林間合宿
秘書と名乗る男



 神野の悪夢から二日、雄英では新たな試みに着手していた。
 雄英高校・全寮制導入。今までも案が出ていなかったわけではない。全国から集まる生徒たちの生活面も考慮すれば、学生寮が無かったことの方がおかしいのだが、諸々の事情で保留となっていたそれが今回のヴィラン襲撃と生徒の拉致を経て、急遽ハイピッチで案がまとめられたというわけだ。
 保護者の理解と承諾を得るため、相澤はオールマイトを伴いA組の生徒宅一軒一軒を回る。たった一日で北は岩手から南は福岡まで回り、たった二日で計画を実行に移すという強行スケジュールで、西岐の見舞いに割く時間が取れずにいたが、良くも悪くも西岐に変化のないまま生徒たちの入寮の日を迎えた。
 雄英敷地内、校舎から徒歩五分の場所に築三日で建てられた学生寮《ハイツ・アライアンス》。

「とりあえず1年A組、無事にまた集まれて何よりだ」

 玄関前に並んだ1-Aの生徒を見渡して、感慨深く声をかけた。ただ"全員"ではないことが相澤の表情を曇らせる。

「先生、れぇちゃんがいないわ」

 そのことに蛙吹が真っ先に気づいたらしい。蛙吹の言葉で他の生徒もクラスメイトの顔ぶれを確かめてざわざわと騒ぎ始める。
 ヴィラン連合から爆豪と西岐が救出されたことはすぐクラス全員に知らされ、記者会見でも発表済みのことだが、西岐が今どういう状況にあるのかまでは知らせていなかった。だからなのか、不安そうな目が相澤に集まった。
 これ以上隠しておくわけにもいかないか、と口を開く。

「西岐は入院中だ。正直、状態がかなり良くない」

 一気にざわめきが大きくなる。特に爆豪と、救出に行った五人の顔色は悪い。
 だが今は西岐の話ではなく、それよりもっと話さなければならない大事なことがある。
 ヴィラン襲撃によって中断されてしまったが、本来ならば合宿で行う予定だった仮免取得に向けての特訓について前置きし、厳しい目を生徒全員に向けた。

「大事な話だ、いいか。轟・切島・緑谷・八百万・飯田、この五人はあの晩あの場所へ爆豪・西岐救出に赴いた」

 今度は生徒全員が小さな声を発しただけでシンと静まり返る。この事実がすべてを物語っている。

「その様子だと行く素振りはみんなも把握していたワケだ。いろいろ棚上げした上で言わせてもらうよ。オールマイトの引退がなけりゃ俺は爆豪・西岐・耳郎・葉隠以外全員除籍処分にしてる」

 そうしなかった理由と、処分はどうであれ信頼を裏切ったという消えようのない事実を、訥々と語って聞かせる。
 自分たちがどれだけのことを仕出かしたのか、知ってもらわなければならないからだ。無事爆豪を救い出し、無傷で終われたのは単純に運が良かっただけの話で、一歩間違えばどうなっていたか分からない。オールマイトから緑谷たちの行動を知らされた時の心境を思えば、この程度の物言いは優しいくらいだ。
 すっかり静かになってしまった生徒たちに背を向けて玄関扉を開けて中へ入る。

 背後で少々の茶番が繰り広げられ幾らか調子を取り戻したらしい生徒たちが後に続いた。
 共同スペースと水回り、女子棟と男子棟、自室についてそれぞれ説明をしながら見て回り、相澤の方で決めておいた部屋割りを伝えて各自で部屋作りをするように指示すれば、本日のやるべきことは終わりだ。
 やっとこれで西岐の見舞いに行けると脳裏に浮かべつつ玄関扉に手をかけた相澤を、爆豪が背後から呼び止めた。

「先生……西岐の病院教えてくれ。様子見にいきてぇ」

 まるで不機嫌そうな声に振り返ると爆豪だけでなく全員が揃っていた。

「先生、僕も見舞いに行きたいです」
「俺もだ」

 爆豪の言葉に緑谷と轟が続き、他の者も同様だと声を上げた。
 それを見て相澤はどうするべきかと迷ってしばらく考えを巡らせる。彼らの気持ちが分かるからだ。しかしだからこそ、今の西岐の姿を見せてしまっていいものかと悩んでしまう。おまけにこれだけの人数を一度に連れて行くわけにもいかない。

