林間合宿
肝試せ



 静かに息を吐いた。
 目の前の高い壁へと手をかざす。
 まずはイメージ。土の壁がボロボロと砕けていく様を脳裏に描く。そのイメージを映すように睨みつける。

 ――何も起きない。
 手から何かが出ていく様子もなければ、壁ももちろん変わらず目の前にある。
 傍から見ればただ手を突き出して突っ立っているだけに見えることだろう。
 黙って見守っていたB組担任のブラドキングの目にも、これは真面目にやっているのだろうかと疑惑が浮上し始める。
 相澤がクラスを見てくると言って西岐をブラドキングに預け、去っていってから数時間くらいだろうか。その間、終始西岐は壁と睨み合っていた。
 念動力。そのような能力があると言われたのが昨日。相澤曰く初めて見たのは期末の演習試験。土の壁や電柱・相澤の捕縛武器を砕けるほどの威力なのだと聞いたが、それを発動したときの記憶が西岐にはなかった。演習試験の時は気付くと校舎のベッドに寝かされていて条件クリアしたとだけ告げられ、どうやって相澤を突破したのかこの合宿に来るまで知らずにいた。
 使った記憶のない能力を引き出すのは宙を掴むように難しい。
 何をどうしたら発動するのか想像もつかないのだ。

「なんだろ……法則がわかんない……」

 確か、期末テストの時は拘束され手も足も出ない状態に陥り、相澤に煽られ、ヒーロー殺しとの一戦を頭に蘇らせていた。
 追いつめられることが能力を引き出す切っ掛けなのかもしれない。

「あ……あの、ブラドせんせ……」

 ブラドキングにそっと話しかける。エンデヴァーの元で職場体験を一週間熟した成果なのか、いかつい容姿のブラドキングに話しかけるのも以前より躊躇が少ない。

「俺を動けないように拘束してもらえませんか」

 そうお願いするとブラドキングは困惑しつつも特に理由は聞かず分かったと頷く。相澤と違って生徒に親身になってくれるタイプらしい。
 籠手の先から血がブワッと吹きだした。それが西岐の身体に纏わりつき、液体とは思えない力で縛る。
 そして脳内で会敵を想定する。

「目の前に……」

 ――死柄木。
 顔に貼りつけられた手のひら。
 指と指の間から脳無に押しつぶされている相澤の姿を見る。

 熱いものが競り上がり、心が焦げ付く。しかし激情が全身を支配することなく小さくなって心の奥底へと消えていってしまう。
 いつもそうだ。どれだけ怒りが沸き立っても頭はどんどん冷静になっていく。体育祭の時でさえ、怒りに身を任せていながら、意識はキンと張り詰め相手の隙を伺っていた。そうすることで自分がうまく立ち回れるということを無意識に理解しているのかもしれない。
 けれど本当は怒りのまま拳を振り上げてしまいたいと思う時がある。少なくともあの瞬間はそうだった。大切なものを壊された時にも冷静に立ち回るなんて嫌だ。
 あの時、心の奥に押し込めた気持ちを、解き放つ。
 目の奥が痺れる感覚。剥離しそうになる意識を目の前の景色に縫い付ける。

 目の前には、死柄木。
 そして脳無。

 怒りを叩きつけるように両目で見据える。
 ピシッと壁に小さな亀裂が走る。
 まだまだ。この程度の力では誰も救けることなどできない。いつでも誰かを救けられるだけの力を。強敵をねじ伏せてしまえる圧倒的な力を……。
 動かない手足の代わりに気持ちだけが敵に向かって行く。
 足元の石が重力に反して浮き上がる。身体を纏う空気が螺旋を描きながら上昇していくのを感じる。
 大きな空気の塊が壁にぶち当たる、そんなような音が響いた。
 亀裂が次々と広がっていく。
 脆くなった土の壁は派手な音を立てながら崩れ、正面の壁だけが切り取られたかのようになくなった。

「……は……、……できた」

 纏っていた空気が一気に萎み、浮き上がっていた石も地面に転がる。
 尋常ではない反動が身体に降りかかる。
 身体を拘束していた血が剥がれていきブラドキングが気遣うような目を向けた。大丈夫かと聞かないのは負荷をかけて個性を伸ばす特訓だからだろうか。

「おお、できたのか」

 絶妙なタイミングで相澤が戻ってきた。
 地面に山となっている"壁だったものを"ひょいと飛び越えて近付いてくる。

「まだ立ててるな? よしよし」

 重たい身体とグラグラ揺れる頭でもどうにか踏ん張っている西岐の頭を満足そうに撫でる。

「イレイザー、少し休ませた方が……」
「これくらいで休んでちゃ訓練にならんだろ」

 心配して口を挟むブラドキングを相澤は一蹴する。呼び捨てや話し方からして対等な関係らしく、そうなると言葉に遠慮のない相澤の方が上手となるのは、プレゼントマイクを相手にした時と変わらないらしい。

