はじまり
憧憬



 家までの道中はタクシーを使った。
 せめてタクシー代くらいは……と、自分で払おうとする西岐に思わず鬼の形相で睨んでしまった。なぜそういちいち大人(しかもプロのヒーロー)のプライドをへし折ってくるのか。
 本音では一人で歩くのは相当辛かったのだろう。歩いている時、何度もふらついては背中に添えた相澤の手に寄り掛かってきた。
 送っていくとゴリ押しした自分を褒めたい。

「すごい建物だな」

 マンションの玄関をくぐるなり思っていたことが口をつく。
 西岐の家は都心の駅から数分の相当高級であろうマンションの一室にあった。エントランスにはフロント係が常駐し、カードキーでエレベーターを操作する、かなりのセキュリティだ。
 住居の玄関を開けリビングに続くもう一つの扉の内側へと促される。
 とてつもないお坊ちゃんだなと思いながら踏み入れると、無駄に広いリビングに似つかわしくない一人暮らし用の質素な家具が必要最低限しか置かれていない寂しい空間がそこにあった。

「……一人暮らしなのか」
「えっと……はい、あの、親……はいなくて、その……、叔父さんがいる……んですけど会うことがなくて、ここは叔父さんの名義で、でも会ったことなくて、あの」

 説明のための説明が必要なほど分かりにくい説明をしている間、相澤は「そうか」と軽い相槌をするだけに留めてクッションの向かいに座った。
 西岐の身の上に関して思うところがないといえば嘘になるが特にリアクションはしなかった。
 初対面でズケズケと聞き出すほど不躾にはなれないし、同情の類を相澤自身が好まない。
 案の定ホッとした空気が西岐から伝わってくる。

「あ……お茶……」
「いいから座れ、個性のことが聞きたい」
「……はい」

 相変わらず不思議なペースでリビングと繋がっているキッチンへ向かおうとする西岐に思わず笑いそうになって、咳払いでごまかす。
 テーブルを叩いて促すと、西岐は迷いを見せた後大人しく従い、自分だけクッションを使うことを躊躇ったのかクッションは横に避けて相澤と同じようにラグに直接座った。
 膝の上で合わせた指を時折動かしては切り出し方を迷っているようだ。

「あ、の」
「個性を消す個性なのか」
「え、あ……」
「血液を付けた相手の個性が消せるのか?」

 一瞬、自らナイフに頬を押し付けた光景を思い出して相澤の表情が険しくなる。
 それをどう受け止めたのか顔を俯ける。
 ちらりと伺う目が前髪の隙間から見えてゾクリと何かが走った。

「あ、俺、個性はよくわかんなくて」

 理路整然とは程遠い彼の説明を相澤は我ながら気長に聞いているなと思いながら耳を傾ける。

「でもなんか、いろいろできるんです俺」
「は?」

 思わず疑問符を張り付けたが、そのままの状態で相澤は文字通り一切身動きが取れなくなった。

「こういうのとかできる」

 言葉だけでは説明しきれないと思ったのか。
 西岐が実際にやって見せたのは相澤の動きを封じる力。
 テーブルに置いていた相澤の右手にほんの少し西岐の左手の指が触れていた。触れることが発動の条件なのだろう。
 相澤は苛立ちながらしっかりと西岐を"視"た。

「あ……」

 視覚で発動する抹消の個性が西岐の個性を打ち消した。
 途端自由になる体。
 個性が消えたということが理解ったからだろう。小さな驚きが西岐の口から零れ落ち目が合った。

「なるほど、これが個性か」
「はい、個性届はいまのが個性ってことになってて、抑制っていう個性で、あの」
「他にもあるんだろ」

 西岐の精一杯の説明を遮り、さらに追及してみせると僅かに言いよどむ。
 だが、隠したり誤魔化したりはせず口を開いた。

「えっと、さっきのみたいに血を付けた相手の個性を封印できます。あと……幻覚を見せたり瞬間移動したり……たまに予知見たりする、かな。あ、今日のも予知しました、うん」
「――は、すげえな……」

 つらつらと出てくる能力に思わず笑ってしまった。
 馬鹿にしたわけではないが西岐はそう受け取ったのか小さく謝罪してまた俯いてしまった。前髪で顔を隠していることといい、彼は自分に対して卑屈な感情を抱いているのかもしれない。

「リスクは」
「ものすごく疲れます。酷いとしばらくしんどい」
「……それでか」

 ずっと具合が悪そうにしていた原因がわかって得心がいく。
 ヴィランの個性による悪影響という可能性が少なからず残っていたからだ。頑なに送り届けようとした理由の一つもそこにある。
 しかし本人の個性の反動なのであれば体を休めるだけで疲れは回復するだろう。
 強力な個性だが随分と負担がかかるようだ。

「まぁ今日はゆっくり休め」

 聞きたいことも聞けたし話はこのくらいにしておこうと腰を上げる。

「あのっ」

 西岐の声が相澤の動きを止めた。

「今日はほんとにありがとうございました」
「……だから助けてもらったのは俺のほうだって」
「違……あの、俺」

 まごつきながらも何かを言いたくて必死になっているのが伝わってくる。辛抱強く後に続く言葉を待ってやる。
 顔を上げた西岐の前髪が自然と横に流れ、今初めて彼の顔がはっきりと見えた。

「あなたのおかげでヒーローを目指そうと思いました。あなたは俺の憧れのヒーローです。あなたのようになりたいと思いました。だから……ありがとうございました」

 まっすぐ告げられたその言葉は相澤に凄まじい衝撃を与えた。
 それはもう、たった一瞬で心の奥の奥まで根を張り巡らせる強力な衝撃。

 西岐の個性が発動するまでもなく、相澤は顔を凝視したまま身動きが取れなくなったのは言わずもがな。
create 2017/09/29
update 2017/09/29
ヒロ×サイtop