USJ
お見舞い



 相澤に頼まれてから数時間後、オールマイトは立派なマンションの前で圧倒されていた。
 トップヒーローであるオールマイトだって生活水準は決して低くはないが、それでも学生の一人暮らしだと聞いていたこともあって衝撃を受けてしまった。

「うわわわ……ものすんごい建物だ」

 隣では緑谷も同じように圧倒されている。
 緑谷にはオールマイト自らが声をかけて同行してもらっていた。
 話に聞くところによれば西岐は力の使い過ぎで具合を悪くしている可能性が高いらしいのだが、体調を崩すという経験がほとんどなかったオールマイトにはどう対処すればいいかわからない、というのが緑谷に来てもらった理由だ。脇腹の傷を負った後、強靭な肉体がむしばまれ時折吐血してはいるが、大抵いつも気合で押し通してきた身だ。繊細な少年への対処には心許ない。
 事情を説明すると緑谷は二つ返事で家を飛び出してきてくれた。どうやら緑谷もまた西岐に助けられたうちの一人らしい。
 途中で買った品々をぶら下げエントランスからインターホンを鳴らす。しばらくたっても反応がないので再び鳴らすと今度は数秒で接続した音が鳴る。

「……はい」
「私がきた、オールマイトだ」
「あ、緑谷です」
「……え?」

 聞き覚えのあるものよりだいぶ掠れた声が機械越しに聞こえた。
 カメラに姿を映そうと緑谷と身を寄せる。

「あ、開けますね」

 戸惑いつつも開けてくれた扉をくぐり、目的の階へと向かう。
 廊下の先で西岐が扉を開けて待っていた。インターホンが鳴るまで寝ていたのかシンプルなTシャツとゆるめのズボンという部屋着のまま出迎えてくれた。
 先に緑谷が部屋に上がり、オールマイトも促されるまま玄関に入ろうとして扉を支えている西岐に目が止まる。見上げるために顔を上げたことで前髪が流れ目元が露わになっている。

「少年、泣いていたのかい」

 下目蓋をそっとなぞる。泣き腫らして赤くなっている目の周りが痛々しい。

「あ……そんなにひどいですか」
「冷やしたほうがいい」

 困ったような笑みが浮かんでオールマイトはそっと手を放す。
 リビングには小さなラグと小さなテーブル、小さなクッションが一つ置かれていた。ああやはり一人暮らしなのだなと再認識してラグに座る。

「あの、いきなり来てごめんね。僕ら西岐くんが体調を崩してしまったんじゃないかと思って様子を見に来たんだ」
「相澤くんから君の個性のリスクについて聞いてね」

 真面目正直な緑谷がせわしなく身振り手振りを交えて説明する横で、オールマイトもこの場に訪れた理由の大元を口にする。
 やっと訪問の理由が飲み込めたのだろう。なるほどとばかりに頷いている。
 早速と緑谷はカバンから取り出した体温計を西岐のほうに差し出す。

「まず、体温を測ってくれないかな」

 何かに挑むように緑谷の大きな目が西岐を捉える。

「僕らがどれだけ心配したくても西岐くんは大丈夫っていうと思うんだ。だから体温を測ってちゃんと確かめる」

 緑谷の有無を言わせぬ物言いと用意周到っぷりにオールマイトは感心していた。常日頃から観察力の鋭いほうだと思っていたがさすがだ。
 西岐はおずおずと体温計を受け取り計測する。

「――よ、よんじゅうど!!!?」
「高熱じゃないか!! なんで起きてんの!! ベッド、ベッドで寝てなきゃ!!!」

 体温計の数値を覗き込んで見たことのない数字にオールマイトは慌てふためく。
 錯乱した緑谷がオーバーリアクションで寝室へ促すが西岐はけろっとした顔で目の前に座っている。
 オールマイトの筋肉が膨れ上がる。
 マッスルフォームへと姿を変え西岐の身体を抱きかかえる。戸惑った声が聞こえた気がしたが知ったことではない。三つほど適当にドアを開けてベッドを見つけると体を横たえさせる。

「西岐くん、冷蔵庫の氷使うよ!」

 冷蔵庫を開け閉めする音と流しに氷をぶちまけた音と水の音がして緑谷が部屋に駆け込んでくる。
 西岐の首と脇と太ももの付け根にアイシングバッグを置いていく。

「40度の熱が出て人間は平気なのかい」
「死なないけど結構やばいです。でもこれ普通の解熱剤とかで対処していいんだっけ? 温かい飲み物や体に優しいものを食べてゆっくり寝ているしかないのかな。あ、そうだ、西岐くん、今日は何か食べた?」

