文化祭
本分



 数日後。
 表向きは事件がすっかり終息し、ナイトアイの葬式も執り行われた。
 身近な人の死、それもヴィランによるヒーローの死というものを味わい、沈み込む感情を処理できないうちにどんどんと時間が経過していき、事務所の引継ぎやインターンの方針転換などがはやばやと進んでいった。
 ナイトアイの事務所はサイドキックのセンチピーダーが引き継ぎ、インターンに関しては今回の事件にヴィラン連合が関わっていたことが明白となったことで学校とヒーロー事務所の話し合いの末、しばらく様子見とのこととなった。
 救出した問題の少女・エリは意識が戻ったもののまだ精神的に不安定で、いつまた暴走してしまうか分からない為、面会は出来ないようだ。彼女の個性を放出していた額の角は熱が引いていくにつれ縮んでいき、今はほとんどコブくらいにまで縮んでいるとこのこと。このまま個性が安定していけばいいのだがと相澤がため息交じりに言っていた。

 なんにせよ、あの事件に関して西岐たちインターン組に出来ることはもう殆どなく、インターンを保留にされた今やるべきことといえば、日々の授業をこなすこと。ただでさえ座学という座学の成績は芳しくないというのにすっかり遅れを取ってしまって、黒板に書かれている内容も教師が読み上げる内容も全く理解できないどころか今何をしているかさえさっぱりだ。
 インターンで減ってしまった出席日数と遅れを補習で補いつつ、それでもレベルアップしていく授業内容について行けていない西岐は爆豪に泣きついた。

「全部の授業が日本語じゃないの……」
「分かる、あれは俺の知ってる日本語じゃねえ」

 同じくインターン組の切島が隣でこくこくと頷く。

「……全部の授業かよ」

 爆豪の眉間の皺がいっそうくっきりになって西岐は重ねて持ったノートをぎゅうと握った。呆れただけの表情も不機嫌に見えて怖気づいてしまう。やはり以前の感覚に戻ってしまっているのを実感して、ソファーの上でじりじりと横に逃げる。と、背凭れ越しに背後からトンと肩に指が置かれた。

「れぇ、俺が教えてやろうか」

 既視感を覚える台詞が降ってきて、振り返ると案の定、轟が立っていた。

「……あ」

 爆豪相手に強張っていたものがふっと解ける。
 そうか、轟にお願いすればよかったのかと思いながら轟に向かって頷きかけて、それを遮るように苛立たしげな舌打ちが響いた。
 顔を前に戻すより先に手に持っていたノートが乱暴に奪われる。

「部屋でやんぞ」

 今度こそ間違いなく不機嫌な顔つきでさっさとエレベーターのボタンを押して乗り込む爆豪に、西岐は慌てて立ち上がり轟へ『今度教えて』と返事をしてから追いかける。一緒に教えを乞うつもりだった切島が『最初っから素直にいいぜって言ってりゃいいのに』とかなんとか言いながら苦笑して乗り込んだところでエレベーターの扉が閉まり静かに上昇していった。





 夏休みから引き続き授業でも行われているのが、必殺技の向上訓練。
 最低二つの必殺技。
 出来ていない者は開発を、出来ている者は更なる発展を。
 セメントスの指導の元TDLにてそれぞれが自身の個性の長所短所と向き合い励んでいる。

「このくらいでいいか?」

 等間隔に氷のブロックを四つほど並べて轟はそれらから距離をとる。

「うん、ありがと」

 頷きお礼を言って氷の方へ手のひらを翳した。
 ふわりと空気が螺旋を描きながら肌の表面を滑っていき、髪が何かに靡いてふよふよと泳ぐ。
 手のひらの先から何かが噴き出していくイメージを頭に描くとそのままに力が噴出し、正面に置かれていた氷のブロックをすべて一気に噛み砕いた。

「……あ……あー」

 思っていたのと違う結果に眉が垂れ下がる。
 こんなに広範囲を全力で破壊尽くしてしまってはいけない。これではやりたいことには程遠い。

「もう一回作るか?」

 返事を待たず再び氷のブロックを四つほど並べられた。

「……ごめんね、しょうとくんも訓練あるのに」
「いい、れぇに頼られたい」

 轟も訓練に専念したいだろうに西岐の頼み通り何度も何度も氷のブロックを作っては付き合ってくれている。申し訳なく思うものの、当の本人はしれっとした顔で返してくるものだから、西岐は甘えることにした。
 もう一度、手のひらを翳す。
 今度は思いっきり力を弱めようと加減を試みる。
 前に噴出する力をグッと堪えるようなイメージを浮かべた。

