職場体験
No.2ヒーロー



 一等地に立ち並ぶオフィスビル、その一角にエンデヴァーのヒーロー事務所はあった。数多くのサイドキックを雇い、経理・広報・情報管理・一般事務などの多岐にわたる人員を含めかなりの大所帯となる事務所は、高層ビル群のなかにあってけして見劣らない立派な佇まいを見せていた。
 最上階最奥で腕を組みふんぞり返るエンデヴァーの姿はさながら魔王のようだ。
 体育祭で居合わせた時にも感じた威圧感を再びいま目の前にして、西岐は小さく身を縮こませた。

「あの、西岐れぇです。指名ありがとうございました。一週間よろしくお願いします」

 それでも何とかきちんと挨拶できたのは、出発前に相澤から口酸っぱく失礼のないようにと言われていたからだ。
 ぺこりとお辞儀をすると隣の轟もつられたように頭を下げる。
 エンデヴァーの鋭い目が物言いたげに轟を見下ろした後、西岐に向けられる。

「体育祭での活躍、実に素晴らしかった。君が女性であれば焦凍と結婚させるんだがなぁ」

 実に残念そうに言って顎を撫でるエンデヴァーに、西岐は燃えている髭を触って熱くないのかなんて関係のないことを考えていた。
 隣では轟が盛大に咳き込む。

「――ッ何言ってんだクソ親父」
「最強の孫が生まれるぞ!」
「頭沸いてんのか……」

 すかさず噛みつく轟にエンデヴァーは口をへの字に曲げる。本人は至極真っ当に正論を述べたつもりらしい。息子に否定されるのは腑に落ちないといった様子。

「まあ……でも、俺男だから……」

 なんにせよこれほど不毛な話題もないと、西岐がぽそっと一言。
 すると、二人は咳払いをして互いから目を逸らした。

「早速ロッカールームで着替えてこい。荷物はちゃんと"持ってくるんだぞ"」

 何事もなかったかのように指示が出され、事務員の一人に案内されるまま苦々しい表情の轟と共にロッカールームへと移動する。
 荷物を持ってこいとの指示なのでロッカーは使わず、ベンチに荷物を置いて着替える。
 西岐のコスチュームはシンプルで脱着しやすいためそう時間はかからない。ヴィラン襲撃の後、修繕に出して帰ってきたスーツにはほつれや汚れがなく、首に巻く布も綺麗になっている。パームレスグローブの上からブレスを嵌める。

「……あれ、とどろきくんの変わった? こっち側氷がない」
「ああ、変えた」
「俺もちょっと変わったんだよ、あのねここが」

 自分のニューコスチュームを説明しようと手首を指さしたところで、エンデヴァーから早くしろと声がかかる。最奥からここまで聞こえるということは相当な声量だ。そういえばオールマイトもエンデヴァーと同じく、マイクも使わず競技場中に声を響き渡らせていた。あの体格と筋肉は伊達ではないらしい。
 さほど待たせたつもりはないが、急かされ慌てて着てきた制服をカバンに押し込み、荷物を抱えて先程の場所へと戻る。
 それと同時にエンデヴァーから事務所内の者に指示が出る。

「我々はヒーロー殺しを追う!! 前例通りなら保須に再びヒーロー殺しが現れる、しばし保須に出張し活動する!!」

 数名のサイドキックに保須への同行を、残るほとんどのサイドキックたちには事務所近辺の取り締まりを言いつけ、用意した移動用の車へ西岐と轟を押し込んで自身も乗り込んだ。





 車で一時間と少し。
 移動した先、保須市。
 サイドキックたちは仮事務所の設置に取り掛かり、エンデヴァーは到着してすぐに西岐たちを引き連れて路地裏を中心に市内をパトロールし始める。
 巨体に炎を纏い歩く姿はとても目立ち、行く先々で一般市民の注目を集めた。

「さすがエンデヴァーさんですね」

 先頭を行くエンデヴァーについつい話しかけてしまった。

「あちこちで悪そうな人たちが不味いって顔して逃げていきます」

 視界の端々でそういった光景を見るたびにヒーローの抑止力というものを実感する。オールマイトがただ一人平和の象徴と言われてはいるが、多くのヒーローの存在もまた平和を担っているに違いない。
 間近で見て、隣を歩くだけで何となくそれが感じられた。

「……ヒーローだからな」
「すごいです」

 顔も見ずに素っ気なく切り返されるが構わず続ける。

「ヒーロー殺しの事件でみんな不安になってるし、エンデヴァーさんが来てくれてホッとしてると思うし、存在感があるっていいなって、思うんです」

 街のいたるところでパトロールしている他事務所のヒーローや警察の姿を見た。これほど厳重な警戒態勢の中で暮らす人々の心の負担も大きいのではないか。だからエンデヴァーの姿を見るたび人々は嬉しそうにするのだと思う。
 はじめこそ存在そのものに圧倒されていたが、エンデヴァーがただの怖くて力任せのヒーローでないことはじわじわ分かってきていた。サイドキックたちを取り纏める手腕もそうだし、そのたびにコレはどうでアレはどうだと西岐たちに説明してくれる。案外面倒見がよく教えたがりなのかもしれない。

