職場体験
ヒーロー名



 朝の通学路の先に轟の姿を見つけた西岐は迷わず声をかけた。
 振り返った轟は一度虚をつかれた顔になる。

「なんで」

 端的に疑問だけを口にして立ち止まった轟の目は、西岐ではなく隣を歩く障子に当てられていて、ほんのりと不快感を示した。
 西岐は轟の元へ少し足を早める。すると隣を歩いていた障子もその手に持った大きな傘から西岐がはみ出ないように、大きく足をスライドさせて追いかける。一つの傘の下を障子と西岐、仲良く納まっていた。
 この状態に至った経緯は単純で、昨晩障子宅で夕食を共にしたあと満腹と眠気に勝てなくなった西岐が寝てしまい、結果的にお泊りとなり、翌朝のこの雨、傘を持って行かなかった西岐は仕方なく障子に入れてもらっているというわけだ。因みに障子の持っている傘はこれ一本のみで、大きな体をカバーしきれない折り畳みなど持っているはずもない。

「おはよぉ、とどろきくん」
「……おはよう」

 疑問の意味が分からずひとまず挨拶すると律儀に返ってくる。
 西岐が追い付くと轟もまた歩き始める。

「なんか二日ぶりだとひさしぶりだよねぇ」
「悪ぃ、意味が分かんねぇ」

 生粋の日本人でありながら日本語が不自由な西岐の台詞が轟を困惑させる。

「二日も休みだったから久しぶりに会うような気分だってことだろ」
「そう、それ」
「……ああ、なるほど」

 障子の触手がするりと西岐の背中を回って轟に向けられ、触手の先に出現させた口が代わりに説明してくれる。それを聞いて轟は表情の晴れないまま頷く。傾いた傘の先から水のかたまりが落ちて轟の腕を濡らすが気にしていない。
 西岐も自由にふらふらと歩くせいで多少肩が濡れていたが、不思議と傘が追いかけてきて派手に濡れずに済んでいる。

「お休みの間とどろきくんはなにしてたの?」

 問いかけると返事に迷うように轟の目が彷徨う。
 何か言いづらいのか、ちらっと西岐を見ては手のひらで首を撫でつける。 

「お母さんのお見舞いに行ってきた」
「……え?」

 思わず轟の顔の火傷を見てしまった。轟の母と言われて思い出すのはエンデヴァーとの個性婚の末、精神的に追い詰められて轟の顔に煮え湯を浴びせたという話。西岐が知っているのはそれだけだ。
 見舞いという単語からして病院にいるらしい。

「お母さん入院してたの?……病気?」
「言ってなかったか? これのせいでクソ親父に病院に入れられたんだ、それ以来会ってなかったんだけど一昨日会いに行ってきた」
「……そうだったんだ、会えた?」
「会えた。なんか二人して謝ったりしてぎこちなくてさ、でも……思ったより大丈夫だった」

 視線の先で火傷の痕を轟の手が覆った。そこまでのことだったとは知らなった。自分の子供に怪我を負わせたのだ、そういう処置になっても仕方ないのかもしれないが、母親と引き離されるのは辛かっただろう。家庭に無縁の西岐にもそのくらいのことは想像できる。
 けれどそのわだかまりも幾らかは解消されたのだろうということは、轟の穏やかな表情を見て分かった。

「そっかぁ……うん、そうだよね、とどろきくんは大丈夫だもんね」
「体育祭でも言ってたなそれ、相変わらず意味分かんねぇ」

 小さく握り拳を作っていると轟の目元を覆っていた手が剥がれて口を隠す。微かに綻んだ口元を西岐は見逃していない。
 言うかどうか迷うそぶりを再び見せるが今度は空気が軽やかだった。

