文化祭
情熱の行方 そして、文化祭当日の朝。
AM6:00。
緑谷と共にオールマイトの指導の元でトレーニングに勤しんでいた。ちょうどよく緑谷も遠隔攻撃の特訓中ともあって西岐との手合わせは好都合だった。
強く踏み込んで高く飛び上がった緑谷目掛けて西岐が石礫を飛ばし緑谷が空気砲でそれを砕く。前方広範囲に及ぶ空気圧を瞬間移動で避けて別方向からの石礫を飛ばしながら西岐は緑谷の背後を取ろうと伺う。宙で動きの鈍くなった緑谷の背後をとるのは一見簡単なのだが、近接戦闘に長けた緑谷相手では西岐に分がない。
やはり可能にしたいのだ、遠隔作用を。
触れなければいけないという"条件"は近接戦闘に弱い西岐には大きなマイナス面だ。
遠くから緑谷の背へ、手を伸ばすイメージ……。
「西岐少年……!」
「わっ! なんか掠った……?」
オールマイトの窘める声と共にスウッと腕の感覚が曖昧になった。けれど不思議と思うまま動かせる気がした。空気に拡散して見えなくなった形なき腕が緑谷の背後を掠め、その"視えない何か"に緑谷が慄く。
通り過ぎたものを手前に引き戻そうしたところへ、オールマイトが止めにかかった。
「それをやってはいけないと……何度言えば分かるんだ、君は……!」
形を留めているもう片方の手を掴み、いつになく厳しい声で西岐を叱りつける。緊迫した眼差しを上から注がれて西岐の意識が"闘い"から"日常"に舞い戻る。
「……あ」
あちらこちらに散らばっていた"腕の感覚のようなもの"がふよふよと集まってきて腕の形を成していく。
次第に慣れ始めたこの現象を、"闘い"に夢中になるあまりについ使ってしまう。もしこれが思うように使えるようになったらと想像しては、試したくなってしまうのだ。
戦闘の構えを解いた西岐の元に緑谷も降りたって心配そうに片腕を見つめた。
「想像していたより君はバーサーカーのきらいがある」
「……はい……?」
「闘いの中で我を忘れる。よくないことだ」
オールマイトのお怒りスイッチが入った。
普段あまり怒ることのない温厚な彼だが駄目なことにはきっちり釘を刺す、そういうタイプだ。
「そういう捨て身なやり方を……私は感心しないよ。別のやり方を探したほうがいい」
同じ言葉をつい最近オールマイトの元サイドキックだった人物にも言われた。
あの人の根っこがここにあるのだなと思う。
「はい……」
心の奥底で静かに渦巻いている感情に気付かないふりをして、オールマイトの言葉に頷く。
きゅっと握りしめた手の中で微かに爪が食い込んだ。
AM7:00。
今日はもうトレーニング禁止、とオールマイトに言われて大人しく緑谷のトレーニングを眺めることにした西岐。
先程、発目が緑谷に手渡していったグローブの性能テストとコントロールの練習に夢中になっている緑谷を見るのは結構楽しい。手合わせしているさなかでは気付かないようなことも見えてくる。
パンチやシュートと比べてデコピンスタイルには数拍の遅れが生じること。
日々のダンスの成果なのか、数拍の遅れを補って余るほど彼の動きにキレが出てきていること。
彼の吸収力は目を瞠るものがある。
AM7:50。
時間ギリギリまで悪戦苦闘した後で、緑谷はオールマイトから外出許可をとって買い出しに出掛けた。
西岐は緑谷を見送った後で寮に戻って残りの時間をダンスの練習に充てる。
すでに起きていた尾白と障子にステップを見てもらいつつ、轟がダンスのタイミングに合わせて演出を確認していく。
AM8:45
ほとんどのクラスメイトが会場となる体育館にて衣装に着替え、万全の準備を整えていた。
「れぇちゃん! めっちゃ似合う! めっちゃ似合うよ!!」
「すっごい悩んだんだよ! スカートにするか男子の衣装にするか!」
「でもでもこれ正解だよおおお!」
衣装を身に纏った西岐の周りで興奮気味に盛り上がるのは麗日と芦戸と葉隠だ。
「何で俺だけ違うの?」
「お客さんがね、すっごく喜ぶんだよ!」
率直な疑問に葉隠が熱く力説してくるので、別に不満があるわけでもない西岐はふうんと納得して自分の身体を鏡越しに眺める。
全体的には女子の衣装に似ているのだが、スカートではなく短パンで、背中の部分が大きくカットされていて、もしかしたら羽を出す演出を期待しているのかもしれない。でもそんな打ち合わせはこれまで一度もしていないし、西岐としては大衆に羽を晒すのはまだ少し抵抗があるのだが……。まあでも言われていない以上やる必要もないわけで。
考えすぎかもしれない、と気持ちを切り替えていると、轟がスススッと寄ってきて露出している背中にピトッと右手を張り付けた。
「――ひああッ、な、なにっ!?」
ひんやりした感触に思わず仰け反る。
突然のことに驚く西岐をよそに轟はいつも通り何事もなかったような表情だ。
「いや、えろいなと思って」
「えろくてもいきなり触っちゃだめだよ」
