はじまり
合格通知



 集合玄関のポストにダイレクトメールではない封書を見つけたのがその日の帰りだ。
 差出人のところに雄英高等学校の文字。

「……――え」

 人間は驚きすぎると思考が停止してしまう生き物らしい。
 停止したまま長い時間佇んでいたものだから同じマンションの住人が不審な目を向けてきた。
 ぼんやりした頭のまま封書を持ってエレベーターに乗り込む。
 階を上がるごとに胸のざわざわが大きくなる。

 玄関扉を後ろ手で閉めるなり、靴も脱がずその場で開封した。
 謎の丸い物体が転がり落ちると同時に空間投影ディスプレイが浮かび上がる。

「やあ、君が西岐れぇくんだね。私は根津、雄英高等学校の校長さ!」

 投影されたのは右目に大きな傷跡を持つ喋るネズミだった。
 『おめでとう』の言葉を皮切りに、祝福の言葉やら雄英高校の校訓やら、目指すべき道の大義やら、話が右に行ったり左に行ったりしつつも実に校長らしい言葉を西岐に向かって投げかけている。
 西岐はもはや言葉を発することも出来ず、玄関に佇んで映像が終わるまでを眺めていた。

 フッとディスプレイが消え玄関が薄暗くなる。そういえば明かりもつけていなかったなと壁を手探る。
 勉強部屋のデスクにカバンを置いて、封書とスマホだけ持ってリビングに向かう。
 クッションに座り込んで指先でスマホを操作する。その間も思考は虚ろでろくな文章が思いつくはずもなく指が思い通りに動きやしない。

「……っ、……っ」

 焦燥が解決策を奪い去ってしまう。
 たった一言をやっとの思いで打ち込んだ。
 間髪おかずスマホが震える。

「……あ」

 画面に映ったのはテキストチャットではなく通話の着信画面だった。
 震える指でタップして耳に当てる。

「どうした」

 随分と久しぶりに聞く声。
 目尻から一粒涙がこぼれ落ちる。唇がうまく動かなくて声にならない。

「おい、大丈夫か」

 少し焦っているようにも聞こえる声が西岐の胸に温かいものを注ぐ。その暖かさに言葉がほろりとほぐれた。

「イ、イレ、イレイザーさん」
「なにがあった、大丈夫なのか?」
「あ……だ、大丈夫です、死にそうとかじゃない」
「今は……家か?」
「うん」

 時間を見て推測したのだろう。居場所を確認するなり安心したかのように深い深い溜息を吐きだしたのが聞こえた。それだけ心配してくれて、メッセージを見るなり電話してくれたのだ。
 嬉しい。
 嬉しい……。
 相澤の優しさが西岐を落ち着かせてくれる。

「何事かとおもった」
「すみません」
「で? なにが『たすけて』なんだ」

 唯一打てて送信できた文字がそれだ。相澤を慌てさせたのも仕方ないかもしれない。
 よくよく考えれば、そもそもなぜ相澤にメッセージを送ってしまったのか自分でもよくわからない。他に頼れる人がいないと言ってしまえばそれまでだが。

 封書と丸い物体をぎゅっと握りしめる。

「合格通知が来ました」

 ああ、我ながらなんて説明が下手なのだろうと思った。きっと電話の向こうで相澤はぽかんとしているに違いない。
 呆けた声がかすかに耳に届いた。
 手元の紙を見下ろす。入学に必要な書類などが何枚も束になっている。
 何度も確認したがきちんと宛先は西岐れぇだ。

「特別推薦枠に合格しましたって、雄英から……」
「願書の提出は? 入試は?」
「してないです、してないんですぅ」

 相澤の問いかけに動揺があふれ出す。
 なぜこれほど動揺しているのか。それは今手の中にあるのが身に覚えのない試験の合格通知だから。

「俺、推薦もらえるほど優秀じゃないし、推薦で合格なんてっするわけないし……飯田くんだって一般入試って言ってたのになんで」
「……飯田?」
「飯田くんはクラスメイトで、すごく優秀でぇ」
「わかった、落ち着け」

 グルグルする思考のまま言葉を発する西岐に相澤がストップをかける。

「おまえでもパニックになることあるんだな」

 感心したようなセリフにはいくらか笑いが含まれていた。
 言われてようやく自分がパニック状態に陥っていることを自覚した。テーブルに手をついて何度か深呼吸を試みるが、自分では落ち着けたのかよくわからない。
 着信してからずっとこぼれていた涙を袖で拭う。震えてぐずぐずになった声を整えようとハアと大きく息を吐いた。

「それに関して俺はよくわからんが、雄英がおかしな合格を出すわけがないから特例なんじゃねぇかな」
「……なんで特例?」
「知らんが何かあるんだろうよ」
「イレイザーさん、結構てきとう……」
「黙れ」

 相澤の説得力のないフォローに涙が引っ込む。
 そこで1つの疑問が浮かぶ。

「……なんだか雄英のこと……詳しい……ような感じ?」
「俺はそこの教師だ」

 もしかして卒業生なのかなと暢気な想像を思い切りぶち抜く衝撃の告白に、西岐の反応速度が著しく低下した。
 相澤の声が鼓膜を揺らしシナプスを潜り抜け脳を機能させ弾き出された感情を口で表現するまでずいぶんな時間を要した。

「……えええええ……えー?」
「反応遅」
「どうして言ってくれなかったの」
「受験生を特別扱いするわけにはいかんだろう」

 言われてみれば確かにその通りだ。その通りだけど納得しきれないもやもやが胸にあるのはなぜだろう。
 感情があっちに行ったりこっちに行ったりして落ち着かず、そろそろ疲れてきた。
 膝を抱えるように座りなおすと厳しめの声が問いかけてきた。

「――で、なに、辞退するのか」

 反応速度が急回転する。

「しない」

 即答していた。
 そう、予想していなかった状況にただ驚いただけ。
 どうして推薦枠に入ったのか、何を評価されての合格なのか全く理解できないが、せっかく手に入れた奇跡を手放すほど愚かではない。

「それじゃあ雄英で待ってるわ」

 今度はハッキリと聞き取れる笑いをこぼして、相澤との通話が途切れた。

 雄英に合格した。
 雄英に入学できる。
 そこで相澤が教師として自分を待っている。
 不安を上回る強い期待と興奮に西岐は強く拳を握った。
create 2017/10/01
update 2017/10/01
ヒロ×サイtop