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カタカタとキーボードを打つ手を止め、パソコンから視線を外す。お腹が空いたなあとようやく仕事以外のことを考えたところで、朝から何も食べていなかったことに気がついた。夜ご飯の候補を頭の中で浮かべながらメガネを外して伸びをする。ついでに欠伸も溢してカレンダーを見た瞬間、ハッとした。

「露西亜寿司行かなきゃ」

今日は露西亜寿司の、月に一度のサービスデーである。全品半額、というところに惹かれるのはもちろんだが同時に大勢の人間が集まる日。行かない理由はない。
身支度をして街へ出れば一気に賑やかな空気に包まれて思わず笑みが溢れる。人々の話し声、足音、車の音、流れる広告の音楽、携帯の音エトセトラ。派手な化粧をした女子集団に、スーツを着崩したサラリーマン、地味な格好をした女の子に、見るからに柄の悪い男子集団。様々な人が様々な格好で様々な目的で同じ街を歩いている。今見せている顔の裏で、一体どんな人間関係の中でどんな思いを抱えて日々生きているのか。それらを全て知ることができたならどんなに楽しいだろう。
とはいえ、今は人間観察も空腹には勝てずお寿司のネタが頭の中の大半を占めている。赤信号をぼんやりと眺めながら今日は何のお寿司を食べようかと胸を高鳴らせていると、嫌な気配がした。

「こんなところで会うなんて奇遇だね」

「……なにしてんの、臨也」

「仕事でこっちに用があっただけさ」

「へえ。どうでもいいけど」

「……聞いてきたのそっちだよね?」

前に静雄が、池袋に臨也が来ると匂いで分かると言っていたけど私にもようやく理解できた気がする。
信号が青に変わり、それ以上話すつもりもない私は歩き出す。しかしなぜかいつまで経ってもファーコートが視界から消えてくれない。空腹なこともあってイライラはピークに達していた。

「いい加減にしてくれない?」

「は?何言ってんのっていうか何そんなにイライラしてるのさ」

「ストーカーしてるんじゃないの?」

「俺もそこまで暇じゃないんだけど、無意識のうちに嫌がらせにでもなってたならそれはそれで満足かな」

いちいち人をイラつかせる言い方をしてくる男だ。しかし付き纏っているわけではないというのならなぜ私とこうも道のりが一緒なのだろう。まさか、と二度目の嫌な予感がしたところで同時に足が止まる。そして目の前には露西亜寿司。

「………」

「俺もまさかと思いながら歩いてたけど、そのまさかとはね」

ここまで来て引き返すという選択肢はない。だからといってこの男と一緒に店に入るのも当然嫌だ。

「イラッシャーイ!臨也、名前ヒサシーブリ!仲良シコヨシスシ食ベルヨー」

「仲良しこよしじゃないから」

すると客引きのサイモンがやってきて、カタコトの日本語を話しながら私たちの背中を押す。やめてコイツと一緒に食べに来たとか思われたくない。誰にって?とにかく誰にでもだ。

「ナニ食ベル?ヨリドリミドリ今日モイイ日ヨ!タイショウ!オ客サマニメイゴ来店!」

「ちょっとサイモン、ストップ」

「俺も一名ずつのご来店にしてほしいところだけど、どうしてもっていうならこの間のお礼してくれてもいいよ?」

「お礼?あの時ちゃんとそれなりの情報は返したはずだけど」

「ちゃっかり波江さんまで手名付けておいて?」

「手名付けるだなんて人聞きの悪い。何より波江さんに失礼だと思わない?そもそも波江さんと私が仲良いからって臨也には関係のないことなんだし」

「仲が良い?ハハッ、面白いこと言うね」

「うるさいなあ。あの時の情報には感謝してるけどついでとばかりに嫌がらせしておいてお礼なんて、」

「ケンカヨクナイヨートニカク座ルトイイヨ!」

サイモンが私たちの話を聞いてくれるわけもなく、言い合いの途中で容赦なくドアが開けられた。しかし店内を見ると、さすがサービスデー。空席がない。空腹に耐えてここまで来たが持ち帰りで頼むしかないかと考えていると、店長のデニスが私たちに気づいて声をかけた。

「すまねぇが、カウンターの一席しか空いてなくてな」

どうやら奥に空席があったようだ。さてどうする、と隣を見るが臨也も臨也でこちらの出方を伺っている様子。もしかして譲ってくれるのだろうか。だとしても見返りを求められそうで嫌だしやはりここは臨也に譲って私は大人しく帰るとしよう。不本意ながらも自分の中で答えが決まったところで、座敷の部屋から出てきた男と目が合った。あの男はたしかーー

「臨也じゃねぇか。久しぶりだな」

「ドタチンも来てたんだ」

門田京平だ。喧嘩が強くてダラーズの顔役とも言われている男。臨也とは高校時代からの仲だったか。
門田は私にチラリと視線を向けて店内を見渡したあと、自分の席を指して言う。