「だが熱が上がっている」

 それでもブラドキングが食い下がるほどには西岐の状態は見るからによくないようだ。
 頭に置かれた手が下に降りて、頬と耳をかすめて首に触れる。

「西岐、休むか?」
「……ん、つづけます」

 相澤は西岐を煽るのがうまい。
 試すように問われては休むとは言えなくなる。
 首を横に振ると相澤の顔に笑みが浮かぶ。それを嬉しく思いながら西岐はまた壁へと焦点を当てるのだった。





 今日も今日とて訓練の後は自分たちでの飯盒炊爨。
 調理は野外で行っているが雨天の時はどうするのだろうと考えながら包丁を動かす。

「あ、ぶねぇ!!」

 声がかかるのと手を掴まれるのは同時だった。ニンジンに添えている手にあと少しで包丁の刃が刺さるというところで浮いていた。
 声の主は爆豪だった。西岐の手を持ち上げて包丁を抜き取る。

「包丁使っている時にぼんやりするな」

 口調がいつもに比べて弱いのは爆豪も疲れ果てているからだろうか。
 西岐が使っていたまな板を自分の方に引き寄せニンジンを慣れた手つきで器用に刻む。ちゃんとできるからと言ってももう包丁とまな板は返してくれず、さっさと手早く残った野菜を処理していく。
 それならば、とカマドへ行くと緑谷に追いやられ、鍋を運ぼうとすると轟に奪われ、山積みの食器を運ぼうとすれば丸ごと障子に持っていかれてしまった。やろうとすることを次々と阻害されて手持無沙汰となる。
 仕方ないと施設内の調理場に向かい、作業台に置かれている麦茶の入った業務用の大きなやかんを、片手に一つずつ下げて野外へと戻る。
 するとそれを見た切島が飛んできてひょいと持ち上げてしまう。

「だめ、俺もなにかしたい」

 もう片方も取られそうになって両手で持ち、切島から遠ざけるように体を捻る。しかし反対から回ってきた手がやかんを奪い取っていく。

「何言ってんだよ、お前今にも倒れそうだぜ?」

 まさか自覚がないのかとばかりの口調に西岐は自分の顔に手を当てる。
 熱は朝からあった。昨日あれだけ能力を酷使したのだから熱が出るのは当然のことで、こうなることは分かり切っていた。そして今日も同じく一日使えるだけ使い切ったのだ。もしかしたら熱が上がっているかもしれないが、こういう訓練をする以上避けられないことだ。

「疲れてるのはみんな一緒でしょ?」

 テーブルへと運んでいく切島を追いかける。切島だって調理を始めた時には疲労を隠さずぼやいていたくらいだ。そう問いかけると切島は眉を下げて笑う。

「なぜかれぇは放っておけないんだよなぁ。ま、そういう病気だと思って甘やかされてくれよ。なあ、爆豪」
「……うっせー」

 爆豪が出来上がったらしい肉じゃがの鍋を持ってテーブルに来て、切島が同意を求めると、話を聞いていたのか聞き返すこともなく低く吐き捨てる。やはりいつもよりいくらか大人しくて不気味ですらある。

「れぇちゃん、相澤先生から薬もらってきた」

 足早に緑谷が駆け寄ってきて、爆豪の様子を不思議そうに一瞥してから、一回分に千切られたPTPシートを差し出した。以前にも緑谷にもらって飲んだことのある解熱剤で、少し迷いながらも大人しく受け取って手のひらに錠剤を出し、緑谷が注いでくれた麦茶で喉に流し込む。
 冷たいとは言い難い液体が喉を流れていくと力が抜けて椅子に腰を下ろした。
 心が折れそうなほどの倦怠感が襲ってくる。
 休んでしまうと動けなくなりそうで座らずにいたのだが、周りは休めと気を使ってくれていたのだとやっと理解できた。

「……俺ってそんなにダメなかんじかなぁ」

 テーブルに突っ伏して小さく呟く。
 誰かが西岐の頭に触れて労わるように優しく撫でてくれるが、傷付いた矜持がじくじくと痛んで目を閉じる。
 目蓋が視界を覆うと意識が暗闇に溶けて、少しの時間眠りに落ちるのだった。





 少し眠ったことと解熱剤が効いたのか、夕飯が終わるころには気分がマシになっていた。
 相澤を含めた何人かに調子が悪いなら施設に戻って休んでいいと言われたが、この後は楽しみにしていたクラス対抗肝試し、参加しないわけがない。
 補習授業を受ける五人が相澤に引きずられていくのを見送って、二人一組になるためのくじを引く。
 西岐は耳郎と共に三番手となった。

「ううう、やだなぁ」

 耳郎は完全に怯えきって西岐にしがみついている。
 木々に覆われた暗い道のなか、何もないはずの地面からズッと女性の顔が浮き上がり、それに驚いた耳郎のイヤホンジャックが女性の目に突き刺さったのが、ついさっきのこと。脅かし役の子のダメージも少なくはなく痛み分けと言ったところだが、あれに驚かされた後も引き続き暗闇の中を歩かなければならない耳郎にとっては散々かもしれない。
 一方の西岐は、平然とした顔で歩いていた。
 こういう暗闇やお化けの類を怖いと思ったことはなく、女性の顔が出現したときはさすがにビックリしたものの、B組の女の子だと分かると怯える耳郎を撫でつつ先に促した。