「爆豪だけついてこい。他の者……特に五人は『信じて待つ』ってこと、身を以って覚えろ」

 弾き出た結論を告げると爆豪以外の残りの者は静かに項垂れる。ここで引き合いに出すのは少々可哀相ではあったが、心を鬼にして扉を開け爆豪を促して静かに外に出た。





 病室に案内された爆豪の顔は、まるで四日前の自分を見ているようだと相澤は思った。
 ただ、爆豪は西岐がこうなっていることを知っていたのか、状況を飲み込むまでが早かった。栄養剤の点滴を付けられベッドに座って、無表情に視線を投げている西岐へズカズカと歩み寄る。
 常に怒りへと感情をシフトできるのはある意味才能だ。
 一瞥もくれない西岐の胸倉をつかみ無理やり自分の方へと向かせる。

「れぇッ! どこ見てんだテメェ、ちゃんと俺を見ろ!!」

 真っ直ぐ怒鳴りつける爆豪に相澤は強い羨望を感じていた。そんな風に感情的になってしまえたらよかったのだ。こういう時に限って冷静に立ち回ってしまうなんて己が嫌になる。以前西岐が言っていた言葉がまさに相澤の今の心境だった。
 怒りをぶつけられた西岐は、されるがまま間近に爆豪の顔を見ているが、二度瞬きをして唐突に動いた。
 爆豪の首に腕を回してしがみつく。
 相澤はこれまで何にも反応しなかった西岐が動いたことに驚き、それが自分以外の人間に対してであることに苦いものを感じた。
 しがみつかれている当の本人はまさかこういう反応が返ってくるとは思っていなかったのか、耳を真っ赤に染め上げ、しかし振り払うことも出来ず両手を宙に彷徨わせている。随分長い時間をかけて葛藤していたが、あやすような手つきでポンポンと背中を叩き、西岐を抱えてベッドに腰かける。
 爆豪の肩越しに見えた西岐の表情はやはり無表情で何も目に映してはいないが、少しでも反応があったことに安堵して、相澤は病室を出て通話スペースへと向かった。

 誰もいない通話スペースでスマホを取り出し連絡先をタップした。
 西岐がヴィラン連合に拉致されて以来、保護者に連絡をつけようと折を見ては知らされている番号にかけているのだが、呼び出し音が鳴るばかりで繋がらずにいたのだ。
 今回も繋がらないのだろうかと思いながらスマホを耳に当てる。
 呼び出し音が鳴って数秒で途切れた。物事が進むタイミングというのは急に訪れるらしい。
 いささか緊張しながら聞こえてきた声へ名乗り、西岐の身に起きたことを掻い摘んで説明すると、実に落ち着いた様子でそうですかと返した。

『では、今伺います』

 通話が切れた次の瞬間にはもう目の前にスーツ姿の男が立っていた。
 繊細に髪を整え、丸メガネをかけた柔和な顔立ちの男だ。
 どうやら西岐の関係者は基本的に瞬間移動ができるらしい。

「私、西岐の叔父の秘書をしております暗間と申します。仕事で通信の入らないところにいまして、連絡を受け取れず失礼しました」

 柔らかくゆったりした口調で恭しく頭を下げられ、普通の人間ならばそれだけで恐縮してしまいそうだなと相澤は浮かんだ苦笑を手で隠した。

「叔父御はこられないんですか」
「まだ仕事に追われていまして私が代わりに」
「なるほど」

 甥がヴィランに拉致され怪我を負い、その後も自我に影響を残していると伝えても駆けつけないところを見ると、愛情のない親族なのかもしれない。そもそも愛情があれば一人であんな部屋に住まわせないか、と思い至って小さく嘆息する。
 まずは会わせたほうがいいだろうと暗間を連れて病室に戻ると、西岐は未だ爆豪にしがみついていた。そうだった、と相澤は額を押さえる。

