「お邪魔します。」
マースのいる、樹の家に帰る。
「ただいま」とは言えなくて。
それすらも、樹の怒りに触れるんだろう。
「ただいまって言えよ、ゆき乃…」
玄関先で靴も脱がずに後ろからぎゅっと抱きしめる樹に涙が溢れそうになる。
こんなに真っ直ぐ愛してくれる人なのに、なんでなっちゃんがいいのだろうか?
樹と出会う前になっちゃんが好きだと気づきたかった。
何も言えない私にそっと樹の温もりが離れていく。
一週間前までは、この温もりが全てだったというのに。
ポンと肩を叩いて靴を脱いだ樹は私をお風呂場へと誘導した。
「夏喜の匂いのついたその身体、洗ってきて。」
「樹、私やっぱり、」
「やっぱりなに?夏喜んとこ行く?それとも、無理やり俺から逃げる?それとも…、大樹くんに助けてもらう?」
ゾクリと背筋が凍る。
今は何を言っても火に油を注ぐだけなのかもしれない。
だけれど、だからって大人しく言う事を聞いていれば樹の気が済むわけでもない。
気持ちをぶつけないと、何も解決はしない。
このまま無駄な時間を過ごすのは真っ平。
「聞いて欲しい、嫌だろうけど。本当に申し訳ないと思ってる。でもなっちゃんが好き。なっちゃんの傍に居たい…。許して貰おうとは思わない。だけど、気持ちに嘘はつけない。…ごめんなさい。」
怖くて震える。
感情が溢れて涙も流れそうだけれど、今ここで泣くのは反則だと思って必死で我慢する。
伏せていた顔をこちらに向けた樹は、ポツリと小さく言ったんだ。
「…残酷だね、ゆき乃は。」
そう、だよね。
そりゃ、そうだよね。
当然の答えだと思う。
何の弁解もない。できやしない。
「ごめんなさい。…ごめんなさい。本当にごめんなさい、」
「もういい。もううんざり。」
静かにそう言った樹はそこに置いてあった私用の着替えを手に取るとそれを玄関の外に投げ捨てた。
「出てけよ。早く行けよっ!!!!」
最後は大きく怒鳴り散らされた。
逃げるように鞄を持って樹のマンションから出た。
外は土砂降りの雨が降っている。
まるで、泣きたいのに泣けない樹の悲しみかのように…
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