職場体験
相対



 大きな事件が起きることもなく職場体験も三日目を迎えていた。
 二日目の夜も仮眠室で過ごした西岐は、七時頃に起きて着替えると日課となりつつある仮事務所の掃除を始める。窓を拭いて、床を掃き、モップをかけている頃に轟が起きてきて手伝ってくれるので、机を拭くのを任せ西岐は給湯室に入る。お湯を沸かしている間に仕出しが届き、お茶と一緒に机に並べていると、明け方仮眠室に入ったエンデヴァーとサイドキックたちが起きてくる。

「おはようございます」
「おはよー、朝一番のれぇちゃんの声が癒しになってるわ、俺」
「右に同じく」
「お茶がうめぇ」

 寝惚けの抜けない顔で口々に何か言っては自分の席に座っていく。お茶の淹れ方はさほど成長していないのだが、サイドキックたちは美味しそうに飲んでくれる。

「昨日のデリカはお口に合わなかったようなので今日は仕出しのお弁当にしてみました」
「いいんだよ、ただの我儘なんだから」

 相変わらずどこか辛辣な轟もなんだかんだで和食は嬉しいのか、さっさとソファーに座って割りばしを手に取っている。西岐も轟の正面に座って、軽く手を合わせてから食べ始める。
 エンデヴァーからは何も特に反応がないが黙々と箸を進めている。昨日の朝食に用意したデリカの時は脂分が多いだの味が濃いだのと、何かと気に入らず文句たらたらだったので、仕出しにして正解のようだ。
 朝食を終え、西岐が片付けていき新しくお茶を淹れている間に、サイドキックたちもだらだらと身支度を整え仕事に戻り始める。
 コスチュームに身を包んだエンデヴァーに声をかけられて本日もパトロールに出掛ける。午前、昼過ぎと時間を空けルートを変えてパトロールをするが何事もなく時間が過ぎていった。厳密にいえば、引ったくりが角を飛び出してきたのをエンデヴァーの炎が取り囲んで捕まえたり、怪しげな取引に出くわして職質をかけたりはしたが、一面を飾るような大きな事件は起きていない。

 今日も何も起きないのかと思いかけていた夕方。
 強烈な眩暈に襲われた。
 持っていたファイルが床に落ち、近くの壁に手を突く。
 周りの音が何かに吸い取られていくかのように小さくなって消えていく。全身の感覚が幕を張ったようになる。
 黒い渦が見える。刃物を携帯した男と、死柄木の姿。
 場所が切り替わり三体の脳無が街中で暴れ、建物や車が破壊される光景。
 また切り替わる。あれは路地裏。さっきの刃物を持った男。赤い血が何度も舞う。刃物が見知った三人に襲い掛かる。
 点々と時間と場所が頭の中を駆け巡る。状況が繋がらないまま場面だけがフラッシュして唐突に消えた。

「西岐っ、おい」

 音が戻る。
 轟が西岐の肩に手を置いて覗き込んでいる。
 サイドキックたちも取り囲み、その奥にはエンデヴァーの姿も。

「……脳無が……三体も、あれはすごく強い……個性も複数あって……エンデヴァーさんじゃないと……。それと……あれはヒーロー殺し?」

 無意識に口が動く。
 姿は違えどあれは確かに脳無。USJで相澤の腕をへし折り目に傷を負わせ、オールマイトをてこずらせた厄介な敵。
 それと同時進行で起きるらしいクラスメイトのピンチ。
 どう動くべきなのか。
 "どちらを選ぶのか"。
 迷っている間に爆発音が起きる。ガラスがビリビリと鳴る。
 焦燥のまま、ぐるりと視線を巡らせる。壁を、ビルを、透かしていく。目が回りそうになりながら広範囲を透かしていく先に、見つけた。

「――ッいいだくん」

 次の瞬間にはもうその場から姿を消していた。





 見えたのは足蹴にされている飯田。
 男の持つ刃物には赤い血が付着している。
 手に力を込める。ブレスに電気が吸い込まれていくのが分かる。ブレスの下部にあるトリガーをもう片手で引くと、小さな弾が発射される。それが男の背に当たるなりバチッと小さな音を立て、男は動けなくなる。
 USJの一件で得た着想にサポート会社の技術とアイディアを借り改良した抑制弾。被弾した直後、弾は対象物に張り付き電気を放出し続け、数分は動けない。
 西岐は男への攻撃はせず、足を払いのけて飯田に駆け寄りまず状態を見る。

「西岐くんっ」
「血が出てる、痛い? 動けない?……あの人も動けないの?」

 両腕から出血があるがスーツのせいでどのくらいの傷かわからない。まだ地面に張り付いているということは動けないのかもしれない。
 しかし返事を聞いている暇はない。抑制はもう解けてしまう。
 瞬間移動でもう一人のプロヒーローらしき男の元へ移動し、意識があり頭部に損傷がないことを確かめて動かしても大丈夫だろうと判断すると、彼を連れて飯田の元に戻る。さっさと二人を連れて移動しようと飯田に手を伸ばした西岐の腕に、ナイフが飛んできて掠る。

「……ッ!!」

 それと同時に男が刃物を構えて宙を滑空してくる。
 咄嗟に飯田とヒーローを突き飛ばして遠ざけ、自分も別の方向へと身を躱す。が、すかさずナイフが飛んできて僅かに二の腕を抉って壁に突き刺さった。
 二手三手が早すぎて飯田の近くにいたら巻き込んでしまう。

「やめろ、西岐くん、俺を置いて行ってくれッ」
「……ダメだよ、いいだくん。ヒーローは見捨てられない」

 一人宙へと移動し、バランスを取りながら壁の出っ張りに足をかけてまた宙に移動しながら、追ってくる男の刃物を躱す。
 出来るだけ負傷した二人から引き離そうと動く。
 だが逃げの一手ではいずれあの刃物にやられてしまう。動きを読み計算して繰り出される男の攻撃は西岐の余裕を削いでいき、そして生まれる隙を明確に突いてくる。
 背後に迫った男へ回し蹴りを見舞うが躱され、代わりに西岐の鼻先をナイフが掠める。はらりと前髪が散る。
 避けたと思ったがプツッと頬から鼻にかけて赤い筋が走り、小さな血の珠が舞う。
 あっという間に間合いを詰められ、肩を掴んで壁に叩きつけられる。押さえる手に込められた力で肩が軋んで鈍く痛む。

「ハァ……お前は悪くない」

 長い舌が頬から鼻へと走った傷をなぞる。
 どういう意図があるか知らないが西岐の血を舐めたのだ、口についた血で十分封印できる。
 西岐は口の中で呟いた。
 しかし……手応えがない。
 封印されているのであればとてつもない負荷がかかるはずなのにそれが来ない。

「封印できない……?」
「凝血しない?」

 声が重なる。
 西岐が動揺した声を漏らすのと男の目が見開かれるのは同時だった。

「お前……まさか……」

 男が何か言いかけて、しかしそれは突然襲った強烈な攻撃によって吹き飛んだ。
 西岐の視界に迫った緑色の影。

「救けに来たよ、飯田くん」

 その声はヒーローらしい力強さを持っていた。
create 2017/11/11
update 2017/11/11
ヒロ×サイtop