そうさっき、髪を撫でたのがスイッチだったのか壱馬くんはいつもは超えてこない一線を軽く越えようとした。助手席の私の手をキュッと握って「莉子さん。」小さく名前を呼んだんだ。見つめる壱馬くんの瞳は熱くて、ユラユラとしている。目を逸らさなかったら私はきっと流されていた。でも触れ合う直前で直人の顔が思い浮かんで慌てて顔を逸らした。それでも壱馬くは握った手に力を込めて、一言だけ呟いたんだ、その低い声で。
「僕の前では何もかも見せてください。全部受け止めるんで。」
別にオミちゃんのことを話した訳でもないし、直人と気まずい訳でもない。でも私って人間の喜怒哀楽を見抜く壱馬くんをずるいと思った。何も言葉にしていないのに、顔色一つ、声色一つで私って人間の負を受け止めるって言った壱馬くんを、至極ずるいと思うんだ。
「どーしよぅ…。」
心の中は壱馬くんだらけだ。直人を愛しているのは確かで、私達だって結婚の話が出てない訳じゃない。ただ今は直人の仕事もプロジェクトを抱えていて忙しくて、このプロジェクトが落ち着いたら2人で一緒に一歩前に進もう!…そう言ってくれた直人を昨日のことのように覚えている。涙が出るほど嬉しかった。直人を信じてちゃんと待っていようって。
だけど人間なんて欲張りなもので、嬉しかったことは、時が経つにつれて色褪せてしまうようで、ココ最近の私の心は壱馬くんで癒されていたなんて。
「最低だな、私。」
梅酒ロックを飲み干してガクンとテーブルに顎を乗せる。そんな私を見て香澄が同じ酒を3杯注文した。いや多いからそれ。これ以上飲んだら本音が出そう。心の奥底に眠っている本音が…。
「ね、そういえば北人くんが、友達も何人かうちの教習通ってるって言ってたんだよね。壱馬くんとか繋がってそうじゃない?同じぐらいの歳、だよね?」
「樹は、樹!」
「樹はどーだろ?LINEしてみる?」
汐莉がスマホ片手にLINEを開くけど、ちょっと待って!なんの迷いもなく汐莉のスマホを覗き込んで楽しそうにしている香澄、違和感ないのっ!?
「汐莉LINE知ってるの?」
「うん、だって教えて!って聞かれたから。」
「ずるいなー樹ツンデレでガード固くて。あたしも知りたい、樹のLINE!」
バタバタしている香澄をくすって笑う汐莉。いやいやおかしいから、ね?だけど次の瞬間汐莉の声に胸がドクンと高鳴るなんて。