インターン
記憶の蓋 二日後の深夜、死穢八斎會の案件に関わる雄英生のスマホが一斉に鳴り響いた。
決行日を知らせるメール。
ナイトアイ事務所に集合した者たちが聞かされたのは『少女は本拠地にいる』という結論だった。女児向けの玩具を購入していた八斎會の構成員に予知を使い、本拠地の地下室に少女の姿を捉えたようだ。張り込みによって治崎らが家にいる時間帯も把握済み、令状も出ているとのことで。総員、警察署前に集結した。
多くの警察官と、ナイトアイのチームアップ要請で集ったプロヒーロー、インターンの雄英生。
ナイトアイの傍らに立つ男の姿を見て西岐は表情を強張らせた。
銀縁の丸メガネをかけた柔和な顔立ちの男は、西岐の叔父の秘書をしている暗間という者だったはず。その彼が何故かごく自然に当たり前のように、プロヒーローと警察官の前に佇んでいるのだ。もしかしたら誰かしら疑問に思っているのかもしれないが、ナイトアイが隣に立たせていて何も言わない以上、気に留めることではないと納得するのだろう。
暗間はどこか胡散臭そうな笑みを浮かべて立っていて、西岐に向かってペコリと頭を下げた。
相澤に横目をやるが相澤も把握していなかったらしく戸惑いの目で暗間を見ている。
「あなたはここで私と待機です」
やんわりとした丁寧な口調で西岐に告げる。
ナイトアイがそれに頷いて警察の指揮官に目配せをし、出動の合図を挙げ、西岐がなんのリアクションも取れていないうちに周りの者たちが死穢八斎會の本拠地に向けて移動を開始する。クラスメイト達やビッグスリー、相澤も西岐を気にしつつも行かぬわけにはいかないと本拠地を目指す。
あ、と小さく声を漏らして前に進みかけた西岐の肩に暗間の手が置かれた。さほど力を入れられたわけでもないのに身体を前に出せなくなる。
先陣を行くナイトアイがチラと振り返っては暗間に向けて軽く会釈するのが見えた。
物々しい数のヒーローと警官たちの姿が見えなくなると、辺りは急にしんと静まり返る。まだ朝と言っていい時間帯だ。警察署前に訪れるような人間などそうはいないだろう。
暗間と二人だけになって、西岐はようやく全身の力を抜いた。
「……どういうこと」
状況を理解しきれていない西岐を正面に見て、暗間が口端を持ち上げる。
「どうせすぐ追いつけますよ」
軽く言ってのけてから肩に置いた手を頬に移す。僅かに熱を持っていた頬にひやりと冷たい感触がして首を竦めた。
「やはり……力が暴走していますね」
「……え」
「この間の自我を引き戻したときにもしかしたらと思っていたのですが」
耳に心地いい声音がのんびりとした調子で言葉を並べては、救出作戦の真っただ中とは思えない緊張感のなさを漂わせている。真意が汲み取れない眼鏡の奥の瞳が、瞬きのたびに睫毛から覗いて、西岐の胸を騒がせた。
「これ、あなたの仕業ですか」
問いかける声が大分疲れたような響きになった。
今は暴走状態と言っても指先が多少痺れる程度で視界が邪魔されてはいないが、ここ連日相当苦しめられたことを思い出して、西岐は眉を寄せて暗間を見据える。
「ええ、まあ、半分は」
掴みどころのない返答が返ってくる。会話をする気が果たしてあるのかどうか。
「記憶の蓋を開けすぎたようです。申し訳ない」
「記憶の……ふた……?」
「少しずつ記憶が漏れ出しているのではないですか? 思い出しかけているでしょう」
「思い出す……」
暗間の言っていることが何一つ理解できない。なのにスルッと頭に入ってきて、不調の原因が自分の記憶の中にあるのだとどこかで納得している。
「さあ、記憶を閉じましょう」
当然のように言って西岐の額に人差し指を押し当てる。
「待って」
翳された手から首を振って逃げ、落ち着かない心臓を宥めようと胸元を押さえた。分からないまま物事が進められて、分かりかけていたものまで掻っ攫われてしまう。説明も何もあったものではない。一方的に施される行為に嫌悪感さえ抱く。
