はじまり
オリジン どれほど走っただろうか。
唐突に車が止まり宙づりにされて運ばれ、夢で見たあの一室の床に放り投げられた。
拘束しているゴム男が見張り役として部屋にとどまり、残りの二人はボストンバッグを持って扉の向こうに消えていった。
窓ガラスが煤けていて外がどれくらい明るいのかわからない。
まあ……、遅くなったとしても怒る人はいないのだけれど……。
使っていない廃工場はがらんどうで音がよく反響する。
近くの部屋にいるらしき男二人の足音や声もしっかり聞こえる。
予知夢の中で何も聞き取れなかったのはあれが夢だったからなのだろう。
「まずい、もうヒーローに見つかったらしい!!」
「なにぃっ!!!!」
床に張り付いた耳に緊迫した声が響く。
「おい! ガキを人質にとれ!」
「わわ分かった」
「最悪立てこもりアンド交渉だな」
激しい物音と男らの声が入り混じって西岐に焦燥を伝えてくる。すぐさま発砲音と怒号が遠ざかっていく。
吹き飛ぶように扉が開いて、西岐の頬にナイフが添えられた。
夢のシーンはここだ。
長い前髪の隙間から西岐の目が飛び込んできたヒーローを映している。
逆立った髪の毛に両目を覆うゴーグル、グルグル巻きの布。見たことのないヒーローだ。
ゴーグルをしているということは視覚で発動するタイプの個性なのだろう。
「チッ、異形型か」
人質によって身動きできなくなったヒーローが小さく舌打ちした。
ゴム男のゴム状の髪がヒーローの身体に巻き付き遠慮なしに締め付ける。なす術なく拘束されてしまったヒーローを見ている西岐の胸の中にざわざわとした感情が広がる。
身体が軋んでヒーローが息を詰める。
あっ、と思う。
焦りが走る。
目の横には銀色に光るナイフがあった。
どうして動いたのか。自分が動く必要があったのか。他に方法があったんじゃないか。どうして自分らしくもなく『なにかをしなくては』と思ってしまったのか。
その時にはもうこれしかなかった。
なけなしの力を振り絞る。
持ち上がった顔を思い切りナイフへとぶつけた。
「――なッッ!!!?」
驚愕の声を上げたのはゴム男か、ヒーローか。
頬の肉が裂ける。
小さな血しぶきが舞う。
重力に逆らえない多くの血が顎から喉へと伝う。
唯一自由な足で立ち上がる。
ゴム男の腕に顔面から体当たりし、頬の血を擦り付けた。
「なっなんだお前は!!」
すぐさま弾き飛ばされてしまう。
受け身も取れないまま床に身体を打ち付ける。
頬の痛みと体の痛みが今いっきに押し寄せて息の塊が喉からこぼれた。
荒い呼吸に合わせて埃が舞う。
「じっとしていろ」
西岐が無謀な抵抗を試みたとでも思ったのか息の詰まった声でヒーローが西岐を気遣う。
いいや、違う。
これは確実な抵抗だ。
ゴム男の腕にべっとりついた西岐の血。
西岐の口に笑みが浮かぶのをヒーローは見ていた。
《封印》
呟くと同時に西岐とヒーローに巻き付いていたゴムがするりと外れる。
ゴム男の髪は次第に縮こまり通常の髪に、ゴム素材で覆われていた身体は通常の肌になっていく。
目の前の光景にヒーローが驚きを隠しもせず凝視しているが、そこはやはりプロ、状況に納得することよりも捕縛を優先した。首に巻いている布で元ゴム男を縛り上げ、深い息を吐いた。
《解封》
再び呟きと同時に捕縛された元ゴム男が元のゴム男の姿に戻る。
「こちら捕縛完了、回収に来てくれ」
「わかった、今行く、ヴィランはそれで最後だ」
「了解」
インカムを通したヒーロー同士の会話を聞きながら西岐は疲労を感じていた。
頬からの血が止まらず制服を赤黒く汚している。ぶつけた肩と頭が鈍くガンガンと痛む。なにより全身の疲労感がひどい。
ゴム男の拘束はとっくに取れていたが立ち上がる気になれなかった。
まもなく他のヒーローが数人やってきてゴム男に特殊な拘束具を取り付け連行していった。
その最中も壁に寄り掛かって床に座りっぱなしの西岐に、何人かのヒーローが大丈夫かと声をかけたがそこまで大袈裟なことではなかったので病院や治療は断った。
事態が収束され辺りが静かになったころようやく体を起こした。
血は止まったらしい。固まってガビガビになった血をこすって落とす。体の痛みはほどんど消えていて疲れも帰って寝れば問題ないだろう。
汚い床に寝ていたものだから制服が酷いことになっている。立ち上がって手で払うが大した効果は得られなかった。
そういえばカバンと本の袋、と辺りを見回したが多分拉致されたときに落としたのだろう。
面倒だが取りに行かなくては……と考えたとき。
「おい」
先程のヒーローが扉の所に立っていて、手に西岐の荷物をぶら下げている。
「あ……」
「今警察がお前のじゃないかって持ってきた」
「俺のです、わあー助かった」
西岐の表情がパッと明るくなる。
面倒が1個なくなったのだ。大変喜ばしい。
受け取って袋の中身とかカバンの中身とか生徒手帳だとかを確認してほっとする。
そして今頃思い出したかのようにヒーローの顔をじっと見る。
「えっと、助けていただいてありがとうございま……す?」
「なんで疑問形なんだよ」
先程と髪型も雰囲気も違う彼に自然と首を傾げてしまう。いや、多分彼が助けてくれたヒーローには違いないのだが。
「さっきのアレ、お前の個性か? すごいな」
「え?」
「俺の個性は抹消だが異形型には効かねえ。だからアレには助かった」
「え? えっと」
個性について尋ねられたと認識して西岐の思考が一度固まる。
威圧感バリバリの両目に見つめられて説明の言葉が追い付かず困惑の表情を浮かべるが、どうやら彼の言いたいことはそれとは違うらしい。
彼の口角が上がる。
「"助けていただいた"のはこっちだ」
彼の指が頬の傷をなぞる。
瞬間、全身を駆け巡ったものを何と呼べばいいのだろう。
競り上がる感情が出口を求めて目を、口を激しく揺さぶってくる。
「ありがとうな」
あふれ出た感情が頬を濡らす。
荷物を強く抱きかかえることで震える手を抑えた。
自分の意志で自分から行動を起こし、それが結果として誰かを助けることができ、誰かに感謝される。こんなことが自分の身に起きるなんて……想像もしたことがなかった。
そうか、これがヒーローなのか。
人生で初めて救いというものを実感した瞬間、沸き立ったヒーローへの強い羨望・憧憬。
《ヒーローになりたい》
夢が花開く。
中学3年の春。
create 2017/09/22
update 2017/09/22
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