文化祭
変調



 文化祭で慣れないダンスを披露することになって毎日練習に明け暮れる日々だが、西岐は昼夜時間が空けば能力の鍛錬に費やしていた。
 先の闘いで己を不甲斐なく思ったのは切島達だけではない。西岐もまた同じだった。あの場では精一杯やったと思っていたが、失ったものの大きさを後から知って、もっと最善があったのでは、もっと動けてさえいれば違ったのではないかという気持ちが、西岐を駆り立てていた。
 そう、相澤を救けに行きながら敵に攻撃を加えられたのなら……。
 治崎へと向かったのが分身ではなく自分自身であれば……未来は大きく違った気がする。
 それも思い上がりに過ぎないのかもしれないが。

 遠隔攻撃。
 遠隔作用。
 そういうものを可能にしたい。
 壁や距離を隔てても敵を打破できるようになればきっと今後様々な局面で役に立つに違いない。

 自主練を申請して借りている演習場にて。
 ペットボトルを一メートル間隔に並べて念動力を当てる。
 ペットボトル一本に狙いを絞ることは段々出来るようになってきた。だがふわふわ優しく浮き上がらせるという力加減は全く出来ておらず、ペットボトル程度の強度のものは一瞬で破裂させてしまうので気を付けなければいけない。仮免試験の時にうっかりギャングオルカに使っていたのを思い出して今更ながら恐ろしく思う。
 勢いよく弾かれたり、宙に飛ばされたり、任意の方向に飛んでいくペットボトルを瞬間移動で追いかけては拾ってきて元の位置に戻す。

「……引き寄せられないのかな?」

 拾いに行くのを面倒に感じ始めたあたりでふと思いつく。
 指向性があって任意の方向に飛ばせるのなら手元に寄せることもできるのではないかと。
 引き寄せる。
 どういうイメージを浮かべるべきかと数秒悩んだのち、手のひらを翳した。
 あくまで飛ばすときと同じ、物体そのものに力がかかって手前に動くイメージを描きながら、ふよふよと漂う周囲の空気を感じ取る。
 しかしペットボトルはピクリとも動かず地面に転がっている。
 もっと具体的なイメージがいいのだろうか、そう考えてふと補講の時の暗間が脳裏に蘇る。見えない手で掴み上げたような静かな感覚。
 あの感覚を思い出しながら見えない手をペットボトルへと伸ばすイメージを浮かべる。

 それでもペットボトルが動く様子はない。

 やりたいことが明確なのに、どうやってもそれが出来ない、発動しない。もどかしいこの感覚はまるで念動力を始めて意識的に使おうとした林間合宿での訓練の時のようだ。
 ――林間合宿。
 そこに思い至って、浮かべるべきイメージが勝手にポンッと浮かび上がった。

 死穢八斎會の地下室に血を流して倒れる相澤と、押さえつける玄野の姿を思い出す。
 手を、伸ばす。
 遠くから、相澤に。

「――……」

 サァ、と微かなノイズが優秀な耳に入り込む。
 視界の先でペットボトルが浮き上がり、自分の手を引き戻すように滑らかな動きで引き寄せられてくる。
 それを右手で受ける。

 成功した。
 喜ぶべきなのだろうか。
 けれど激しい動揺に思考が揺さぶられていた。
 ペットボトルを静かに地面に置いて校舎の方を振り返る。誰か、誰かと視線を巡らせて緑化地区にいるオールマイトと緑谷を見つけ、考えがまとまるのを待たず二人の方へと一瞬で移動した。





 突如姿を現した西岐にもさほど驚かず『おはよう』と暢気に挨拶をしてくれた二人が、きちんと改めて西岐の全身を視界に収めてから大きく目を見開いた。

「え……! れぇちゃん……腕!!」
「西岐少年! 腕はどうしたんだ!!!」

 二人揃って西岐の身体の側面でプランと垂れ下がる体操服の袖を指さす。
 本来ならほっそりした腕がそこから伸びているはずなのだが、力なく風に揺れる袖口から先にその腕はない。
 腕が無くなっているのだ。

「あのね、……どっか行っちゃった」

 説明しようと開いた口が、説明しきれずふにゃと歪む。

「どっかって!? 腕がどっか行っちゃったの!? 痛くないの!?」

 触るのも躊躇われたのか数十センチ離れたあたりで緑谷の両手が彷徨っている。畳みかける問いかけに混乱した頭では返事が追いつかなくて、首を縦に振りながら残っている右手で左の袖口を握り締めた。
 西岐の混乱をいち早く察してくれたらしいオールマイトがぽっかり開いていた口を一旦閉じて、とんと肩を叩く。

「レストアはしてみたかい?」

 優しい手つきと声色にふるりと視界が滲みかける。

「レストア……」

 それは試していない。
 袖口を握る手を離してそのあたりに意識を向けてみる。
 自分自身を復元するのもまた独特の感覚がある。
 身体の左側面の周囲の空気が奇妙に動く気配がしたかと思うとそれが次第に淡い色を持ち、ふよふよと集まっては腕の形を形成していく。傷を復元した時とはまるで違う戻り方だ。けれどそれを正確に理解する余裕が今はなかった。
 数秒で元通りに戻った左手を見て緑谷がホッと息をつく。

「よ、よかった……!」

 本当に元に戻ったのか確かめるようにギュッギュッと握られて、左手に感じる感触に西岐の胸にも安堵が広がる。
 西岐がへなへなと座り込むとそれに合わせて二人も地面に膝をついた。

「何があったの?」

 緑谷からの問いかけに今度こそゆっくりと説明する。
 自主鍛錬をしていてふと物を引き寄せられないものかと思って試してみたこと。引き寄せること自体は成功したのだが、手を遠くに伸ばすイメージを浮かべた直後から腕の感覚が曖昧になり、ふわっと空気に溶けるように消えてしまったこと。
 痛みはなかったが、腕の付け根の状態を確認するのが躊躇われるほどのゾクッとした恐怖が消えてくれず縋るように緑谷の手を握り返してしまう。
 オールマイトの手が西岐の前髪をするりと避けて額に触れる。

「熱はないか。……暴走、しているわけではないのかな」

 慎重に言葉を選びつつの問いかけ。窪んだ眼窩の奥が何かを懸念しているように陰っている。横に首を振ると、少しのあいだ考え込んでからスマホを取り出して何やら打ち込み始めた。

「西岐少年、しばらくはトレーニングするなら私と一緒にやろう。けして一人でやってはいけないよ」

 柔らかな物言いなのにどこか堅く感じるのは向けられた瞳に陰りがあるからだろうか。
 握り返してくれる緑谷の手の力強さに引っ張られるように頷いた。
create 2018/11/04
update 2020/03/16
ヒロ×サイtop