「俺は知りたい」
暗間の手を払いのけて暗間の細めた目を見上げる。
「あなたのことも、自分のこともなんにも分からない。……俺は……俺のことを、知りたい」
思い出しかけている記憶に力が暴走してしまう原因があるとして、それでもその記憶を掘り起こしたかった。その記憶の底に自分の本当のことや、目の前の男のことがあるのはなんとなく分かっている。それが知りたくて仕方ない。時々、断片的に感じる既視感の正体が知りたい。
縋る思いでそう言葉にすると、暗間はそれまで浮かべていた笑みをフッと消した。
自分の靴の先を見つめるように目を伏せ数秒沈黙した。
「……あなたの力は感情の揺れで膨れ上がります。過去の記憶はきっと凄まじく感情を揺り動かすでしょう。今、完全にコントロールを失っても構わないと?」
上げた視線が真っ直ぐにぶつけられる。柔らかだった印象ががらりと様相を変えて、その鋭い眼光に西岐の芯がビリと痺れる。
ふ、と口角を持ち上げて微笑むが、今までとまるで違う。挑発的な嘲りだ。
「ああ……ほら、こうしている間にも、大変だ」
大変と思ってもいないであろうゆったりした口調で言いながら、みんなが向かった本拠地の方へと顔を向ける。
西岐は単純で、そんな風に言われたら見ないではいられない。目を眇めては遮蔽物をどんどんと透かして死穢八斎會の本拠地の建物に視界を到達させる。玄関先で攻防を繰り広げる構成員とヒーローの脇を通り過ぎ、壁をすり抜け、ナイトアイたちが通ったらしい通路を辿っていく。
治崎の腹心の部下である証、マスクをつけた男三人を相手に血まみれになりながら戦っている天喰を見つけた。耳に滑り込んでくる会話からはどうして天喰が一人で相手をしているのか推し量ることはできなかったが、きっと他の者たちを先に行かせようとしているに違いなかった。
天喰がいる場所も、その先の通路も、コンクリートの壁や天井がぐにぐにといびつに曲がっている。これも構成員の個性なのだろう。
その道の先の途中が塞がっていて、視線をずらした先の穴倉では、また別のマスクの構成員二人を相手にファットガムと切島が闘っているのが見えた。敵の攻撃によって切島の硬化している身体が砕け、砕けても尚また硬めて攻撃を受け止め、血を、肉体の断片を、飛び散らせながらファットガムに反撃を放つタメを与えている。
勝手に視界がぐるんと動いて、コンクリートの小部屋をいくつもすり抜ける。
小部屋に分断されたヒーローと警察の姿を見つけた。
その壁のすぐ向こうで、赤い血が飛び散る。
捕縛武器にグルグル巻かれながらも器用に体を旋回させた渡我のナイフが相澤の背中に突き刺さる。
「――……記憶を」
反射的に声が転がり落ちる。
「消して、早く」
コントロールを失っている場合ではない。感情に振り回されている場合でもない。今動けなければ何の意味もない。
焦燥が声に、顔にあからさまに表れていた。
暗間の指先が再び西岐の額に触れる。
今度はまぶたを閉じて施されることを受け入れていた。
ただ一つ、聞いておきたいことがあった。
「あなたは……何者?」
声が返ってくる様子はない。
触れられている一点だけがじわじわと熱を帯びて頭の奥が痺れていく。泉の底で水が湧き出てくるように溢れていた感情や記憶の断片やいろいろなものが渦を巻いて小さく小さくなっていく。
段々と何を考えていたのか、今どこにいるのか、分からなくなっていく。
パンッと何かが弾けるような感覚に意識を覚醒させられ目を開くと、もうそこに暗間の姿はなかった。
短く切りそろえたはずの前髪が鼻先までを覆い隠し、時折吹き抜ける風に靡いては頬を擽った。
create 2018/04/09
update 2018/04/09
ヒロ×サイ|top