「西岐、そのへんにしろ、馬鹿が調子に乗る」

 轟が冷めた目で横槍を入れる。
 肩越しにエンデヴァーの目が振り返る。

「お前も俺を褒めていいんだぞ」
「いいんだぞ」

 エンデヴァーの尊大な口振りを真似て西岐も轟を覗き込むと、あからさまにムッとする。

「やめろ、いきなり仲良くすんな、腹立つ」

 心底嫌そうな轟の態度にはエンデヴァーも慣れているのか、特に何も言い返さずまた顔を正面に戻した。
 この後はひたすらどういうところに注意をするべきかや、事件が起きた場合どういう行動に移るべきなのかなど様々な指導を受けながら、何事もなくパトロールを終えるのだった。





 パトロールを終えた後は、仮事務所で設置の準備を手伝ったり、出張でサイドキックたちがするべき仕事について説明を受けたりしながら待機していたが、深夜を回った頃、体を休めるように言われて仮事務所内に設置した仮眠室に入った。
 仮眠室には人数分のマットレスと毛布が置かれ、それぞれがパテーションで仕切られていた。
 出張が連日続くようなら今後はホテルをとることになるが、今日はひとまずここで休めということだった。
 交代でシャワーを浴びて毛布に包まる。
 長距離の移動と初日という緊張とで疲れているはずだが、西岐は眠れず薄暗い部屋で天井を見つめていた。

 保須市、ヒーロー殺し。この言葉がぐるぐると頭を回る。出来るだけ考えないようにしていたがこうしてぽっかりと一人の時間が空いてしまうと、つい頭に浮かんでしまう。
 この街に現れたヒーロー殺しが誰に何をしたのか、ニュースで何度も目にしては心穏やかではなかった。代々ヒーロー一家である飯田家はそれだけで有名で、西岐もインゲニウムの存在はよく知っていた。何より飯田は中学以来の同級生だ。彼が兄であるインゲニウムに憧れヒーローを目指してきたことは初めて彼に会った時から知っている。
 さらに脳裏に浮かぶのは、エンデヴァーから聞いたヒーロー殺しに関する情報。出現したのは7か所、17名を殺害し23名を再起不能に陥れた。そして出現した街で必ず4人以上のヒーローに危害を加えるという一定の規則性を持つ。
 誰から聞いたのか忘れたが、飯田もこの街に職場体験としてきているらしい。
 飯田は今大丈夫なのだろうか。
 兄を再起不能にした相手がいる街で、飯田の心は大丈夫なのだろうか。
 心配と不安が入り混じり一層眠れなくなる。

 隣で眠る轟を起こさないように静かに体を起こした。
 仮眠室の扉を開けると、廊下の先の執務室でエンデヴァーたちが仕事する物音が聞こえてくる。
 音を立てないよう忍び足で給湯室に入り、お湯を沸かしながら茶葉の筒を手に取る。サイドキックたちの話ではエンデヴァー事務所での飲み物はもっぱら日本茶に限るらしい。日本茶を淹れたことはないが適当な量の茶葉を急須に入れてお湯を注いだ。
 お盆に人数分の湯飲みを乗せ、執務室の扉を叩く。

「あれ、どうしたの」

 返事を待って入るとサイドキックの一人が不思議そうに声をかけ、つられて全員が振り返る。

「あの……お茶淹れたので、よければ」
「わああ、有難い!」
「その優しさが染みる」

 一人一人嬉しそうに手を休めて湯飲みを受け取っては口をつける。彼らも何だかんだで疲れていたのだろう、言葉の端に疲労が滲む。
 気難し気な顔で一台のパソコンを操作しながら、時折もう一つのモニターをチェックするエンデヴァーの机にもそっと湯飲みを置く。ちらっと覗き見ると片方は事務所に残してきたサイドキックたちとの通信、もう片方にはヒーロー殺しに関する情報が映し出されていた。
 エンデヴァーは一度シャワーを浴びたのかコスチュームを脱ぎこざっぱりした姿をしている。炎を纏っていない姿を見るのは初めてでついまじまじと見てしまう。
 西岐の置いた湯飲みに手を伸ばし、一口啜ると凛々しい眉がピクリと動く。

「あまり旨くないな」
「すみません……」

 はっきり言われてしまい西岐は小さくなる。それでも二口目を口に含んでから湯飲みを机に戻すエンデヴァーに口元が緩む。
 エンデヴァーは西岐の方を見ずパソコンを睨んだままだったが、湯飲みを置いた後もずっと横に立っていることに気付いてようやく顔を上げた。

「あとは事務的な事と情報集め、それとただひたすら待機だ。君のやることはないから休んでいい」

 相変わらずのぶっきらぼうな言い方で用無しと言い渡されるが、西岐は逡巡したのち口を開いた。

「あ、えっと、見てちゃだめですか?」
「……寝れないのか」
「はい」
「好きにしろ」

 これは許可を得られたということだろう。
 じっと仕事をするエンデヴァーの横顔を見つめると、パソコン画面に戻ったはずのエンデヴァーの視線が再び西岐に向けられる。

「ずっとそこに立ってるつもりか?」
「だめですか?」
「……せめてそこのソファーで見てなさい」

 言われるまま素直に従い、執務室の端に簡易的に設置されたソファーセットに腰を下ろした。西岐がソファーに落ち着いたことで、サイドキックたちもまた仕事の空気に戻っていく。
 程よい沈黙と、パソコンを操作する音、紙をめくる音が心地よい。
 プロのヒーローがこうして守ってくれているという安心感からか、見ていていいかと自分から聞いたことも忘れ、いつの間にか気付かぬうちに眠りに落ちていた。
create 2017/11/10
update 2017/11/10
ヒロ×サイtop