林間合宿
エンカウンター 波乱万丈だった期末テスト。
五名の赤点者を出したものの、相澤によって告げられたのは林間合宿全員参加。
本気で叩き潰すと言ったのは追い込むため、林間合宿に行かず学校で補習と言ったのは本気を出させるための合理的虚偽とのことで。
クラスメイトたちの気持ちが一気に盛り上がる。
合宿の日程や内容の書かれた案内を見ながらあれこれ必要なものを話していると、例によって葉隠が一緒に買い物に行こうと発案し、ほとんどのクラスメイトがそれに便乗した。
県内最多店舗数を誇るナウでヤングな最先端、木椰区ショッピングモール。西岐がここに訪れるのは二度目だ。
近頃待ち合わせに遅れる傾向にあった西岐は気合いを入れて早起きをし、集合場所にはだいぶ早くついてしまっていた。みんなでショッピング、そういうことに今までほとんど縁がなかったせいで楽しみでしょうがないのだ。
太陽が真上に来た昼過ぎともあって、待ち合わせ場所は大分暑い。木椰という地名に因んでなのかモール内に飾られているヤシの木がいっそう気温を上昇させている気がする。
ヤシの木に寄り掛かり、トートバッグからスポーツドリンクを取り出す。家を出てすぐに買ったものだが、もうすでにぬるくなってしまっているそれに口をつけながら、ずるずるとしゃがみ込む。
まだかな、まだかなと気がはやる。
時計の進みがいつもよりずっと遅く感じる。
「お買い物でしょ、合宿でしょ……ふふ」
「思い出し笑い、か?」
楽しみについ笑みを零していると大分上の方から声が降ってきた。
触手の先の口、その向こうに夏だというのに相変わらずマスクをつけた障子の顔。
「しょうじくん、おはよぉ」
「昼だけどな」
「そうだね、こんにちは」
のんびりと挨拶を口にしている西岐の手を取り、立たせてくれる。
障子の後ろから同じ電車だったらしいクラスメイト達がぞろぞろと待ち合わせ場所を目指してやってくる。それからそう時間の経たないうちに全員が集まり、さっそくモール内へと踏み入れた。
みんなでショッピングとは言うものの、買いたいもの必要なものがそれぞれ違うらしく、目的ごとにバラけようという話になった。
全員でわいわい見て回るものと思っていた西岐がいささかショックを受けている間に、みんなはどんどん目的の物が置いてありそうな店を探していってしまう。みんなの行動の速さについて行けず取り残されかけていた西岐に障子が声をかけた。
「西岐の買い物は?」
「あ……えっと、俺旅行したことなくて、一通り買わないと……」
自分で作ったリストを取り出すと、障子が覗き込んできてなるほどと呟く。バックや靴、アメニティーグッズ、タオル、着替えなど持っていく物のほとんどがリストに書かれていた。
「タオルと着替えは持っているのでいいと思うが」
「ちょっとしかないし……買いたい」
「そうか。順に見ていこう」
一緒に回ろうという口ぶりで先に歩きだす障子の後を慌てて追いかける。
「しょうじくんの買い物は?」
少し小走りになって障子を追い抜き見上げる。自分の買い物に全部付き合っていたら障子の買い物ができないのではないか、そう思ったのだ。
障子の目が意味深に細まって、触手の先が答える。
「ない」
「え、ないの?」
「特に必要なものはないな」
きっぱり言い切る障子に西岐は戸惑いを露わにした。
買うものもないのにショッピングモールへ訪れるタイプだとは思えないし、ましてやみんなでショッピングというものに乗り気になるタイプでもなさそうだからだ。
しかし流石に正面きって何で来たのかと問うのは不躾な気がして、西岐は自分の買い物に付き合ってもらうことにした。
小さな物から買って行こうということでまずはドラッグストアに向かう。
「わあ……こういうの買うの初めて」
勝手が分からなかった職場体験の時は家で使っている普通の歯ブラシを持って行ってしまい、隣で轟が旅行用の物を使っているのを見て羨ましく思ったものだ。
「シャンプーちっちゃい。虫よけはあったほうがいいよね、あ、制汗スプレー……」