「あと、お母さんが西岐に会ってみたいって」
「……なんで」

 疑問の声を上げたのは西岐ではなく障子だった。頭上で傘が傾き結構な量の水が筋状になって西岐の頭に降りかかった。

「あ、あ、あああああ、もおおおお」
「すまん」
「傘、俺が持つ?」
「西岐が持ったら今度は俺が濡れるからいい」

 訓練の後に使う用のタオルをカバンから引っ張り出して、触手のうちの二つが手の形になり西岐の髪を拭いてくれる。障子にしては少々雑な手つきに西岐の頭が揺さぶられる。

「ねぇねぇ俺、とどろきくんのお母さんにはいつ会いに行く?」

 乱れた髪の間から轟を見る。
 西岐の目に、声に、楽しさが乗る。
 学校行事でもない限りクラスメイトの親に会うこともなく、これまで友人宅に招かれるという経験もほぼない西岐には轟の誘いがこの上なく嬉しかったのだ。
 雨音に紛れて息を飲む音が聞こえた気がしたが、通り過ぎる車の騒音で掻き消えた。

「いつでも、西岐の都合に合わせる」

 轟の目が柔らかく細められる。傘の影でも分かるくらい頬が赤くなり、口元がゆるく弧を描く。
 これはきっと西岐が初めて見る轟の笑みに違いない。

「――で、なんで西岐は障子の傘に入ってんだ?」

 それでこの問いはきっと、最初の声をかけた直後に見せた表情に繋がっているのだろう。
 ちらっと見た障子は肩を竦めるだけで、何故かこの説明に限っては一切助け船を出してはくれず、日本語の不自由な西岐が轟に事情を説明するのに四苦八苦するのだった。





 いつもより少し賑やかなHR前の教室。
 体育祭がテレビ中継された影響で有名人と化したクラスメイト達が街中で声をかけられたという話題で盛り上がる。
 しかしその賑やかさはチャイムが鳴るまでで、さすがは優秀な雄英生なだけあってか相澤が教室に入ってくると同時にピタッと静まり返る。
 久しぶりに包帯の取れた顔をクラスメイト達に見せた相澤に、気遣い上手な蛙吹が反応して、それを何気なく律儀に拾っては照れか気まずいのか、相澤はどうということはないというふりをしてみせる。頬をかくさなか、袖口からちらりと見える手首の包帯は、まだ完全に消えていない手術跡を隠すためものだということを西岐だけは知っていた。

「んなもんより、今日の"ヒーロー情報学"ちょっと特別だぞ」

 誤魔化しなのかやや被せ気味に切り出した次の授業に関する話にクラスがざわつく。
 入学早々から除籍処分をかけた個性把握テストを受けさせられたことがトラウマとなっている1-Aクラスメイト達は、相澤がこういう切り出し方をすることに大きく動揺してしまう。それも座学の情報学ともなればなおさら心許ない者が多い。
 西岐も他人ごとではなく相澤の次の言葉をハラハラしながら待つ。

「『コードネーム』、ヒーロー名の考案だ」
「胸ふくらむヤツきたああああ!!」

 相澤が言うや否やクラス中が一気に沸き立つ。テンションの高いムードメーカータイプの者などは拳を振り上げ立ち上がる。それほど胸が膨らむ事柄らしい。
 西岐はクラスメイト達の勢いに圧倒され前髪に隠れた両目を瞬いた。
 無駄に賑わってしまったクラスメイト達を視線だけで黙らせた相澤が説明を続ける。ヒーロー名というのが体育祭で得たプロからのドラフト指名に関係しているということ、その指名はあくまで将来性に対しての興味の範疇であること、その期待に応えられるだけの水準が課せられるということ。
 リモコンを操作して黒板に映し出されたのは指名の集計結果。

「例年はもっとバラけるんだが、二人に注目が偏った」

 結果を見てクラス中があからさまに動揺を浮かべてざわつく。
 指名のあるなしで一喜一憂する者もいるが、ほとんどの者はそれと関係なく黒板を凝視していた。上位二名とそれ以下との差にもだが、なによりその上二つを飾る名前が動揺を誘っていた。

「一位二位が轟と爆豪……ッ!?」
「え、優勝したれぇが指名三桁って、そんなことあんの?」

 上鳴と切島の声がクラス中のざわめきの中で一際目立って西岐の耳に届く。

「あれかな……何が起きたか分からないうちに勝っちゃってたりしてたから、プロに良さが伝わらなかったとか」
「あーありうるな!」
「っていうかそもそもれぇちゃんの個性ナゾだもんね」
「確かに、西岐の個性って結局なんなんだ?」

