職場体験
正義の形



 騒動が落ち着いた頃、西岐は緑谷たちと共に救急車に押し込まれ病院で手当てを受けたのだが、軽い脳震盪を起こしたということ以外は特に問題がなく、顔と腕に簡単な手当てをして西岐一人だけ仮事務所へ帰ることとなった。
 そして翌日、見舞いに訪れると、三人は同じ病室でそれぞれが手足に包帯を巻きつけてベッドに腰かけていた。

「れぇちゃん、怪我の具合どう?」

 西岐の顔を見るなり緑谷が聞いてくる。
 どうみても自分の方が大怪我だというのに西岐を気遣う緑谷に苦笑する。

「俺はだいじょうぶ、みんなはどう?」
「俺たちは昼すぎに検査してそれからだな」

 聞き返すと今度は轟が答えた。なんにせよ起きて会話ができているのは何よりだと、口角を緩める。

「そっか……、お見舞いに買ってきたんだけど甘いもの平気、かな?」

 紙袋から手のひらサイズの容器を取り出して緑谷と轟に手渡す。
 パッケージを見て轟の顔が嫌そうに歪んだ。

「なんで葛餅なんだよ」
「エンデヴァーさんのおススメなの」

 仮事務所を出る直前、見舞いの品は何がいいかと悩む西岐にそれなら葛餅を買って行けとアドバイスをくれたのはエンデヴァーだ。それを素直に告げると「やっぱりか」と言わんばかりに項垂れながら大きく息を吐く。どうも未だに彼の中の父親に対する不快感は根強いらしい。
 一方で緑谷はペリッと蓋を外し、付属の匙で口に運んでいる。
 残りの一つを持って飯田のベッドに腰を下ろした。
 飯田は両腕を包帯でグルグルに巻き三角筋で吊るしている。この光景はまるでヴィラン襲撃以降の相澤だ。

「痛くない?」
「今は。痛み止めが効いている」
「そう……」

 自分がもう少し動けていれば三人がこんなに傷を負わずに済んだかと思うと、己の無力さに落ち込んでしまいそうになる。飯田の今の姿が、ヴィラン襲撃で味わった苦い気持ちを呼び起こす。けれど心の奥に押し込めた。
 フィルム状の蓋をはがして半透明な葛餅を匙で掬う。

「はい、いいだくん」
「……え?」

 匙の先を飯田に向けると理解できなかったのか疑問符と共に首を傾げる。匙の先に乗せられた葛餅が口元に近付いていくと、ようやく意味を理解してかボッと首から上が火を噴いたように赤くなる。

「だだだだいじょーぶ!! 自分で食べられる!!」
「でも……手が」

 相澤の時とは違って指先は動かせるようだが、モノを食べるとなれば腕を曲げるなどの動作も必要となる。まだこの後に検査が待ち構えているのならなおさら無理はさせられない。

「ね、あーんして」

 もう一度言いながら匙を口元へと持っていく。
 すると、そろそろと開いた口に匙の先が含まれる。すぐにスルリと匙を引き抜くと飯田は真っ赤な顔で咀嚼する。

「両手を怪我するとそういう特典がついてくるんだね、知らなかったー……」

 匙を咥えながら緑谷がもごもご聞き取りにくい声で言う隣で、未だ葛餅に手を付けていない轟は何とも言えない顔で二人を見ている。

「大変美味です」
「うん」

 最後の一口を飲み込むと何かの大役を終えたかのように肩から力を抜き、西岐に対して軽く頭を下げた。飯田の奇妙な仕草に笑いつつ、緑谷から食べ終わった容器を受け取り、轟からは手つかずのまま返されて一緒に紙袋へと戻した。

「でもあの時はほんとに驚いたよ」

 おもむろに緑谷が切り出す。

「路地裏に駆けつけた時、ヒーロー殺しにれぇちゃんが押さえつけられてて」

 ああ、またその話かと思いながら、西岐は聞いてないふりをして飯田の隣に戻る。

「俺なんかもっと最悪だ」

 轟の苦々しげな声が緑谷の話を引き継ぐ。

「突然目の前で消えて、見つけたと思ったらヒーロー殺しに腕掴まれてぐったりしてたんだぞ、一瞬死んでんのかと思った」

 これも散々言われた。路地に座り込んでいる間も、救急車で運ばれている間も、処置を受けて入院の手続きを待っている間も延々、散々だ。
 なにも無茶をしたのは西岐だけではないのだが。