「席空いてねぇんだろ?俺たちのとこ来いよ」

なんてありがたい。これで私は遠慮することなくカウンターで一人、ゆっくりとお寿司を堪能することができる。門田、君には今度何か困っていることがあればダラーズの掲示板からでも情報を流してあげよう。

「お前の連れが良ければの話だがな」

「……連れ?」

「ああ、彼女なら気にしないでいいよ。連れでも何でもないから」

「そうなのか?」

「ドタチン何やってんの?って、イザイザじゃん!」

「おやおや?隣の子は…」

ひょっこりと座敷から顔を出した二人は、狩沢絵理華と遊馬崎ウォーカーだった。この様子だともう一人、渡草三郎もいるのだろう。連れだと思われて危うく一緒にされるところだったが、とにかく私は一人でお寿司を食べたい。一刻も早くカウンターに向かわなければこのワゴン組に問答無用で巻き込まれる気がする。

「もしかしてイザイザの彼女!?一緒にご飯食べようよー!」

「俺たちも今来たとこなんスよ!」

頼むから勝手に盛り上がって私を巻き込まないでくれ。
二人の声を無視してカウンターに向かおうとする。が、ガシリと肩を掴まれた。振り向けば臨也がそれはそれは素敵な笑顔を浮かべている。嫌な予感、三回目。

「そんなに照れなくてもいいじゃない、名前。お言葉に甘えてお邪魔しようよ」

「ふざけるのも大概にしてくれる?」

「おー、こわいこわい」

さっき連れでも何でもないって言ってたでしょうが。
私の願いも虚しくあれよあれよと言う間に狩沢たちに引きずられて腰を下ろす。当然のように臨也も隣に座ってきて完全に逃げ場を失った。

「なんつーか…悪いな」

トイレから戻ってきた門田が気の毒そうに私を見る。男前だとは聞いていたが本当に男前だ。どこかの誰かさんとは違って。

「そんな怖い顔してないでさ、たまにはいいだろ?賑やかなのも」

「そんなに賑やかなのが好きなら静雄呼んであげるよ」

彼女という誤解も無事に解けて早々、臨也は他人事のように言ってのける。臨也は顔見知りばかりでいいだろうが、私は全員と初対面なのだ。ここで顔見知りになっておくのも悪くないとはいえ、この男がいるのでは居心地が悪い。

「イザイザと名前っちは仲良しなんだね!」

「彼女は仕事仲間なんだ」

「へえ!一緒に働いてるの?」

「私はこんな性格の悪い男と一緒に働くなんて無理ですよ。池袋で情報屋をやってます、名字名前と言います。以後お見知り置きを」

それ波江さんのことディスってるの?と言う臨也は無視し、名刺を渡して笑顔を作る。この状況でも、利用できるものは利用させてもらう他ない。

「ここで会ったのも何かの縁。何かあった時はどうぞご贔屓に。新宿の情報屋よりも格安で情報を提供しますよ」

「ありがとー!」

「臨也さん、仕事仲間っていうかライバルなんじゃないッスか?」

「バレちゃった?でも彼女の腕は俺が保証するよ」

ああ、"情報屋の折原臨也"だ。ズズ、と熱すぎるお茶をちょっぴりすすって横にいる臨也を見た。私と臨也は確かに同じ"情報屋"をやっているけれど、ライバルというほどお互いの客に手を出すことはない。それはアンダーグラウンドな世界に片足を突っ込んでいる私たちが面倒事を避けるためで、故に情報を共有することもある。
変わらず薄っぺらい笑みを貼り付けて狩沢たちと会話をしている臨也は、私が今まで見てきた折原臨也とは少し違うなと感じた。それが目の前にいる門田京平が高校の同級生だからなのか、狩沢と遊馬崎が油断ならない人物だからなのかは私には分からない。そもそも臨也に対してこんなに普通の接し方をする人間がいることが驚きなのだ。友達のような存在なんて誰もいないと思っていた。失礼だと思うかもしれないが、日頃の行いを見れば当然のことである。そんな彼らはご機嫌で大トロを口に運んでいる臨也にとって弱みになりえるほどの存在なのだろうかといくらを咀嚼しながら数秒考えてみるが、私の中で出た答えは否だった。たしかに彼らのことも人間として愛しているだろう。しかし職業柄、恨みを買うことも多く弱みになり得る特別な存在は邪魔にしかならない。恋人はおろか、家族や友達でさえも。
それは私自身にも言えることであり、なんて孤独なのだろうとプチプチ弾けるいくらの食感を楽しみながら思った。そしてそんな孤独な私にとってこの時間は割と貴重なものなのかもしれないな、と大トロに手を伸ばしたのであった。


20220427
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