「だいじょうぶだよぉ、もう少しでラグドールさんのいるところだよ、ダメだったら瞬間移動してあげるからね」
「れぇちゃん頼もしい……かわいいとか言ってごめんだよ……」

 もう少しで見えてくるだろう中継地点、そこで名前の書かれたお札をもらってあとは残り半分。
 様子を伺おうと、反則ではあるが遠目を使う。
 木々を透かして遠くへと視線を滑らせていくと、ラグドールを見つける前に、ルートの中央から白い煙が見えた。
 嫌な予感が胸をよぎる。
 第六感、予知とまではいかないがこういう自分の予感が当たることを知っている。

「きょうかちゃん……できるだけ息を止めてて」

 しがみついている耳郎の肩を抱き寄せ、迷わず瞬間移動した。
 移動先はすぐ後ろを歩いてきていた八百万と青山の目の前。

「二人とも、息を止めて。この煙を吸わないで」

 シャツの襟元で口元を押さえ自分も煙を吸ってしまわないよう気を付けながら、驚く八百万と青山に声をかけると、辺りに漂い始めた煙に気付いて口を押える。
 西岐の腕を掴んでいた耳郎の手から力が抜けていく。
 同じように口を押えていたはずだが、それだけでは防げなかったようだ。

「ももちゃん、ガスマスクを……!」

 西岐が焦った声を発すると八百万はハッとしてすぐさまマスクを人数分生み出す。気絶してしまった耳郎に西岐がマスクをつけてやり、三人も自分で装着する。

「この道沿いはA組B組の生徒がたくさんいるはず……ももちゃんはみんなにガスマスクを配って。あおやまくんはきょうかちゃんを施設に」
「れぇさんは?」
「……俺はラグドールさんにマスクを持っていく。プロの手が必要だ」

 いつになく張り詰めた口調で二人に指示を出す西岐を見て、八百万と青山は事態が深刻である可能性を感じ取って頷く。

「二人とも、気を付けてね」

 もう一つのガスマスクを持ち、そう声をかけてからラグドールの元へと移動した。





 西岐がラグドールの傍に姿を現すのと、チェーンソーがラグドールの肩を抉るのは同時だった。
 目で探り当て、異様な様相の脳無がラグドールに向かって行くのを"視"た西岐がすぐに移動して手を伸ばすが間に合わず、辺りに大量の血が飛び散る。痛ましい悲鳴がラグドールの喉の奥で引き攣った。
 血にまみれた頭の装備に脳無の大きな手が掴みかかる。

「……脳無」

 力任せになぶるようなその手つきに過去の苦々しい記憶が重なる。
 奥歯をギリッと噛みしめる。纏っている空気が螺旋を描いて上昇していく。目の奥が痺れていく。
 装備を掴まれ引きずり上げられそうになっているラグドールの身体に腕を巻きつけ、もう片腕を脳無の胸に向けた。思い描いたままに、見えない力が噴出して脳無の身体を吹き飛ばす。
 脳無の身体が当たった木々がチェーンソーやドリルで抉られ、巨体を支えられず倒れていく。そのせいで脳無は思ったよりも遠くへ飛ばされた。

『皆!!』

 頭の中にマンダレイの声が響く。
 彼女の個性テレパスだ。
 ヴィラン二名が襲来したということと会敵しても戦うなということ。
 一方的な指示をしてマンダレイの声が消えた。
 腕の中でぐったりと目を閉じているラグドールを見下ろして西岐は詰まっていた息を吐きだした。
 ラグドールは未だ息をしているがこの出血は良くない。おびただしい量の血が辺りの地面を染めてしまっている。プッシーキャッツの四人は互いに通信できるヘッド装備をしていたが、先程の脳無によって破壊されてしまっていた。
 ひとまずシャツを脱いでラグドールの体にかぶせ、傷を負った箇所を覆うようにして縛り止血をし、マスクを装着する。

「施設に……戻ろう」

 誰に言うでもなく呟いて施設の方に目を向ける。
 しかし施設の姿を見ることはできなかった。
 急激な眩暈に目が回りだす。
 昨日今日とずっと力を酷使してきたのだ、身体はもう限界だった。リスクなく使える遠目も瞬間移動も身体にガタが来てしまえば意味をなくす。
 抱きかかえている西岐の腕が真っ赤な血で濡れていく。止血をしていても止まり切っていない。
 あの脳無だっていつ戻ってくるかわからない。
 そう思うのに体がどんどん重くなって地面に縫い付けられてしまう。
 土を踏む音がして、グラグラ揺れる頭を動かす。

 振り返った先に見たのは、変色した皮膚を繋ぎ合わせた男の顔。
create 2017/11/25
update 2017/11/25
ヒロ×サイtop