落ち着きなく店内を見て回り、障子が持ってくれているカゴに次々に物を放り込んでいく。気が済んだ頃に少し冷静になって、要らなそうなものをいくつか戻してから会計を済ませた。
ドラッグストアを出ると障子が堪らず小さく吹きだす。
「え、なに? なに?」
マスクの下が緩んだのを見て、自分が笑われているのだと分かるが、何が面白くさせているのかまでは分からない。
問いかけても肩を震わせるだけで答えてはくれず、誤魔化すように次の店へ促された。
手に提げているショップの袋がずいぶん増えたころ、少し休憩をしようと吹き抜けの手すりに寄り掛かった。テンションの高いままショッピングを続けていたため気持ちの方が先に疲れてしまった。
付き合ってくれているだけの障子の方は何ともない顔で荷物のほとんどを持ってくれている。
あと買うのは靴とバッグかなと思いながら吹き抜けを見下ろす。
何気なくどんどんと視線を遠くに投げていき、とある一点で西岐は動きを止めた。
普通の人間の肉眼ではおよそ見えないだろう距離、それでも遮蔽物のない一階のヤシの木の前、ベンチに座る人物。
「しょうじくん、見て」
視線を逸らせないまま隣に立つ障子を手招きすると、様子が変わったことに気付いて何事かと西岐の視線の先を見る。
「あれ、しがらき、じゃないかな」
パーカーのフードをかぶった男が緑谷の首を掴んで何やら会話をしている。
自信のない声が出たのは、死柄木の顔に手のひらが貼りついていなかったから。あちこちに手のひらを貼り付けたあの異様な見た目が記憶の中で先行し、死柄木本来の容姿が曖昧になっていた。
障子ならばきちんと判断ができるのではないか、そう期待して問いかける。
あれというだけで西岐の見ているものを探し当てたらしい、障子のマスクの下が小さく息を飲む。
「……死柄木だ」
低くそう言って素早くスマホを取り出す。
110と押しコールする。
「それとあいざわせんせにも」
この場には1-Aの生徒が何人もいる。担任である相澤にも知らせるべきだろうと言う西岐の視界の中で死柄木が立ち去ろうとしている。
ここでは何も起こさず立ち去るのだろうか。それならそれでいい。被害がないのはいいことだ。
けれど一方で少しでも何か掴んだ方がいいのではないかと思ってしまった。
死柄木が人ごみに紛れて去っていくのを視線で追いかける。
このままでは目が回って追いかけられなくなる。
「しょうじくん、俺、ちょっとだけ見てくる」
地面に荷物を置き身軽になると、ぱっと呟くと共に姿を消した。
悟られないぎりぎりの距離に移動しては"視"て追いかけ、また瞬間移動で近付く。それを繰り返しているうちに死柄木はどんどん人気のない薄暗い路地裏に入っていく。
夏だというのに日の当たらない路地は空気が冷たく感じられた。
下手な物音を立てれば響いてしまうため、瞬間移動はやめて歩いて追いかける。コンクリートに身体を預けて死柄木の気配を探り、壁を透かす。
確かに死柄木はこの路地を曲がったはず。なのに姿が見えない。
「なんのようだ……? 西岐」
ゾクリと背筋が凍る。
背後からの声。
聞き覚えのある歪で不快を纏う声。
振り返るとやはり背後に立つ死柄木の姿。
まずいと逃げを打つ前に、西岐の身体が壁に縫い付けられていた。死柄木はやすやすと西岐の両手首を束ねて片手で押さえてしまう。
「お前の手は危ないからなあ……、さっさと封じるに限る」
皺と傷の目立つ唇がニタッと不気味な笑みを浮かべ、もう片手が西岐の首に巻き付く。先程緑谷にしていたのと同じように、中指だけ触れないようにしながら、他の四本の指で思い切り締め付ける。
「それでなんのよう、だっけ」
息が詰まり苦し気に身をよじる西岐を見下ろし、首を傾げる。
「ああ……もしかしてあれか、お前もヴィラン連合に入れてくれって言うんだろ、そうなんだろ」
勝手に思い至った結論に死柄木は高揚していく。
それと同時に首への締め付けが緩み、人差し指がゆっくりと輪郭をなぞる。
