体育祭
決勝戦



 決勝前の休憩時間。
 自動販売機の取り出し口にドリンクが落ち、取り出そうとして火傷の痛みに身を竦めた。どうにか堪えて取り出す。
 蓋を開けて喉に流し込む。スポーツ飲料が体の真ん中を冷やしていく。
 ジリジリと焦げ付いた心も冷やされるような気がして、深く息を吐きだした。

 自分でもあんな戦い方をするとは思わなかった。
 試合が始まるまでは暗間の言葉がぐるぐる回っていて、どうして負けなければいけないのかとそればかり考えていた。そしていざ始まってしまうとどうすればいいのか分からなくなった。
 それなのに爆豪からの攻撃を受けた瞬間、猛烈な怒りが沸き上がっていた。
 だって身体は勝手に避けようと動く、攻撃しようと動く。それくらい負けたくなかった、勝ちたかった。初めて抱いたのだ、負けたくないという気持ちを。
 いきなり現れて理由もなく負けろという理不尽な指示に腹が立ったのだ。こんな風に怒りを燃え上がらせる自分がいたことを初めて知った。
 その火はまだ消えそうもなく、ふつふつと西岐の心を煮立てる。
 そういえば相澤に頑固だと言われたなと思い出す。やはりそうなのかもしれない。
 残りの液体を一気に流し込み、アナウンスが響き渡る競技場へ足を向けるのだった。





『さァいよいよラスト!! 雄英一年の頂点がここで決まる!! 決勝戦!! 轟バーサス西岐!! 今!!』

 熱狂が最高潮に達する中スタートが切られる。
 と共に、競技台の半分を覆うほど巨大な氷壁を繰り出した。

『いきなりかましたあ!! 早速優勝者決定か!?』

 そんなわけがない。轟はちゃんと前の試合での西岐を見ていた。
 個性把握テストやヴィラン襲撃の時に垣間見ていた瞬間移動も脅威だと思っていたが、そこにあの俊敏な身体能力が加わるとなればさらに警戒して当然だ。
 けれど轟は負ける気がしていない。
 何故なら西岐には決定的な攻撃手段に欠けるからだ。
 いろいろなことが出来るらしいが結局のところ近寄らせなければ何もできないということだ。
 今の氷壁に押し出されて場外になってくれればいいのだが。

「ま、そうはいかないよな」

 西岐の身体は宙にあった。
 逆さまになって重力従い落ちてくる。
 その速度は速く西岐の手が轟の髪に触れようと伸ばされ、轟は右手を薙いだ。刃のような形をした氷が何本も地面から生えるがその時にはもう西岐はそこにいない。
 いったん氷壁の上に立ち、氷の上を滑り降りてくる。
 西岐は氷の上でグッと踏み込む。
 氷を走らせ行く手を阻むが、あっという間に西岐は間近に迫り回転をつけながら轟の左肩を蹴り上げる。その勢いのまま打撃に構える轟の肩と腕を掴み、轟と共に一瞬で宙に移動し、地面に叩きつけるように放り投げた。
 氷結で場外は防いだものの即座に死角に入り込む西岐に振り回され、防衛一択という状況になってしまう。なんとか決定打を食らわずにいるができれば攻撃に転じたい。
 右手で掴みさえすれば一気に凍らせることが出来る。西岐の蹴りが左耳をかすめるタイミングに合わせて足を掴もうと試みる。
 が、寸でのところで西岐の身体が消え、氷壁の頂に姿を見せる。

「ねぇ、とどろきくんは本当にプロヒーローになりたいの?」

 冷えた空気の中、西岐の声が凛として聞こえる。

「負けたくないとか……思わないの?」

 彼はこんな風に話す人だっただろうか。

「俺はね、負けたくない。勝ちたい、勝ちたいんだよ」

 ストレートな言葉選びはよく知っている。そこに乗せられた声でこれほどまでに揺さぶってくる力が増すのか。
 氷が解けてしまうのではないかというほど熱いものが胸に流れた気がした。
 しかしそんな錯覚を西岐の手が払いのける。
 西岐の指が頬をかすめる。
 自分の動きが鈍くなっていることはわかっている。氷結の威力も落ちてきている。右側に張り付く霜。左側を使えばいいだけのこと。