「――ッッ」

 堪えたはずの力が手のひらのすぐ先で弾ける。
 ――ボフッ。
 空気の詰まったクッションを叩いたかのような音と共に西岐の身体が勢いよく後方へと吹き飛んだ。

「わ、あ、ああ、ああ」

 どうにかしなければ、止めなければと思うのだが手のひらから噴き出る力が抑えられず勢いも弱まることもなく身体が物凄いスピードで宙を走る。このままでは壁に叩きつけられてしまう。こうなると頭が軽いパニック状態に陥って、ただただ受けるであろう衝撃にギュッと目を瞑る。
 だが……。
 ボンッと破裂音がしたかと思うと、後方に吹き飛んでいた身体ががっしりとしたものに抱き留められた。
 緩やかな動きで地面に降ろされ恐々目を開くと、爆豪の気遣わしげな視線とぶつかる。

「何やってんだよ」

 力が噴出していたはずの手が爆豪に握りこまれていて、いつの間にか止まっていることに気付く。そうでなかったとしても爆豪なら容易く受け止められるのかもしれない。流石の機転と身体能力に感心している西岐を覗き込んだまま爆豪が溜息をつく。

「何やってんだ、って聞いてんだ」

 解放ついでにペチッと頬を叩かれて慌てて口を開きかけたところに、ダンッと音を響かせて轟が近くの地面に着地した。
 セメントで設置された西岐の訓練スペースからここまで追いかけてきてくれたらしい。

「……、大丈夫か?」

 隣の爆豪をちらりと一瞥して少し表情を険しくしつつも西岐を気遣ってくれる。

「うん、あの……うん」

 どちらに返事をするべきか迷って曖昧に頷いていると爆豪の眉間の皺がくっきり深くなって、解放したはずの手を掴んできた。

「だからな、何してんのか聞いてんだろうが」
「念動力のコントロールを」
「テメェには聞いてねぇんだわ」

 西岐の代わりに答えようとした轟を爆豪が憤慨交じりに遮り、その瞬間、周囲の空気が一段と悪くなった。
 ピリピリと張り詰めたものが今にも破裂しそうに思えて、おずおずと口を開く。

「この間のね」

 西岐が言葉を発するなり二人分の目がしかとこちらに向いて、西岐はどうにも話しにくさを感じる。

「あのときにね、えっと、ちっちゃい子とかつきくんたちが滑り台作ったりしたときの」
「……補講か」
「ん、そう、補講のちっちゃい子いたでしょ」
「いたな」
「くらまさんがね、ちっちゃい子だけふわ〜って浮かせたでしょ」
「……あ?……ああ、やってたな」
「あれがやりたいの」

 脳裏に蘇るのは仮免補講の後片付けの段階に入った時のこと。目良という公安委員に促されて子供を手懐けることになった暗間が小さな子供たちだけを選別して宙に浮かせたあの一件。
 まさか暗間が念動力の類を使いこなすとは思っていなかったこともあってとても驚いたのだが、それ以上にあの精緻なコントロールに驚愕した。
 西岐が同じことをしようとすればその場の周囲の人間をごっそり吹き飛ばしてしまう。子供だけを選ぶことも困難であれば、あんなに優しく浮き上がらせることもまた不可能に近い。暗間と西岐、同じ念動力と一括りにするにはあまりに差がありすぎた。
 攻撃の手段として破壊力があるのは喜ばしいが制御力に欠けているのでは困る。
 それで人程度の大きさの氷のブロックを作ってもらい、狙ったものだけを浮かせようと試みていたのだ。

「でも、弱くしようとしたら吹っ飛んじゃって」

 どういう原理で力が作用しているのか西岐自身よく分かっていないこともあって、状況を上手く言語化できず語尾がもごもごと口の中で籠って消える。

「前に向ける力を抑えて後ろに吹き飛ぶんなら指向性は確立してるってことだな」

 要領を得ない西岐の説明から状況を把握したらしい爆豪が再確認のように言葉を並べる。小難しい話に思えてハテナマークを浮かべる西岐にフッと表情を緩めた。

「狙った方向に放出できない分が反対側から出てきてるってことだろ」
「ん……たぶん?」

 爆豪に握られている手に視線を落とす。
 力が作用している時の感覚を説明するだけの言語力が足りないが、恐らく爆豪が認識してくれているのが正しい。

「要は指向性の範囲を絞るってことと力の加減だな」

 そう言ってうんと唸る。どうしてか爆豪が西岐の課題に親身に悩み始めたのだ。
 爆豪だって自身の訓練があるだろうに。

「あ……ありがと……、えっと……いいよ、あの、俺、自分でやるから」
「俺がついてるから気にするな」

 手を引っ込めて遠慮がちに言う西岐の隣に轟が寄ってきて、さあ戻ろうとばかりに肩を押して促した。

「……お前、どんなイメージで力使ってる?」

 踏み出しかけた脚が爆豪からの問いかけで止まる。
 イメージ。
 力を使う時に必ず脳裏に浮かべる、そうでなければ今のところ発動してくれない。そのことを爆豪に教えたのだったかと記憶を探りつつ素直に答える。

