林間合宿
ギニアピッグ 規則的な水の音と機械の振動音。
誰かの話し声。
薄目を開けると辺りは暗くて物の輪郭くらいしか見えない。
西岐は毛布に包まれた身体を起こす。どうやら床に横たわっていたらしい。どれくらいの時間が経ったのか分からないが、身体がすっかり軽くなっている。意識もはっきりしていてこれなら今すぐにでも逃げられるのでは……。
そう思ったのだが。
両手、両足、そして首に枷が嵌められていた。全ての枷から鎖が伸び、鉄製の壁に繋がっている。
「目が覚めたかね」
意識を手放す直前に聞いたあの声だ。そう察すると鎖が伸びるぎりぎりまで、声がしたのとは反対へ逃げる。
いやだ、この声は聞きたくない。
反射的に抱く恐怖心に身体の震えが止められない。
微かな明かりが男の背後から照らしている。
「やあ、ギニアピッグ、会いたかったよ」
大きな影がゆっくりと一歩ずつ近づいて西岐の上に濃い影を落とす。
「あ、あなたが……オールフォーワン……」
「ほう?」
枷が食い込んで血が滲む。その痛みでぎりぎり繋ぎとめていられる冷静さで声を絞り出すと、男は感心したように口角を上げる。
「あの男が僕のことを話したのかね、君はそれほどに信頼に足る人物ということか」
「い……いえ、俺が勝手に盗み聞きしたんです」
西岐は慌てて否定した。
オールマイトと親しい関係だと思われてはいけないような、オールマイトの弱点になってしまうような気がした。
それを見透かしてか男の喉から笑いが漏れる。
「君の耳はさぞかし盗み聞きしやすいだろう」
心臓を掴まれたような気がしてシャツの胸元を押さえる。
どうしてこの男が西岐の耳のことを知っているのか。話したのはクラスメイトと一部の親しい教師のみだ。その中に内通者がいるのだとしたらとても耐えられないことだ。
いや、違う。
この男は人心掌握にも長けているとオールマイトが言っていたではないか。こうして西岐に揺さぶりをかけているのかもしれない。
湧き出た嫌な想像を振り払い、男を見上げる。
「俺を連れ去ったのは人質としてですか?」
「まさか」
「では見せしめ?」
「いいや」
全身がアンテナになったかのように危険を感じ取って逃げろと叫んでいる。それなのに恐怖が西岐の身体を縛っていた。こんな時にこそ新たに手にした力を使うべきなのに発動する気配すらない。
ここで西岐が殺されてしまった場合誰が責任を負うのか考えれば、早急に逃げ出すべきだということは分かっていたが情けなくも動けなかった。
「今日は僕から君に特別なプレゼントを贈ろうと思って招待させてもらったんだよ」
悪寒が走った。
手が千切れても構わないと腕を思い切り引っ張る。
何度も何度も瞬間移動を試みる。
「大丈夫、君なら耐えられる」
大きな手がゆっくりと迫り視界を覆い隠した。
引き千切れそうな悲鳴が喉からとめどなく溢れ出る。
汗なのか涙なのか分からないものが顔面を濡らしてポタポタと落ちる。
頭の中をスプーンでかき混ぜられたかのような感覚に延髄が冷たく凍る一方で、鼓動を早めていく心臓が炎を纏ったかのように熱を帯びていた。
手足の末端を無数の針で刺され、背中を抉られた痛みに身をよじる。
枷が皮膚を食いちぎり尋常ではない量の血が溢れていたが、そんな痛みなど感じないくらい恐ろしいものが西岐の身体の中で暴れている。
いっそ気を失うか狂ってしまえれば楽なのに、壮絶な状況の中でも意識は正常にあった。
「素晴らしい、まだ自我が残っているとは」
のたうち回って苦しむ姿を見ても男の態度は一切変わらない。両手を叩いて残酷なほど優しい物言いで西岐を褒め称える。
西岐は身をよじりながら睨みつける。
「さすが神の遺物にも値するオーパーツだよ」
何を言っているのか理解する余裕はなかった。
細胞の情報の書き換えが終わろうとしているのを頭のどこかで感じ取っていた。
背中の皮膚が競り上がっていく。薄明りに照らされ壁に映し出される西岐の影は背中に大きな羽を生やしていた。
悲鳴から苦悩の声に変わる。
己の身に起きたことが恐ろしく絶望した。
「ふむ、『有翼』、それと『レストア(復元)』。ちゃんと使えているね」
男が鎖を引っ張って血にまみれた手を引き寄せ指で触れると、抉れていたはずの手首がしっかり皮膚に覆われ塞がっている。
自我が残っているとは言ったがもう限界だった。自分ではどうしようもない強いエネルギーが頭の中にも駆け巡って、しがみついていた心を引き剥がしていってしまう。
「さあではもう一つ」
男の手が三度西岐に向けられる。
逃れようと足掻くけれどたいした抵抗にもならず、手のひらが視界を覆い隠した次の瞬間には、西岐の自我は砂のように脆く崩れ去っていった。
create 2017/11/27
update 2017/11/27
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