「おや、まあ……」

 暗間からは微笑まし気な笑みがこぼれる。
 見知らぬ人物の登場に気付いた爆豪は先程よりも赤くなって、西岐を引き剥がそうともがき始める。

「すみません、さっき急にああなってしまって」
「いいのですよ、でも少しこの子を見せてくださいね」

 ベッドへと歩み寄り、爆豪へ微笑みかけてからそっと西岐の両手首を手に取ると、細腕の割にやすやすと剥がしてしまう。そして爆豪の隣に座らせると膝を折って西岐の目を覗き込む。目を見ているというより、もっと奥深くの目には見えないものを映しているような暗間の視線が、西岐を探り少しずつ陰りを見せる。

「これはまた……厄介なことをされましたね」

 西岐の手に触れ労わるように撫でる。
 厄介と聞いて相澤の脳裏に先日病室でオールマイトと話した個性のことが過った。
 暗間の目線が横にスライドして爆豪を映す。

「あなたにはこの子が反応したのですね。……他にはどなたかそういった方はいらっしゃいますか」

 優し気な物言いで再確認されて、爆豪は珍しく言葉を詰まらせた。

「オールマイトが直接ではないですが声を聞いたと」
「声を……。やはり、蓋をしているだけで壊れてはいないようですね」

 口元に手を当て思案顔で小さく呟く。
 相澤は不思議そうに暗間を見つめる。その仕草がどことなく西岐のものと似ている気がしたのだ。
 だが暗間が立ち上がったことで微かな違和感は分からなくなってしまう。何より暗間の次の言葉が相澤と爆豪を大きく動揺させる。

「大丈夫、治せますよ」





 出来るだけ頑丈な場所がいいということで、西岐を連れて雄英の訓練場の一つへ向かった。暗間の指示で爆豪も同行し、まだ学校内にいたオールマイトにも立ち会ってもらうこととなる。
 関係者パスを提げた暗間は、施設の内部を見て物が破損しても大丈夫かということを気にしたが、ヒーロー科の訓練施設なので問題ないと答えると満足げに頷く。
 西岐を椅子に座らせて爆豪が後ろから体を押さえる。

「オールマイトさんは心の中でこの子に呼びかけ続けてください。相澤先生は私の身体が吹き飛んだ時にできれば受け止めてもらえるとありがたいです」

 三人に指示を終えると西岐の前で跪いた。それまで浮かんでいた笑みが消え、真剣な眼差しが西岐の目を覗き込む。人差し指を西岐の額に当てて静かに細く息を吐きだす。
 微かに聞こえる笛のような音に相澤は既視感を覚える。
 始まって間もなく異変が起きた。
 近くにあった電子系設備が破裂したのを皮切りに、壁や天井が何かがぶつかったような大きな音を立ててへこみ崩れる。配線が切れ火花を散らし、頑丈なはずの資材の欠片が降り注ぐ。
 爆豪は西岐の身体を押さえ込みながら、辺り構わず暴れまわる西岐の念動力に戸惑った顔で施設内を見回し、オールマイトもこの力は未だ知らなかったらしく動揺を隠すことなく目を見開いている。
 暗間だけは全てを分かっているかのように驚きも狼狽えもせず、西岐の目を覗き込んだまま静かに息を吐いていた。

「戻ります。少し混乱しますので宥めてやってくださいね」

 息を止め短く吸うと、目線を反らさず三人に声をかける。全員が頷きで返すと額に当てた指に力を込め、ゆっくりと放した。

「――……あ、ああ」

 西岐の唇が微かに震えた。と思うなり、つんざくような悲鳴を吐き出した。
 全身で、全力で慄き、拒絶する声。
 どれだけの恐怖を味わったのだろうか。
 息の続く限り声を出し続け、途切れてはまた叫び続ける。
 見開いた目からはとめどなく涙が流れている。
 耐えられなくなったのか爆豪が西岐に覆いかぶさるように抱きしめる。オールマイトが駆け寄って引き攣った手を握り締める。
 相澤は心が引き裂かれそうな思いを抑えて、暗間からの頼みを全うするために背後に立っていた。我ながらここまで冷静に立ち回ろうとしている自分に笑いが漏れる。
 しかし、相澤の判断は間違っていなかった。西岐の声がひときわ大きくなった時、見えない空気の塊が暗間の身体を弾き飛ばした。難なくそれを受け止めると、西岐の叫び声が小さなすすり泣きに変わった。
 西岐を呼ぶ二人の声が、安堵の色を滲ませているのを聞いて、戻ったのだと理解する。