「なんか、こう……空気の塊が飛び出ていくような……」

 西岐が応えきる前に爆豪が『やっぱりな』とばかりに息を吐いた。

「空気を動かしてんだから、そりゃ操りにくいわ」
「……確かに」

 爆豪だけでなく轟までもが納得しているのだが西岐自身は未だに爆豪が何を言っているのか理解しきれずハテナマークが乱舞する。

「お前がやっているのは念動力で空気を押し出してその空気でモノを動かそうってしてんだ。二度手間だし、そもそも空気を自在に操るなんてのはそれに特化した個性でもなきゃ難しい。結果吹っ飛ぶ」
「えっと、えっと、かつきくん、難しい」
「暗間のときは空気は動いてなかっただろ」

 空気、というものに焦点を置いてもう一度あの時の光景を脳裏に思い浮かべてみる。
 静かに浮き上がった小さな子供たち。
 言われてみれば確かに空気を動かしたような気配はない。見えない手で持ち上げたかのように静かでスムーズだった。

「モノに直接力をかけるイメージの方がいい」
「直接……」

 そういう考え方はなかった。
 そもそもどうやればこの力が扱えるのかさえ分からず手探りで導き出した『空気が押し出されるイメージ』なのだ。まさかそれが変な枷になっているとは思いもしなかった。
 だからなのか、直接というイメージはすぐに馴染まない。
 どうすればいいのか頭を抱えそうになる。
 すると、轟が思い出したように『あ』と声を発した。

「ビッグスリーと手合わせしたとき天井に貼りついてたけど、あれはどうやってたんだ?」

 一見脈絡のない問いかけ。西岐は思い浮かべていた記憶を補講からインターン以前まで巻き戻していく。雄英でビッグスリーと呼ばれる三人からインターンについて実体験を含めて説明をしてもらう中で、通形と直接手合わせをするという流れになり、クラスメイトが次々とノックアウトされていく最中、西岐は天井に身体を貼りつけて様子見をしていた。轟が言っているのはあのことだろう。
 謹慎中でその場にいなかった爆豪が少々怪訝に眉を顰める。

「あれはね、予知が見えててね、『あ、できるんだ』って思ってやったの」
「今できるか?」

 重ねて問いかけられて西岐はコクッと頷き、意識を自分の身体全体に向けた。
 纏っている空気がふわふわと揺れる。空気に皮膚の表面を舐められる感触にフッと身体を委ねると足先が地面から浮き上がり、ゆっくり、ゆっくりと天井に向かって上昇していく。到達した天井に手を付き、力が上に向き続けて浮き上がり続ける身体を固定する。
 数秒そこでじっとしたのち、ぱっと小さく呟いて轟たちのいる場所に一瞬で戻った。

「こんな感じ」
「……出来てんじゃねえか」
「……れぇ、出来てる」

 振り返る二人の声が重なる。

「今の感じでやればいいんじゃないのか?」
「え……?」

 今のと言われてふよふよと視線が彷徨う。理屈を理解もしていなければ考えもせずに身体を浮かせていたのだが、もしかしなくとも今のは西岐がしたいことそのものなのだろうか。
 いや、でも、理屈を理解していないから再現の仕方が分からない。
 しかし才能の塊の二人は西岐の感情が追いつくまで待っていてはくれず、セメントの塊と氷のブロックを並べた。
 やってみせろ、と。
 とにかく実践あるのみなのは間違いないわけで、自信がないままに手のひらを翳す。
 そこへ爆豪のストップがかかる。

「手全体じゃなく指だけにしてみろ。暗間はそうしてた」
「ん、うん」

 爆豪からのアドバイスを素直に受け入れて人差し指以外を折り曲げて、その指を目標物に向けた。確かあの時暗間はこんな風に手を動かしていた、と思い出しながら動きをトレースしていく。
 クンと指を折り曲げる。
 ――ドゴンッ!!
 想像していなかった破壊音が頭上で響いた。
 とんでもない勢いで吹っ飛んだセメントと氷が天井にぶつかって砕け、ぱらぱらと降ってくる。

「……あー」

 指向性を絞ることも力を加減することも全く出来ていない。
 しかも……しかもだ。

「……く、そ」

 天井の資材を爆破で抉りそこを鷲掴みにして堪えている爆豪が、上から凶暴な眼差しを向けてくる。
 なんと、目標物のすぐそばに立っていた爆豪まで吹き飛ばしてしまい、思い切り天井に叩きつけてしまったのだ。明らかに激怒している。

「…………どうしよう……」

 どうやってあの怒りを解けばいいのか、と頭をグルグルさせている横で轟が何事も無かったかのように『次の氷作るか』と暢気に聞いてくるのだった。
create 2018/10/30
update 2018/10/30
ヒロ×サイtop