文化祭
少女に笑顔を



 久しぶりに学校へ顔を出した相澤がHRの時に『後で話す』と言っていたエリに関する話題を、インターン組の補習の前に話し始めた。
 相澤曰くエリちゃんが緑谷に会いたがっている、と。

「厳密には緑谷と通形、それと西岐を気にしている」

 並べられた名前の中に自分の物が入っていることに西岐は『えっ』と小さく反応してしまい、相澤の鋭い視線がこちらに向いて慌てて目を逸らした。

「要望を口にしたのは入院生活始まって以来初めての事だそうだ」

 重ねて告げられた話に、それならば是非会ってあげたい、初めての要望くらい叶えてあげたいと思うのだが、しかしどうして自分まで気にされているのかが分からない。エリという少女には街中でバッタリ出くわしたあの時しか接触がないはずなのだが。
 いや、……それ以外に接触していることはしている、と思うが、確信もないし記憶もない。
 果たして会ってしまって大丈夫なのだろうか。

 動揺を押し殺して自分の手元に視線を落とした西岐に相澤の鋭い視線が注がれ続けていたのだが、それに気付く余裕もなかった。





 病室に訪れた三人とエリとの間に奇妙な沈黙が数秒あった。
 それは別に不快なものではなく、けれど喜びに満ちたものでも驚きでもない、本当に奇妙な間だった。
 彼女が三人をどう思っているのか分からず探るように視線を合わせて、まず初めに通形が屈託なく笑った。

「会いに来れなくてゴメンね」
「フルーツの盛り合わせ! よかったら食べて!」

 言葉を発さないエリに緑谷と通形が優しく言葉をかける。怖がらせないように、気持ちがほぐれるように、そんなふうに気にかけているのが横にいて伝わってくる。

「好きなフルーツある!? 俺当てていい!? ももでしょ!? ピーチっぽいもんね!」

 自信満々に通形が当てに行くのだが『リンゴ』と答えが返ってきてすかさず『だと思ったよね!!』と切り返す、このノリだけで乗り切る感じ、好きだ。
 お見舞いに行くとなってから緊張なのか何なのか分からないもので強張っていた表情が緩み、思わずふふっと笑ってしまう。それに気付いたらしいエリと目が合って、西岐は籠の中のりんごを手に取る。

「じゃあ、剥いてあげるね。うさぎさんがいいかな」

 病室の外で様子を見ていた看護師にナイフを貸してもらえないかと頼んで、サイドテーブルで器用にりんごをうさぎの形に切っていく。皿に並んだりんごを見てエリの目が少し輝いた気がする。
 シャクシャクとりんごを齧っていくのを眺めて、三人は丸椅子に腰を落ち着かせた。
 きちんとした対面が初という緊張感はエリが二切れ目を食べ終える頃には少し和らいできた。そしてゆっくりとエリが口を開いたのだ。

「ずっとね、熱でてたときもね、考えていたの。助けてくれた時のこと……でも」

 ぽつりぽつりと発する言葉をひとつひとつ聞き逃さないように耳を傾ける。

「お名前が分からなかったの。ルミリオンさんしかわからなくて、知りたかったの」

 それを聞いて緑谷がハッとした。
 彼女との出会いは街角でバッタリだったし、あとはあの混乱のさなかだ。名前を把握する余裕などなかっただろう。
 慌てたように緑谷が名乗り、ヒーロー名の方が覚えやすいかとデクと教えてやった後で、西岐も名乗る。