「どうせ気に入らない奴ばっか増えてんだ、いいよ西岐、入れてやる」
頬を撫であげ中指以外ぴたりと貼りつく死柄木の手のひらは恐怖を煽るほど冷たく、覗き込んでくる双眸は目を逸らしたくなるほど狂気に満ちている。
「は……はいらない」
声が震えてしまった。
どうにか声を絞り出すと死柄木は目を細め、頬に手を張り付けたまま親指で西岐の唇をなぞる。
「ああ……やっと喋った」
耳に届く声は恍惚としているように聞こえる。
「お前は俺と同じにおいがする、報われたことのない人間だ、そうだろ?……なあ、西岐」
言っている意味が分からない、意思の疎通ができる気がしない。
死柄木の感情の変化も理解できない。
何度も、何度も感触を確かめるように頬を撫でていたかと思うと、次第に声が低くなり、何が気に障るのか不機嫌が混ざっていく。
「前髪、邪魔だ。目が……見えない」
頬を撫でていた手で前髪を掬ったかと思うと軽く握る。
一瞬で前髪の一部が崩れ落ちる。
鮮明になる視界に、死柄木の手首に巻き付く細長い布が見えた。
「イ、レイザーさん……」
「西岐来い!」
路地の入り口に立ち、相澤が死柄木の腕に捕縛武器を巻きつけて動きを止めている。
西岐を捉えていた手を放し、捕縛武器に触れて崩す死柄木。
解放された西岐は、呼ばれるまま相澤の背後へと移動し、間髪おかず相澤と共にその場からすぐに立ち去った。
「――ッのバカやろう」
西岐の自宅まで戻ってくるなり相澤の怒りが爆発した。普段は地を這うように怒る相澤も今度ばかりは抑えがきかないらしく声を張り上げた。
西岐は思わず耳を押さえ、首を竦める。
「よりにもよってなんで死柄木を追いかけた」
正座で座る西岐の前で、相澤は腕を組み憤怒の顔で佇む。
「…………なんとなく?」
なぜ追いかけたのか自分でもよく分かっておらず、うまく説明できる気もしない。故に曖昧に答えれば相澤のこめかみが引き攣った。
「なんでお前の危機感は育たないんだっ」
「……ごめんなさい」
もはや打ちひしがれんばかりの怒りように申し訳なくなって西岐は項垂れた。
接触はせず様子だけ伺ってすぐ帰る予定だったのだ。それがどうしてこうなってしまったのか。
危害を加えることは規則違反だと強く学んだばかりなのもあって抵抗できずにいたのだが、早々に行動を起こして逃げたほうがよかったのだろうか。
そこまで考えて、思考が相澤の手で遮られる。
「そもそも追いかけるなって言ってんだ、バカ」
相澤の手が顎を掴んで持ち上げる。ギリッと強く指が食い込む。
「お前は俺のメンタルを試してんのか?」
「うう……いたい」
どんどん強くなる手の力に呻くとひときわ強く力を込めてから放した。
西岐の目の前に座り、前髪を指先でつまむ。死柄木の指の形にくり抜かれ、部分部分短くなってしまっている。
しばらく髪に触れていたかと思うと、唐突に手のひらで西岐の顔面を擦り始める。頬も顎も唇もごしごしと擦る。訳の分からぬまま抵抗する西岐を押さえ、西岐の背中から抱きかかえるような格好になり、両手首も擦っていく。
「イレイザーさん、いたいー」
「煩い」
訴えは聞き入れてもらえずされるがままとなり、しばらくして擦られた箇所が熱を帯びたころ、そこが死柄木の触れた箇所だということを思い出していた。
気が済んだのか相澤の腕が腰に回り、肩に乗せられた顎が動く。
「罰として林間合宿まで一歩も家から出るな」
「えっ」
言い渡された自宅謹慎に西岐は思わず振り返ろうとするが、しがみつく相澤の腕が強くて敵わず声に不満を乗せる。
「俺まだ全部買い物終わってないんです、カバンとか、靴とか」
「……」
「イレイザーさん? イレイザーさん!」
「……」
それ以降、黙りこくってしまい、風呂とトイレ以外西岐の背中に貼り付いて離れず、結局、翌朝になるまで一切口を利いてくれなくなってしまったのだった。
create 2017/11/20
update 2017/11/20
ヒロ×サイ|top