「……俺だって、……心配したもん」

 轟と緑谷には聞こえないだろう小さな声で呟く。
 頭の中で三人が傷ついていく場面がフラッシュした瞬間、冷静に対応できないくらい狼狽した。近くに頼れるプロヒーローとサイドキック数名がいたのだから協力を仰げたはずなのに、何も言わず一人で飯田の元へ駆けつけてしまった。
 あの時の行動は決して正しくない、けれどそれだけ三人の身を案じたのだ。

「ああ、心配をかけた」

 飯田が同じように小さな声で頷く。
 病室内に不思議な間が漂い、それぞれがそれぞれの傷を改めて見下ろしていた。

「冷静に考えると……凄いことしちゃったね」
「そうだな」

 緑谷と轟がぽつりと零す。

「あんな最後見せられたら生きてるのが奇跡だって……思っちゃうね」

 最後という言葉で今でもすぐにヒーロー殺しが気迫を撒き散らした光景が脳裏に蘇る。見た者の心に強烈に焼き付き簡単には忘れさせてはくれないだろう。

「僕の脚、これ多分……殺そうと思えば殺せてたと思うんだ」
「ああ、俺らはあからさまに生かされた」

 二人の言葉に頷きながら頬を押さえる。絆創膏の下で傷がじんわり疼く。
 確かに殺そうという意思は感じられなかった。あれだけの実力があれば西岐たちなど斬り捨てることもそう難しくなかったに違いない。
 西岐に対しても、刀身は使わずあえて鞘で打撃を与えてきた。明らかに軽傷で済ませようという意図を感じられた。
 生かすにも殺すにも信念を超えた執念が感じられる。

「あんだけ殺意向けられて尚立ち向かったお前はすげえよ。救けに来たつもりが逆に救けられた、わりぃな」
「いや……違うさ俺は――……」

 ヒーロー殺しの本気の気迫を正面から見てしまったからだろう、叱咤していた昨夜とは一転して敬意を示す轟に、飯田は表情を曇らせた。
 胸の内を吐露する飯田を、聞き覚えのある老人の声が遮った。
 飯田と緑谷の職場体験担当ヒーロー、マニュアルとグラントリノがドアを開けて入ってくる。来客だという言葉に立ち上がる飯田につられて西岐も腰を上げた。
 随分と大きな体でドアをくぐるのは犬のような顔をした人物。

「保須警察署署長の面構犬嗣さんだ」
「掛けたままで結構だワン。君たちがヒーロー殺しを仕留めた雄英生徒だワンね」

 署長が自ら出向く事態ということに、西岐はやはりこうなるのかと思いながら、面構の話を聞いていた。
 随分長く話しているが要約すると、ヒーロー殺しは重傷で治療中であること、その身体には火傷と骨折があり個性を使用して危害を加えたことは明白だということ、諸々の事情で定められた現行の制度はその成り立ちから厳守されるべきであること、資格未取得者が保護管理者の指示なく"個性"で危害を加えることは規則違反である……ということ。
 まあ、そうだろう。そういうことになるというのは分かっていた。飛び出すとき一瞬規則が過ったのは確かで、然るべき罰を受けるのが筋だ。
 覚悟を持って面構の次の言葉を待つ。
 だが――……。

「緑谷くん、轟くん、飯田くん、君たち三名。及びプロヒーロー、エンデヴァー、マニュアル、グラントリノ。この六名には厳正な処分が下されなければならない」

 そこに西岐は含まれていなかった。どういうことだと困惑を訴える隙もなく話は勝手に進んで行ってしまう。
 轟が面構の言葉に噛みつき、面構の毅然とした物言いが案外血気盛んな轟の激情を煽る。
 だが、飯田とグラントリノに制止されて話が続けられると、面構が轟たちに伝えたかった真意が明瞭となっていく。
 今までのはあくまで公表すればの話。一方で公表しない場合、ヒーロー殺しの火傷跡からエンデヴァーを功労者として擁立してしまえると。称賛と引き換えに処罰を免れることが出来ると、そういう話だった。
 話の全容を理解すると轟たち三人は、面構に向かってよろしくお願いしますと深く頭を下げた。
 面構からも感謝の言葉が伝えられその場の空気が一気に緩和した。
 ……西岐以外は。
 話は終わったとばかりに病室を出ていこうとする面構を追うように足を踏み出す。

