体育祭
モチベーション



「はい、お口開けてください」

 迫ってくるスプーンの先から逃れるように相澤は仰け反った。
 スプーンの柄は華奢な手に握られていて、手は華奢な腕につながり、さらにずずずいっと視線を滑らせると西岐の顔が鎮座している。口元には腹立つ笑みが浮かんでいる。
 あれから三日三晩熱が下がらず寝込んで人を心労に追い込んでおきながら、いざ熱が下がるや否や嬉々として相澤の世話を焼きたがった。

「イレイザーさん、あーん」
「や、め、ろ」

 非常に耐えがたい。
 ごろりと床に寝転がり世話を焼かれることを全身で拒否する。

「俺はお前の見舞いに来てんだけどね」
「熱もうない」
「熱はな、三日寝込んで体力壊滅だろうが」
「……今はどう見てもイレイザーさんのほうが重傷だもん」
「お、屁理屈」

 一丁前の口を利く西岐にバカにしたような言葉を投げるとスプーンを器に戻し不貞腐れる。
 そうか、こいつも怒るという感情を持ち合わせているのかとしみじみしてしまうのは心の中だけに留めて、態度はあくまでも全面拒否の姿勢をとる。

「体力が平気っていうんなら手首の傷をリカバリーしてもらえ」
「体力駄目でしたごめんなさい」

 未だに巻かれている包帯を引き合いに出すとあっさりと白旗をあげる。そこまで傷を治すのが嫌なのか。西岐の頑固ぶりには相澤も舌を巻く。
 見ているだけで心臓が潰れるような錯覚を覚える身としてはさっさと連れて行って無理やりにでも治してしまいたいのだが、疲労困憊が原因で今朝方まで熱を出していた西岐に治癒するだけの体力が残っているわけもなくひたすら西岐の回復を待っているのだ。
 だというのに当の本人は傷を治す気が微塵もないようで、体力が回復次第すぐに治してもらえと言っても受け流していた。

「まあいい、とりあえず今は体育祭の話だ」

 うまく反動をつけて体を起こす。
 見舞いに訪れてすぐ切り出した話題なのだが、西岐が出した作り置きのスープが火種となって不毛な攻防が勃発し半分忘れかけていた。
 クラスではもうとっくに開催を知らせてあるがずっと休んでいた西岐にはまだ話していなかった。

「雄英体育祭は見たことあるよな」

 イエスという返答しか期待していない口ぶりで問うが西岐は動きも言葉も停止した。

「ないのか」
「……えっと、あの、名前は聞いたことある気がします」

 思わずうなだれて額を抑える。
 ヒーロー志望の雄英生が雄英体育祭を見たことがないなんて前代未聞。
 かつてのオリンピックのように日本中が熱狂するビッグイベントであること、実力如何によってはプロのスカウトが見込めること、ゆえにヒーローを志している以上最重要イベントであることを語って聞かせる。

「……はあ」

 何とも気の抜けた相槌が返ってくる。

「今更だが本当にプロヒーローになりたいのか?」
「え?」
「ヒーローってのはなんとなくで目指せるようなものじゃない。常にトップを取りに行くくらいの気持ちがなきゃすぐ足元すくわれておしまいだ」

 授業で見せるような厳しい教師の顔で諄々と諭すが西岐の意識が横へと流れていくのが手に取るように分かった。
 聞こえてはいるし言っている意味も分かっているが興味がない。
 致命的に競争心が欠如しているらしい。

「誰かに負けたくないとか思わないのかな、お前は」
「……だってみんなすごいんだもん」

 膝を抱えて座る西岐はさっきまでの勢いを失いすっかり意気消沈している。
 相澤から見れば西岐とて十分すごいのだが……。
 もともとの強い劣等感とバイタリティーのなさが、先のヴィラン襲撃の一件で抱いた無力感によって嵩増ししてしまった。どれだけ言葉を重ねても諭しても"何もできなかった"説が剥がれていかない。
 相澤としては喪失した自信をどうにか取り戻してやりたい一心だった。

「そうだな……それなら、お前がもし体育祭で1位を取ることができたら俺の身体が回復するまで俺の世話はお前に見てもらう、ってのはどうだ」

 甲斐甲斐しく世話を焼かれるなど内心物凄く嫌なのだが、それでやる気を起こさせることが出来るのなら構わない。
 目の前にぶら下げたエサに安易に食らいつくのが見えた。

「やります!」

 今までにない引き締まった返事に相澤は満足げな笑みを浮かべるのだった。
create 2017/10/18
update 2017/10/18
ヒロ×サイtop