「わかってる」

 そんなことはこの二つの個性を持った時から知っていた。
 だけど緑谷の一件だけで簡単に覆るのならあれほど固執したりするものか。この胸にあるわだかまりを捨てるにはまだ足りないのだ。

「わかってない」

 西岐が耳の後ろから聞こえる。手が襟首を掴んでいることだけが分かる。
 いつの間に背後に来たというのだ。ずっと正面からくる西岐を遠ざけようと氷結を繰り出していたというのに。
 まさか……幻覚の類なのか。
 轟は自分の疑問をどこかで確信していた。西岐が幻覚のようなものを使えるとすれば二回戦で常闇が棒立ちになったまま負けてしまったことに説明がつく。
 氷結で薙ぎ払おうと思うのだが身体が動かない。
 これもまた西岐の力なのか。
 いったいどれだけのことが出来るというのか。

「……ヒーローになりたいんでしょ? ならなっていいじゃない、好きなようにやっていいでしょ、……抑えてなんかいられない……でしょ」

 触れる手のひらに力がこもる。
 触れた個所が熱くて、胸が熱くて、抑えられそうにもない。
 左側が炎に包まれる。

「――っあ」

 一声だけ残し西岐が背後から消える。
 わずか数歩ほどの距離に立つ西岐は熱気で髪をなびかせて立っている。
 今にも泣きだしそうに、嬉しそうに表情を歪ませる。

「そうだよね、抑えられないんだよ、苦しくなるから、本当はどうしたいか自分がちゃんと知ってるから」

 いつもより饒舌な彼はもしかしたら轟のことを話しているようでいてその実、自分のことを話しているのかもしれない。抑えきれなかったものが溢れているのが見える気がした。
 炎が競技台にあった氷を一気に溶かしていく。
 轟の肌に張り付いた霜も消える。

「でも遅い」

 声が重なって聞こえる。正面にいる西岐からともう一つ、耳の後ろから。消えたはずの感触が首の後ろに感じられた。左半身に纏っている炎に耐えて触れ続けていたというのか。
 身動きが取れないまま体が宙に移動しすかさず蹴りが入れられる。
 場外ラインすれすれで行われた攻撃にどうにもできず、みっともなく転げて呆気なく場外となった。

「轟くん場外!! よって――……西岐くんの勝ち!!」

 ミッドナイトの声に競技場内が一気にシンと静まり返る。

『以上ですべての競技が終了!! 今年度、雄英体育祭一年、優勝は――……A組、西岐れぇ!!!!』

 そして割れんばかりの大歓声が巻き起こる。

 競技場が揺れるのではと思うほどの歓声の渦の中で、轟は自分の左手を熱する炎を見下ろしていた。
 あれほど、頑なだったはずなのにまた使ってしまった。
 しかももう心のどこかで答えに気付いていることを知ってしまっていた。
 炎を収めてもまだ全身が熱く滾っている。

「とどろきくん」

 振り返ると西岐がふらつきながら小走りで駆けてくる。

「とどろきくん、とどろきくん、とどろきくん」

 名前を呼びながら駆け寄ってきたかと思うと西岐は轟に飛びついた。首に腕を回してしがみつく西岐によろけかけるが、両腕で受け止める。

「とどろきくん、とどろきくん」
「……うん、うん、どうした、西岐?」
「炎出たねすごかったね」

 しがみついたままくぐもった声で言う。
 もういつものふにゃふにゃした西岐らしい話し方だ。

「蹴ってごめんね、俺勝ったよ、勝てたの、本当は負けなきゃだったけど勝ったよ、抑えられなかった、俺ととどろきくん同じだった、うれしい」
「……ぐちゃぐちゃだな」
「そうなのぐちゃぐちゃなの」
「なんだよ、それ……もうほんと…………西岐は……もう」

 より一層力を込めてしがみついてくる西岐に胸が苦しくなって、轟も受け止めていた両腕で、優勝したとは思えない細い身体を手加減なく抱きしめていた。
 言いかけた言葉は最後まで音にならなかった。
 後に続く言葉を負けたばかりのこの場で告げてしまうのはきっとふさわしくないから。

 ただひたすら、大観衆が注目する競技台の上で、西岐の気が済むまで抱きしめあうのだった。
create 2017/10/30
update 2017/10/30
ヒロ×サイtop