苦笑交じりに尾白が割って入ってきて障子がさりげなく自分の後ろへと西岐を避難させる。
障子の衣装はいつも通り六本腕が通せるようにノースリーブの大胆なデザインだし、向こうでは一人甲冑のような例のヒーロースーツを着た青山もいる。個性に合わせてなのだろう。そう考えると衣装が多少違ったところで別に可笑しなことではないような気がしてきた。
「緑谷いねェな」
「ロープを買いに行ったさ☆」
何事もなかったかのように話は緑谷の不在へと移り変わり、そのまま演出とダンスの打ち合わせをするべく轟は芦戸たちの方に連れて行かれてしまった。
あと十五分ほどで文化祭が始まり、A組のステージは十時に始まってしまう。
買い出しにまだ時間がかかっているのだろうか、迎えに行った方がいいのだろうかと考えながら、緑谷の向かったホームセンターの方角へと視線を向ける。とっくにホームセンターでの用事を終えて帰路を辿っているのかすぐには緑谷を見つけることが出来ず、少しクラクラしながらも周辺の道に素早く視線を這わせていく。
「――!?」
派手な衝突音がしてそちらへと顔の角度を変える。
建設途中の鉄骨がバネのようにしなり、男が飛び回る中で翻弄される緑谷が視えた。
緑谷が闘っている。
「――ヴィラ……ッ」
ヴィランなのではと言いかけてその口を塞ぐ。
本当かも分からないままに口にして、"可能性"だけで文化祭が中止になるようなことになってはいけない。あんなに沢山の人が楽しみにしているものを、小さなミスで台無しには出来ない。
緑谷とて散々実戦で"救援"を求める大事さを嫌というほど味わってきているはず。その彼がたった一人で対峙しているのは恐らく『文化祭の中止を阻止する為』だ。
「西岐」
隣に立っていた障子が怪訝に呼びかけて肩に手を置いた。彼の耳が言いかけた言葉を正確に捉えたのだろう。
「……外の空気、吸ってこようかな」
「俺も行く」
西岐の誤魔化しを正面から受け取るほど障子は鈍くない。肩に置いた手にグッと力を込めて離す気がないことを訴えられて、西岐は諦めたように笑みを浮かべた。
「ここの上に行くよ、掴まってて」
そう言うなり返事を待たずに頭上を見上げ一瞬にして体育館の屋上に移動した。急に外気に晒された身体がその冷たさに少し震える。
突然の移動に多少は驚いたのだろうけれど障子は表情も変えず、寒そうにする西岐の肩を引き寄せた。
「デクくんが大変そうだから……ちょっとだけ、手伝う」
外出許可を貰っていないからたとえ瞬間移動でも敷地内から出るわけにはいかない。実のところ障子にバレなければそのまま救けに行ったかもしれないが、とにかく現状として校舎内からは出られない。
つまり……この場から救けなければ。
その為の鍛錬だ。
改めて遠目で緑谷が闘っていた建設途中の建物のあたりへ視線を向ける。
障子も耳と目を複製して西岐と同じように探ろうと試みている。
「あ……っ」
どういう状況なのか。緑谷が鉄骨を支えて堪えている。少し視点を引いて彼の真下を視ると老人が慌てて逃げていく。あの鉄骨が老人目掛けて落とされたのだろうか。
何にせよアレが緑谷の手を塞いでいる。
片手を翳した。
鉄骨自体が纏うエネルギーそのものを操るイメージ。
鉄骨が自然と浮き上がって緑谷の手から離れる、そう頭に思い描いた瞬間、それが空高くへと飛び上がった。
『デクくんっ』
『――れぇちゃんッ!?』
脳内に互いの声が響く。
狭い空間を共有しているような、"あの感覚"。
緑谷は驚きながらもデコピン空気砲をヴィランらしき男に見舞い、少しの足止めに成功する。
『鉄骨、俺が置くから、追って! 早く!』
空に飛んで行った鉄骨の行方を気にする緑谷を先に促してから、落下してくるそれを慎重に念動力で受け止める。物を宙に留める、なんてトレーニングはしたことが無いのに、一発で動きを止めた鉄骨がゆるゆると地面に降りて横たわった。
空中にある奇妙な膜のようなものに気付く。
あのヴィランらしき男は空気も含めて、物質をトランポリンのようにできる個性なのかもしれない。
その考えは間違いでなかった。緑谷が追いかけた先で男が空気の膜で身体を跳ねさせて攻撃をかわし、男の作った膜を利用して緑谷もまた強烈な一撃をお見舞いした。
凄まじいダメージに身を崩した男と、それに動揺した女性と。
緑谷が二人同時に取り押さえる。
「……やった、解決?」
敷地には侵入されていない、警報も鳴っていない。
けれど何かざわつく。
嫌な予感。
こういう予感はうんざりするほどよく当たる。
『愛してるわ』
少女のような見た目の彼女が紳士然とした男に涙を浮かべて囁く。
愛しさがそのまま膨らみ形を成すように、突如として急激に男の力が増していく。
何が起きたのか、なんとなく西岐は分かってしまった。脳で理解するよりも早く心が汲み取っていた。
愛を囁くことで愛する者をパワーアップさせられる個性だ。
