…は?お前何言ってんだァ?」

眉間に皺を寄せて机についた肘から伸びた手の平に頬を乗せてこちらを見る実弥。
だってその顔色。
今日会った瞬間に気づいた、体調よくないって。
隠してるつもりだろうけど、分かる。

「わたし代わるから実弥は睡眠とってよ!ね?」

ぐーを作った手を上下にぶんぶん振ると実弥の眉毛が下がった。

「平気だ、これぐらい。どうってことねぇ。邪魔すんなや、」
「違うよ!邪魔なんてしない。顔色悪いから心配してるの、」
「いらねぇよ、んな心配。余計なことすんなァ。」

面倒そうな顔でわたしの頭をポカッと軽く叩くとそのまま机に伏せってしまう。

平気だって、どうってこないってそう言う実弥がただ心配なだけなのに、何にも伝わらなくてもどかしい。
きっとわたしがホンモノの彼女じゃないからだって。
ハルと杏寿郎くんみたいなホンモノの恋人だったのなら実弥はわたしの言う事をもうちょっと聞いてくれるのだろうか。
またあのモヤモヤした感情が心に湧き起きる。

「実弥が倒れたらもともこうもないのに、わからず屋の石頭。」

エアーパンチをお見舞してやろうとグーの手を実弥の頭上に持っていくとチッて小さく舌打ちが届いた。






実弥がバイトに言った後、講義であったハルと杏寿郎くんとカフェでパンケーキなんて食べに行っちゃって、ホンモノカップルに羨ましいって思いつつそれでもモヤモヤを隠して家に帰ってお風呂に入った。
心の中にあるドス黒い感情を綺麗に落とさなきゃって念入りに洗った。

髪をタオルドライして部屋に戻るとスマホにメッセージを受信した白い光がピカッと目に入る。

「えっ!!!」

ハルからのメッセージと着信。その文字を目にしたわたしは頭から冷水をかけられたように真っ白で。
慌ててハルに電話をかける。

【ゆき乃!よかった連絡ついて。】
「ハル、実弥は?実弥が倒れたって、」
【うん。コンビニバイトの途中でね。ちょうどあがりの人がいたから送って貰ってアパート戻ったけど、】
「わ、わたし、実弥のとこ行ってくる!ハル連絡ありがと!」

ハルの返事も聞かぬまま服に着替えて髪も乾かさず化粧もせず実弥の住むアパートまで急いだ。


ちょうどバイトの先輩だろうか、大柄な男の人が出てきて慌ててわたしは外階段を駆け上がった。


「あのっ、実弥はっ?実弥は大丈夫ですかっ???」

縋る思いでその人の腕に捕まると、キョトンとわたしを見下ろして「もしかして、ゆき乃ちゃん?」名前を呼ばれた。

ぜぇぜぇ肩で呼吸をしながらも、「そうです、」そう答えるとニッコリ微笑まれた。

「なるほどなぁ。不死川の奴、後で散々からかってやろ。まあー大丈夫だ、ただの過労だ。そんなヤワじゃねぇよ、寝不足気味だからしばらく寝かしてやりゃあ目も覚めると思うぜ!」

ポンポンって肩を叩かれる。

「起きた時に栄養のいいもんでも食わせてやりゃすぐにでも回復するよ、あれは。そんな泣きそうな顔すんな。」

まるでわたしの心の中を読み取られたようだった。
きっと伝わってる、わたしの実弥への気持ちは。

「あ、ありがとうございます。」

頭を下げると実弥の部屋の鍵を手渡された。
迷うことなく受け取るとわたしは一人、実弥のいる部屋へと入って行ったんだ。

←TOP