 根本的に熱を出すということが分かっていないオールマイトは無駄に幅をとるマッスルフォームからトゥルーフォームへと戻り、おろおろと緑谷のすることを見ているしかない。
 例によってブツブツ呟きながら西岐の布団をかけてやる光景は一種異様だが。
 テキパキとこなしてくれる緑谷に感謝するのだった。



「あ、あの、みどりやくん」

 されるがままだった西岐が緑谷の袖を引く。

「俺もデクくんて呼んでもいい?」

 乾いて掠れた声は奇妙な甘さを含んで聞こえる。
 本人に自覚がないとはいえやはり熱に浮かされているのかもしれない。

「あのね、デクくんあの時さ、何度も何度もヴィランに向かって飛び出していったでしょ。……俺ね、すごいなって思って」

 オールマイトの脳裏にヴィランの前へと飛び出してきた緑谷の姿が蘇った。手放しで褒めることはできないが確かに彼は迷うことなく"救け"に飛び出せる男だ。
 そうか、何度もだったのか。
 誇らしい気持ちが胸に広がった。

「そんな……結局僕は何もできなかったし……」
「ふふっ、俺もおんなじこと思ってる。何もできなかったって。一緒だね」

 いまだ無力感がぬぐい切れていないらしい緑谷を見上げて西岐が口元を綻ばせる。
 あれだけの恐怖に晒された中で、あれだけのことをした子供たちが無力感に襲われているのだ。我々プロヒーローが抱くべき自責の念は遥かに重い。

「ね……俺も名前で呼んで、ね?」
「ええええ、えっと、れぇちゃん、っでいいのかな」
「あ、いいなあ。私もそう呼んでみたい」

 真っ赤になって取り乱す緑谷になぜその敬称を選んだのか内心疑問に思うが、相手が西岐であればさほど違和感はないから不思議だ。
 さりげなさを装って横から便乗すると緑谷から眼差しだけのツッコミが刺さる。

「オールマイトさん……」

 自分の名を呼ぶ声を聞いてそろそろ眠るべきなのではと思った。
 明らかに声がおかしい。

「ヴィランを、倒してくれてありがとうございました」
「いいや、どういたしまして。さあ君は少し休んだほうがいい」

 身体を屈ませて顔を覗き込む。そっと頭に手を乗せて労わるように撫でてやると西岐が手を握ってきた。

「ヴィランが屋根を突き抜けて跳んでいったときは、スカッとしました。ほんとは俺……俺がぶん殴ってやりたかった……けど」

 握る力は弱くけして痛くはないけれど胸が締め付けられて痛む。
 それだけ彼の声が切なかった。

「……誰かの代わりにぶん殴ってやるのもヒーローのお仕事さ」

 濡れた頬を指で拭ってやるが拭う端からまた涙がこぼれて頬が濡れる。
 そんな風に泣かれたら見ているほうが苦しくなってしまう。
 これだけの激情を押さえ込んでただ冷静に淡々と状況を見て的確に動いていた彼を思うと堪らない気持ちになる。

「さ、もうほんとに寝なさい。……ね?」

 優しく西岐の手を外しポンポンと撫でてから緑谷と目配せしてひとまず部屋を出ていく。静かに扉を閉めて二人同時に重い息を吐いた。
 熱のせいもあるだろうが普段のんびりほんわかした彼がああも涙を流すとは……。
 入学式の日の相澤と西岐のどこか親密な空気を思い出す。それはオールマイトと緑谷の関係に重なるような気がした。そして己を顧みないところは本当に緑谷と重なる。

「よし! 僕ははちみつレモンとおかゆ作りますね」
「そんなものが作れるのかい、すごいね」
「母に僕でもできるような簡単なレシピ聞いてきたんです。オールマイトは部屋の近くにいて何か変化があったら教えてください」
「わかった、任せておきたまえ」

 言われるままオールマイトは部屋の扉の前に正座する。
 そういえば相澤に状況を報告しなければと思い出すが今このまま西岐を放って病院に向かうわけにもいかない。緑谷に一時的にこの場を預かってもらうこともできるが自分の気持ちがそれを許さない。
 仕方あるまいとテキストチャットを開く。
 必要事項だけ打ち込んで送信しスマホの画面を閉じた。
create 2017/10/13
update 2017/10/13
ヒロ×サイtop