「あ……あの、俺はなんで……何も言われないんですか」

 ようやく言えた。
 最終的に丸く収まりはしたが前半の物言いに轟たちは随分責められた気分を味わっただろう。なのに同じく居合わせた西岐が一人だけ免れているのはどういうことなのか。
 その疑問は解けていない。

「君は規則に反していないからだワン」

 西岐の眉が前髪の内側で歪む。
 意味が理解できない。

「俺もあの場にいました、ヒーロー殺しと戦いました」

 納得のいかない声を発して目の前に立つ西岐を見下ろし、面構ははてと首を捻る。そして背後の三人にまた視線を向けた。

「昨夜の一戦で、この彼がとった行動をもう一度説明してもらえるかな」

 面構がぐるりと病室を見渡すと、飯田が一歩踏み出しながら説明する。

「まずヒーロー殺しから俺を引き離してくれました。攻撃はせずネイティヴさんと俺の怪我の状態を見るのを優先し、それからヒーロー殺しの攻撃が俺たちに当たらないように逃げ回って……結果的には押さえつけられしまって……」
「その状態の時に僕が駆けつけたんです。そのあと飯田くんを庇って殴られて気を失って」
「俺が見た時はヒーロー殺しに捕まってぶら下がってた。あとは助けようと腕にしがみついたりくらいのことはしたけど危害は加えてない」

 三人が三人とも見たままを面構に話す。
 言われてみればそうだったような気がする。だが確かにあの時個性を使ってヒーロー殺しと戦っていたはずだ。
 そう思っているのが面構には伝わったのだろう。

「ヒーロー殺しの身体にも君の個性から受けた傷らしきものは見つかっていないワン」
「俺の個性は……傷が残らないんです」
「それも防衛の域を出ない、規則違反とまでは言い難いワン。むしろ、終始救けようと一貫していた君の行動は人命救助といったほうがいいワン」

 どこか諭すように注がれる言葉に複雑な気分が広がっていた。
 自分の手を強く握りしめる。
 違う、あれは人命救助ではない。強敵と闘うには個性が心許ないからそういう選択にならざるを得ないだけの話。自分にも立ち向かうに相応しい個性があれば、あの場で必ずヒーロー殺しに危害を加えていた。
 しなかったのではない、出来なかっただけだ。
 行き場のない悔しさに俯いていると、グッと手を引かれる。

「分相応を知るってすごいことだよ、れぇちゃん」

 緑谷の怪我を負っていないほうの脚がベッドから踏み出している。怪我が痛んだのか片方の眉が僅かに歪む。
 それでも緑谷の大きな目が挑むように真っ直ぐ西岐へ向けられていた。
 緑谷の言葉はいつも西岐を揺るがす。なんて影響力が大きいのだろう。きっとヒーローがヒーローたり得るに必要なものを持っている。
 もやもやしているものを吹き飛ばしてしまえる緑谷の強さに、西岐は眩しげに目を細めた。

「それに、規則を犯してなきゃ怒られねぇってことでもねぇ」
「ウム、君も相澤先生には確実に怒られるだろな」

 続く二人の言葉に心の中の大部分を大きく削がれてしまった。

「うあ……それはいやだ」

 反射的に湧き出た思いがポロっと口から零れる。
 地を這うような地獄の怒りを見せる相澤がリアルに想像できてしまい思わず口元に手を当てる。規則違反は免れても相澤の罰は免れそうもない。

「まあせいぜいたっぷり絞られるといいワン」

 担任の説教に恐れを浮かべる西岐の肩を叩くと、面構は今度こそ病室を後にしたのだった。
create 2017/11/13
update 2017/11/13
ヒロ×サイtop