「……いいな、あれ」
知らず、ぽつりと呟いていた。
そこへマイクのスイッチが入ったプツッという音と、聞く者を盛り上がらせるエネルギーに満ち満ちたプレゼントマイクの声が炸裂する。
AM9:00。
文化祭、開催だ。
スピードもパワーも増したとはいえこれまで対峙してきたヴィランの比ではない。
だというのに緑谷が苦戦している。
相手の心情を推し量ってしまっているのか。
いつもの限界の限界を振り切って更に押し出すあの強さがない。
信念、夢、愛、情熱。
なんだかそんなような言葉と感情の殴り合いだ。
相手の心情を蔑ろにできない優しさと、それを超えても救いたい強さが緑谷の心の内で暴れているのがまるで自分の感情のように伝わってくる。
取っ組み合う二人を援護したいが念動力では二人一緒に吹き飛ばしてしまう。どの程度加減が出来るかも分からないのに緑谷に向けては使えない。せめて数秒でも止まってくれればいいのだが、一刻を争うように互いに引かず押し問答のように組み合う二人が静止するタイミングなどあるはずもない。
女の子が一人、学校敷地内へ向けて走るのが視える。
もう、手段が他にない。
両手をそれぞれに向けて突き出す。
「ごめんね」
何に対して謝ったのか、自分でもよく分からない。
片手を女の子へ、もう片手を男へ。
奥へと行かせないように女の子の背中に形なき手のひらを張り付けて抑制を放つ。緑谷の攻撃を避けようとした男にも同様に抑制を浴びせた。屋上に居ながら遠くにいる男女二人に触れて動きを阻んでいる。出来ると思っていたが本当に可能だとは……。
緑谷の攻撃を受けて地に這いつくばる男と、西岐に押さえつけられて身動きが取れなくなった女の子。彼女が緑谷に向かって泣き喚いているのが聞こえる。
『私の光はジェントルだけよ!! ジェントルが私の全てよ。奪わないでよ、ジェントルを奪わないでよ!! ジェントルと離れるくらいなら死ぬ!!』
怖いくらい純粋な愛だ。
不思議なくらい、彼女の言葉が自分の心に寄り添う。
西岐は彼女の感情にきっと近い。相澤がヒーローでなければどういう道を辿っていたか分からない。
でも、だからこそ、今雄英へ侵入して騒がせるようなことを許すわけにはいかない。そんなことが起きたら一体誰が責められると思っているのだ。
男の個性によって緑谷が吹き飛ばされ、それが諦めによるもので、連れの女の子を守るためであり戦意がないのを確認しつつゆっくりと"手"を遠ざけていく。
ハウンドドッグとエクトプラズムの分身が駆け付けるのを見届けてから、"手"と視線をあるべき場所へと引き戻した。
「……解決したみたいだな」
障子が溜息をつく。呆れたのかもしれないしホッとしたのかもしれない。
腕が消えるのを目の当たりにしたはずなのにそのことには触れず、相変わらず肩を抱き寄せては宥めるようにぽんぽんと指先でリズムを刻む。
「うん、……なんか、すっごい、なんか……うらやましい感じだった」
絶対的なもので繋がっていた二人。
一切のブレもなく同じ方向を見つめていた二人。
物凄く羨望する。
羨ましすぎて悲しくなるほどに。
「さ、て。デクくん迎えにいこっか」
沈み込みそうになる気持ちを振り切るように明るく言って、校門へと視線を巡らせた。
AM9:50。
ようやく校門に駆け込んできた緑谷を、待ち構えていた青山と一緒に出迎える。もちろん障子も一緒だ。
「緑谷くん☆! 遅いよー!」
「青山くん!! ごめんなさい!」
「何故そんなボロボロに!?」
「――……転んだ」
青山と緑谷。
つい先ほどまで死闘を繰り広げたとは思えない青春真っ只中という感じの和やかな会話を交わしながら、一秒を惜しんでなのか体育館へと向かって走る緑谷を、西岐は慌てて呼び止めよる。
「デクくんっ、デクくん、待って!」
「れぇちゃん、さっき!」
「それより、けが、治さないと……! エリちゃん心配しちゃう!」
一番の懸念を告げて、緑谷の肩に触れた。たちまちのうちに傷が消えて、緑谷が戸惑いで大きな瞳を揺らした。
「みんな、俺、瞬間移動できるんだよね、知ってた?」
現状を分からせるようにちょっと皮肉気にそう言うなり、ハッと気付いて全員が立ち止まる。
「いい? 俺に掴まっててね」
三人ともが西岐に触れたのを確かめてから体育館のステージ袖に一瞬で移動してみせる。
突然現れた西岐たちにクラスメイト達がワッと声を上げて驚くものの、迫る開幕時間に慌ててステージ上へとスタンバイしていく。
楽器のチューニングする音。
客席からのざわざわした気配。
自分の立ち位置を確認して拳を頭上に上げて、息を吸い込む。
――……幕が開く。
create 2018/11/15
update 2018/11/15
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