「俺もヒーロー名……サイキっていうから、それで覚えて」
「サイキさん」

 西岐が名乗るまま素直に復唱したエリに笑みを向ける。だが彼女の表情は一段と曇り俯いてしまう。

「あと……めがねをしていたあの人……、みんな……私のせいでひどいケガを……」

 そう零す彼女の言葉に、彼女が今何を一番憂いているのかが分かって、三人の目の中に暗い影が過った。
 自分の不幸でも不安でも痛みでもなく、自分のせいで苦しくさせてしまった人のことを憂いている。
 病院に訪れる直前相澤が言っていたことが脳裏に蘇る。
 エリという少女は何でも自分のせいにして抱え込んでしまう性格のようで、今は酷だろうとナイトアイの死のことは伝えていないらしい。そもそもこんな小さな子供に見知った人の死を告げるのは躊躇われる。
 相澤や他の大人たちの判断に改めて納得しながら、涙を浮かべる少女を見つめて西岐はかける言葉が見つからずにいる。こういう子供を励ます術を自分は持たない。他人を明るい方向に引っ張ってやれる強さがない。ただどうにかしてあげたい気持ちだけを胸に充満させながら見つめる。
 と、その彼女の涙目が西岐に向けられた。

「サイキさん……からだバンッてなってどろどろってなって、いなくなっちゃって」

 エリの言葉にヒュッと息を飲む。
 何を言っているのか分からないが彼女は間違いなくあの混乱のさなかのことを言っているのだろう。分身の行動を知るすべがなく今の西岐には全く覚えがないけれど、何となく壮絶な状況に陥っていただろうことが分かる。何故なら横に座っている緑谷がそういえばとばかりに探る目を向けてくるからだ。
 身体がバンッとなってドロドロになっていなくなった……。
 一体自分の分身は何をしていたのか。
 この話は相澤も聞いたのだろうか。
 何か上手く返事をしなくてはと思っている間にエリは通形の方に向き直っていた。

「私の、私のせいでルミリオンさんは力を失くして……」
「エリちゃん!」

 明るい通形の声が涙声を遮る。

「苦しい思いしたなんて思ってる人はいない。みんなこう思ってる! 『エリちゃんが無事で良かった』って!」

 ぽんっとエリの頭を撫でて何でもないことのように言う通形。

「存在しない人に謝っても仕方ない!! 気楽にいこう、みんな君の笑顔が見たくて戦ったんだよ!」

 どうしてこんなに力強く言えてしまうのだろう、と。西岐は眩しげな眼を通形に向けた。師事していたナイトアイを失い、個性を失い、次期ナンバーワンと言われていたその可能性も失いかけている。普通なら失意の真っただ中にいるはずだ。
 これがヒーローとしての輝きなのかと。
 それはいつも緑谷からも感じる、ヒーローがヒーローたるに一番必要なもののように思える。

 通形の精一杯の励ましに、エリはどうにか笑おうと試みたのだろう。
 ぐぐっと顔に力を入れてみたり、手で頬を引っ張ったり。

「ごめんなさい……笑顔ってどうやればいいのか」

 笑ったことのない少女に笑う方法なんて分かるはずないのだ。
 治崎の影がまだ彼女を捉えている。
 ――この子は……、この子は未だ全然救われてはいない。

「俺もね……ちょっと前まで笑えなかったんだ」

 膝の上で握られた手をやんわりと取った。どうしたらいいとか、何を言ってあげようとか考えるより先に身体が動いて、口から言葉が溢れていた。

「でも、ある時すっごーくかっこいいヒーローに救けてもらってね、そしたらちょっとずつ笑えるようになって、今はこんな感じなの」

 背後で誰かが盛大に咳き込んだのが聞こえる。
 こんな感じと言いながらいつもどおり、ふにゃりと力なく笑うと、手に包んだ小さな手が少し柔らかく解けた。

「エリちゃんにはかっこいいヒーローが二人もいるんだから、絶対笑えるようになるよ」
「私の……ヒーロー……」

 大きな瞳がぱちりと瞬いて緑谷と通形を見る。
 ああ、ちゃんと分っている。誰が自分を助けてくれるのか分かっているのだ。
 そのタイミングで緑谷が弾かれるように立ち上がり入り口に寄り掛かっていた相澤の元へと駆け寄る。

