に
アイツはひたすら、泣きじゃくっていた。
俺でさえ何が起こっているのか分からなくて、分かりたくなくてむしゃくしゃしていた。なんで。どうして。嘘だろ。さまざまな感情がぐるぐると頭の中を駆け巡り、つい昨日まで当たり前に隣にいた親友の姿を思い浮かべる。くだらないやりとりをして、たまに喧嘩もして、性格や考え方は正反対だったがお互いがお互いのことを認めていた。きっとこれは悪い夢だと、何かの間違いだと現実を否定しようとしたところで目の前にいる小さな彼女がそれを否定する。子供のように泣きじゃくりながら話す彼女に自分の感情をそのままぶつけて、それから。
「ほんとクズ」
「……アイツよりマシだろ」
「そうだな。大切な幼馴染を置いていくなんて」
「あ?名前が傑と一緒に行きゃよかったって言うのかよ」
「さあ」
ふう、と白い煙を長く長く吐き出した硝子の手にある煙草はすっかり短くなっている。頭を冷やしに来たと言うのに再び苛立ちが湧いてきて舌打ちをした。
「名前のこと、守ってあげなよ」
「誰に言ってんだよ」
「……心のことだっての」
煙草をコンクリートに押し付ける硝子の姿を見れば、彼女にもいつもの冷静さがないことくらい察することができた。そのまま再び煙草へと手を伸ばした硝子だったが、さっき吸っていたのが最後の一本だったらしい。ぐしゃりと潰れた箱を視界に入れて、硝子に新品の煙草を投げる。
「そのちっぽけな優しさを名前にあげろって言ってんだよ、五条」
「……俺じゃダメだろ」
それにその煙草は優しさじゃなくて相談料だっての。
歩き出すと、どいつもこいつも、と小さく呟く硝子の声が背後で聞こえる。そしてそのまま向かう先はと言えばいつも過ごしている教室だった。
「………」
「………」
しかしそこには今一番顔を合わせたくない人物がいて、思わず動きが止まる。泣き腫らした目が驚いたように見開かれてそっと遠慮がちに逸らされた。それもこれも全部自分のせいだと言うのに眉間に皺が寄り、苛立ちを隠せずつい舌打ちをしてしまう。違う、俺はコイツを傷つけたいわけじゃない。
「……名前、」
「五条」
二人の声が重なった。顔を上げると、数秒の沈黙の後に名前はふはっと力が抜けたように笑う。目尻には涙が溜まっていて、今にもこぼれ落ちそうだった。
「…なんだよ」
「いやあ、デリカシーの欠片もない五条でもそんな顔するんだと思って」
「お前、俺のことなんだと思ってんの?」
「五条悟サマ」
自分の席に着き、机に両足を投げ出す。いつもならお行儀悪いよと足を掴むなりなんなりしてくる名前だが、今は何も言わなかった。数秒の沈黙が流れると、名前が小さく息を吸った気配がして耳を澄ます。
「ごめんね、五条。私…傑のこと止められなかった」
「は?何でお前が謝るわけ」
「何でって…だって傑は五条の大切な、」
大切な、の後に続く言葉なんて分かりきっている。だけどそうじゃないだろと否定した。
俺じゃない。お前の大切な幼馴染で、大切な。
「……お前さあ」
名前の言葉を遮るように、言葉を絞り出す。浮かんだのはさっき硝子と交わした会話だった。
「傑と、いたかったんじゃねぇの」
我ながら情けなくなるほど、掠れた小さな声だった。それでも彼女の耳にはしっかり届いたようで、ひしひしと視線を感じる。俺はと言えば目を合わせることもできず、投げ出した両足のつま先を眺めるだけだった。
「正直、私は傑の全てが間違ってるとは思わない」
それは傑と一緒に任務へ行っていた彼女にしか分からないことだった。やり方はいくらでもあっただろうけどと付け加えて、彼女は続ける。
「私も思わず手が出そうになったけど…でも、傑が止めた。名前はちゃんと悟のところに戻れ、ってさ」
「ハッ、俺はお前の飼い主かよ」
「ふふ、でも五条の顔が浮かんだら帰らなきゃって思ったんだよ。絶対傑も一緒に…帰らなきゃって」
横目で彼女の姿を見ると、彼女もまたこちらを見ていた。変わらず泣きそうな顔をして。
足を机から下ろして立ち上がれば、彼女はぐいっと顔を上げる。コイツが立ったとしても俺が見下ろす角度に大して差はないだろうな、なんて考えているとついに彼女の目から涙がこぼれ落ちた。頬を伝っていく涙を止める術など持ち合わせいない俺は、ただ名前の顔を見下ろすことしかできない。アイツなら、どうするだろうか。アイツなら、きっと。自分勝手な感情がぐるぐると胸の中にうずまいて抑えるのに必死だった。こんなことになっても彼女は夏油傑という人間を好いているのだろうかと、自分と硝子のことを棚に上げてそんなことを思った。
「私、五条といたかったんだよ」
木のざわめきや風の音、全ての雑音がやんだ気がした。それくらいクリアに彼女の言葉が耳に入ってきて、なかなか言葉の意味を理解するまでに辿り着けない。涙でゆらゆらと揺れる目は真っ直ぐにこちらを見ていて、目を逸らすことができなかった。
「……俺、お前のこと守っていいの」
はらり。見開かれた彼女の目からまた一粒涙がこぼれ落ちて、堪らず彼女の腕を引いた。
背中に回った腕にぎゅう、と力がこもる。小さく頷いた彼女は続けて言った。
「私も五条のこと守るよ」
「お前、俺のことなんだと思ってんの?」
「五条悟サマだけど…そういうことじゃなくてね」
分かんないかなあ、と彼女は優しく心臓を指さす。
「心をだよ」
再び硝子の言葉を思い出した。もしかしなくても最初からアイツは全て知っていたんじゃないか。
「あーあ、一体何カートン分だよ」
「もしかして硝子のこと言ってる?」
「…まさか今日、硝子に煙草買ったりしてねーよな?」
二人して同じことするなよ気持ち悪い。
硝子にそう吐き捨てられるのは、後の話である。
20220329
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