職場体験
信念 痛む頭に顔をしかめながらも西岐は自分の足で歩いていた。
前を歩く飯田は両腕を何度も刺されているし、片腕負傷の轟は拘束されたヒーロー殺しの男を引きずり、動けるようになったプロヒーローは足を負傷した緑谷を背負っている。誰の手も煩わせられない。
幸いなことに頭部への打撃以外さほど酷い怪我は負っていない。
二の腕を押さえると少しべとついた血が手につくが、もう乾き始めている。
路地裏を出るとヒーロースーツを纏った背の低い老人と出くわす。どうやら緑谷の関係者らしく彼はグラントリノと呼ばれた。
彼が緑谷を叱りつけている間も続々とプロのヒーローが駆け付けてくる。エンデヴァーから要請があったようだ。きちんと説明もせず一人飛び出した西岐とは違い、轟は応援を頼んでから飯田のもとに駆けつけたのだろう。
まだ脳無と交戦中だと聞いて様子を見ようと黒煙が立ち上る方角に目を向けかけるが、飯田が緑谷たちに向かって深く頭を下げたことで、西岐はそちらに向き直る
「……三人とも……僕のせいで傷を負わせた、本当に済まなかった……。何も……見えなく……なってしまっていた……!」
涙の滲んだ声が震えている。己を悔やむ気持ちが溶け込んでいる。
緑谷が優しい言葉をかけて轟が叱咤する。
もう飯田は大丈夫。もう道を間違うことはないだろう。そう強く確信できるような光景だ。
西岐は何も言葉をかけず、再びエンデヴァーと脳無が戦っているであろう方向へと目を向ける。ビルを透かして脳無の姿を探す。地面ではなく遥か高みで翼をはためかせる脳無が見えた。エンデヴァーがビルの壁を蹴って追いかけ炎の矛で脳無の目を貫く。
脳無に捉えられていたヒーローが落ち、それを受け止めてエンデヴァーは地面に着地する。
片目から多大な血を流しながらも脳無は飛び続けこちらに向かってくる。
「伏せろ!!」
グラントリノが叫んだ。
しかしそれはもうすでに遅く一瞬の間に西岐たち一群目掛けて滑空した。足に緑谷を掴みまた浮上する、その前に、西岐は脳無の足にしがみついた。
最悪、受け身をとれないまま上空から落下するかもしれない。いやその前に瞬間移動すればいい。
キンと冷える頭の後ろで思考が回転する。
脳無の足に手のひらを張り付ける。手にはさっきの血がまだついているはずだ。
《封印》
今度こそ手応えがあった。全身に強烈な負荷が襲う。
脳無の羽がシュルと縮み始める。緑谷を掴む鳥のような爪が縮んで平たい人間の足の形状へと変化していく。
落ちてしまう前にと必死で緑谷の背へと手を伸ばす西岐の頭上に、黒い影がかかった。
それがヒーロー殺しだと認識すると同時に脳無目掛けてナイフが振り下ろされ、西岐と緑谷は脳無ごと急速に落下する。対応しきれない。
地面に叩きつけられる直前、男の腕が西岐と緑谷を抱えあげる。
「全ては……正しき社会の為に……!」
地面に降ろされ、男の横顔を見上げる。
その台詞に西岐の中で何かが小さく弾けた。自分はこの言葉を知っている、以前もこの言葉をどこかで聞いている。強烈な既視感。
ヒーロー殺しの行動で困惑し次の対応に移れずまごつくプロヒーロー達。
そこにエンデヴァーの喝が飛ぶ。
エンデヴァーとヒーロー殺しが互いの存在を認識して気色ばむ。
緑谷から手を放し立ち上がる男の顔からマスクが剥がれ落ち、彼の鋭い眼光が剥き出しになった。
「贋物……」
彼の放つ一言がその場の者たちを地面に縫い付けた。
「正さねば――……、誰かが……血に染まらねば……! "英雄"を取り戻さねば!!」
それはもう、信念というより強迫観念に近い。
彼の中では真っ直ぐに貫く固く強い想いなのだろうが、強すぎるあまりに歪み、煤けてしまっている。
「来い、来てみろ贋物ども……俺を殺していいのは、本物の英雄だけだ!!」
あたりに撒き散らされる黒くて熱い炎のようなもの。見えないはずの信念が形を成してその場にいる者を震わせる。
無意識に西岐の足が動いていた。
「――……あなたは、哀れな犯罪者だ」
背後から男の腕を掴む。
そうすることで動きを封じようと思ったのだが、もうその必要はなかった。
ナイフが地面に固い音を鳴らして落ちる。
「気を、失ってる……」
言ったのは誰だったか。
誰かが地面に座り込む気配がした。
気を失ってもなお佇みその信念を突きつけるヒーロー殺しの姿を恐ろしく思う一方で、やはり悲しい気持ちになっていた。これほどの思いを以って何かを成し得る者はそういないだろう。なのにこの男がしたことは間違いなく犯罪で、彼の罪は裁かれる。
抜け殻のような男の顔を見上げる。
この男は何故か自分を知っているようだった。そして自分もまたこの男の何かを知っている気がした。
火傷で爛れた顔の皮膚にそっと触れる。
その手が大きな手によって引き剥がされる。
「お前は……」
絞り出すような声が真上から注ぐ。
「お前はちょろちょろと勝手に……心配かけおって」
怒り心頭という言葉がピッタリ来るほど恐ろしい顔で見下ろすのはエンデヴァーだった。
引きずるようにしてみんなのいる場所へと連れていき、地面に座り込んだ轟に向かって西岐を放り投げた。轟が肩を掴んで受け止める。
「いいか、事が片付くまでそこで大人しくしていろ」
「……はい」
厳しく言いつけられ西岐は小さくなって大人しく地面に座った。
どのみちもう心身ともに疲れてしまって何かできるような状態ではない。
重たい息を短く吐き出していると、肩を掴んだままの轟がグッと力を込めて引き寄せた。
「西岐、震えてる」
「……あ、うん」
自分の手をもう片手で強く握りしめるが震えを抑えることが出来ない。
「怖かった」
立てた膝に顔を埋める。
安心した反動なのか今までの不安が一気に襲い掛かる。
「みんないっぱい斬られて、血が出てて、死んじゃうかと……っ」
直前にフラッシュした光景、それが戦いの中で現実となっていった。何度も何度も散っていく友人たちの血に心が抉られていくような気分を味わった。
「西岐くん」
「れぇちゃん……」
蹲る西岐に飯田と緑谷が声をかけてくる。肩に置かれた手にまた力が加わる。
よかった、無事でよかった。
いろいろ思うことはたくさんあるけれど今はそれが全てだった。
create 2017/11/12
update 2017/11/12
ヒロ×サイ|top