「相澤先生、エリちゃん一日だけでも外出できないですか……?」

 突然の問いかけにも相澤はいつも通り落ち着いた返しをする。

「無理ではないハズだが。というかこの子の引き取り先を今……」

 何気なく重要で耳に引っ掛かることを言いかけた相澤を緑谷が前のめりに遮ってしまう。

「じゃあ、エリちゃんも来られませんか……!!?」

 どこにという言葉を未だ言っていないうちに相澤はあっさり言いたいことを理解したらしく『……なるほど』と納得した。
 何の話か飲み込めないのは通形と西岐で二人揃ってきょとんと緑谷の次の言葉を待つ。

「文化祭! エリちゃんも来られませんか!?」

 改めて言い直された問いかけに、通形の表情がパッと輝き、西岐もまた『あっ』と呟きながら口元を押さえた。
 今年の文化祭は件の騒動のお陰で一部の関係者以外立ち入れない、学内だけの催しとなることは決まっている。安全かつ、彼女にマイナスの刺激を与えすぎることもないだろう。万が一のことを考えても相澤がいる雄英ならば対処も容易い。これ以上ない環境だ。
 何より、きっと文化祭は楽しい。
 クラスメイト達があんなに盛り上がっていたのだ、楽しくないわけがない。

「ぶんかさい……?」

 少し身を乗り出して問いかけるエリ。
 文化祭自体がわからないながらも、みんなの表情や雰囲気から興味が惹かれたのだろう。

「エリちゃん! これは名案だよ! 文化祭っていうのはね! 俺たちの通う学校で行うお祭りさ! 学校中の人が学校中の人に楽しんでもらえるよう出し物をしたり食べ物を出したり」

 通形の説明を聞きながら西岐はそうだったのかと思う。実は文化祭なるものがどういうものがよく分かっていなかった。とにかくクラスで何かやって楽しむ、そういうものなのだろうとHRの様子を見てなんとなく分かったつもりでいたのだが。認識が大きく違っていなくてよかった。

「リンゴ! リンゴアメとか出るかも!」
「リンゴアメ……?」
「リンゴをあろうことかさらに甘くしちゃったスイーツさ!」
「さらに……」

 通形がエリの気持ちを盛り上げようと重ねる言葉にエリの頬がほんのりと色づく。余程りんごが好きなのだろう。関心を引くには十分だったらしい。

「校長に掛け合ってみよう」

 言葉通りに早速スマホを操作する相澤。
 このすんなり感はきっとさっき言いかけたことと何か関係があるのだろう。

「……それじゃあ……! エリちゃん……どうかな!?」

 環境も恐らく整う、緑谷も通形も西岐もみんな乗り気だ。
 さて、本人は、と問うと、彼女はぎゅうと強く拳を握りこんだ。それはこれまで痛みや苦しさから耐えてきたあの強張りとは違う、もっと前向きな、力を奮い立たせるような仕草。

「……私、考えてたの。救けてくれた時の……救けてくれた人のこと……。ルミリオンさんたちのこと、もっと知りたいなって考えてたの」

 苦しくさせてごめんなさいという気持ちの奥にこれほど前向きな気持ちを秘めていたとは。
 救うというのはこういうものなのだ。
 彼女は自分でもう明るい方へ歩こうとしている。彼女自身気付かないうちに。
 ヒーローとしてこれほど喜ばしい言葉はないだろう。極まって通形の声がより一層熱を帯びていく。

「嫌って程教えるよ!!! 校長に良い返事がもらえるよう俺たちも働きかけよう! 俺、休学中だからつきっきりデートできるよね!」
「でぇと?」
「蜜月な男女の行楽さ!」
「みつげつなだんじょのこうらく?」
「先輩何言ってんですか」

 勢いが凄すぎて空回りしている通形と、純粋すぎるエリと、冷静なツッコミを入れる緑谷の、楽しみという空気に満ちたやり取りを眺めながら、西岐も未体験の文化祭に思いを馳せてふわりと笑うのだった。
create 2018/11/02
update 2018/11/02
ヒロ×サイtop