 ここにきて唐突に沸く西岐への疑問。いやこれに関してはもしかしたら表面に出てこなかっただけで随分と前からクラスメイト達の胸の中にあったのかもしれない。こういう類の疑念は今までの人生何度も浴びてきただけに西岐は別段気にした風でもなく、再び目を光らせる相澤の方だけ見ていた。

「人のこと気にしてる場合じゃないだろ。こっからが大事な話だ」

 曰く、今後組まれる日程で職場体験というものに行くこととなりそれによって仮ではあるがヒーロー名が必要となってくるとのこと。ちなみに職場体験先というのは先程のドラフト指名の中から選ぶか、指名のなかった者は学校側からオファーした受け入れ可の事務所を選ぶことになるらしい。
 一連の説明を終えた相澤はミッドナイトに査定を任せ、いそいそと寝袋に入って教壇横の床で目を閉じる。隙あらば睡眠をとろうという相澤に慣れ切っている1-Aクラスメイト一同は何も突っ込まず、渡されたフリップを前から後ろの席へと送っていき、与えられた15分間黙々と頭を捻ってペンを走らせる。

 ヒーロー名。
 もう一度、脳内でその言葉をなぞって西岐は途方に暮れた。
 多分きっとヒーロー名というのはその人そのものを表現した言葉を選ぶべきなのだろう。分かりやすく言えば個性を表す言葉が一番いいに決まっている。オールマイトやイレイザーヘッドなどがその例だ。
 ――では、西岐の個性は?
 これに関して今しがたクラス中をざわめかせたばかりだ。
 西岐自身"よく分からない"のだ。よく分からないというものにはプロも指名を躊躇うらしい。
 何と書けば自分を表せるのかが分からない。
 キャップをはめたままのペンを握って真っ白なフリップを呆然と見つめる。

 頭の奥がキンと張り詰める。
 遠くで物音が聞こえる。
 それは実際の物音ではなく恐らく西岐の頭の中にある記憶の物音。今まで思い出さなかった、忘れかけた遠い思い出。

『卑屈になるな、お前の力は十分凄い』

 そう言ってくれたのは誰だっただろうか。
 もう随分と昔のことではっきりとは思い出せない。

『――……サイキッカーみたいだな、それ』

 誰かが、西岐の能力を見てそう言っていたのを思い出す。その言葉が意味するところを実はよく知らない。たった今言われたという断片だけ思い出しただけだ。
 けれどそれが今胸にストンと落ちた。
 迷うことなくマジックを滑らせる。

「サイキッカー」

 教壇に立ちみんなの前で掲げるとそれぞれの口が『あっ』という形で固まる。

「サイキッカー、超能力者ね」
「いわゆるPSIだね! 個性の原点ではないかって言われてるけどいまだにきちんと研究はされていない未知の超常だよ、昔のヒーローものの映画やコミックにはよくサイキッカーが出てきて空を飛んだり物を浮かせたりいろんな能力を見せるんだ」

 ミッドナイトがいいネーミングねとばかりに笑顔を浮かべる一方で、緑谷は誰に説明するでもなく、それでいて独り言にしては大きな声でブツブツと呟く。それが案外みんなの疑問を一掃したらしく成る程という表情を浮かべた。

「つまりれぇちゃんの個性はサイキックってことか!」
「まあ、分かっても分かんなくてもチートに違いねーんだけどな」

 納得と笑いが教室中に渦巻く。
 勝手に憶測して勝手に納得してくれるクラスメイト達に感謝して西岐は席に戻った。その間肯定も否定もしない。結局のところ別に西岐は自分の個性について何も分かっていないことには違いなく、断言して嘘をついたことになるのは嫌だったからだ。
 西岐に対して疑念があろうと納得する答えが出ようと、なんだかんだでクラスメイト達の西岐に対する態度が変わったわけではなかった。それはもう、いい意味でずっと変わらない。
 雄英のヒーロー科に集まる者というのはそれだけ非凡ばかりなのだろう。他人と違うということに慣れているのかもしれない。
 次々と発表されていくクラスメイトのヒーロー名を眺めながら、西岐の口は抑えきれない嬉しさに緩んでいた。
create 2017/11/09
update 2017/11/09
ヒロ×サイtop