「……先生も、難儀ですね」

 暗間が身を起こし、ずれた眼鏡を直しつつ相澤に苦笑を向けた。その表情は今までの印象を覆すほど感情的なものだった。

「あなたは……」
「おい、先生ッッ!!」

 言いかけた言葉を爆豪の声が遮る。

「先生! れぇが呼んでんだ! 早く来い!!!」

 とても教師に向けるような言葉遣いではなかったが、そんなことは気にならないくらい『西岐が呼んでいる』の言葉が冷静さを奪い去ってしまった。
 自分でも驚くほどの速さで駆け寄り、二人の間から覗き込む。
 眉を歪め、目も口も緩み、涙でぐちゃぐちゃになった顔に胸が締め付けられるが、それでもあの無表情よりはずっと救われる。
 そして震える口で呼ぶ。

「いれ、いざーさん」

 それを聞いたらもう自分を抑えられはしなかった。
 西岐の身体を強く掻き抱く。遠慮のない力に西岐は文句も言わずシャツの胸元に縋りつく。
 ようやくこの手に戻ってきたのだと、安堵の息が零れ落ちた。





 幼子のように泣き疲れて眠った西岐を爆豪とオールマイトが保健室へと連れて行き、相澤は暗間と応接室にいた。あんな西岐の姿を見せておきながら、どの面下げてと思われそうだが、全寮制の話をして理解と承諾を得なければならない。
 案内のプリントを見せると案の定かすかに眉を寄せる。
 これまでの不手際についての謝罪と見直しを図っている点についての説明をし、もう一度雄英に任せてもらえないかと頭を下げると、眼鏡の奥の目が細まった。

「西岐はあの子がヒーローを目指すことにそもそも反対なのですよ」

 ここでの『西岐』は叔父を指すのだろう。
 物言いこそ柔らかだが声のトーンが下がり、気にしていなければ分からない程度の嫌悪が滲む。

「今回のことでお判りいただけたと思いますが、特に雄英は目立ちますから、あの子にとっては良くないのです」
「それでも入学を許したのですよね?」
「もちろんです、あの子が初めて自分から何かをしたいと言い出したのですから」

 相澤が口を挟むと、当然とばかりに切り返し笑みが戻る。全く愛情がないというわけでもなさそうだ。
 暗間はプリントに目を戻し文字を目で追う。

「あまり目立つことのないように体育祭でも負けるよう言ったのですがね、無駄に終わりました。存外頑固なのです」

 困ったような、それでいて愛しげな笑みが浮かぶ。
 西岐は秘書とも面識がないと言っていたが体育祭で会っていたとは。全く聞かされていなかった事実に相澤は少々苛立つが、表に出すことはなく続きそうな暗間の話に耳を傾ける。

「西岐は仕事の立場上、直接会って守ってやることが出来ません。なのでセキュリティーの優れたところに住まわせていました。その点は雄英が勝るでしょうね」

 東京でもこの地でも仰々しい建物に一人で住んでいるわけを理解すると、暗間の言葉にもちろんですと頷きを返す。
 暗間は笑みを消して相澤を正面に見据えた。

「あの子を守られるだけの存在にはしたくありません。そういう意味ではヒーローを目指すのもよいでしょう。任せてもよろしいですか」
「はい」
「では、よろしくお願いします」

 相澤が真剣な眼差して受け止めしっかり頷くと、暗間は深く深く頭を下げた。清々しく丁寧で、恭しさが全身から溢れる。相澤も深くお辞儀を返して顔を上げた時にはもう初めて見た時のような、柔らかな笑みに戻っていた。
 ずっと胸に渦巻いている疑念に確証が得たくて、相澤は立ち上がろうとしている暗間を呼び止める。

「私は教師という職業上、いろんな親御さんに会ってきました。あなたのさっきの顔はまさに親のそれです」

 暗間の目が瞬き、ほんのわずかに笑みが深くなる。

「あなたが叔父……いや、父親なのでは?」

 はっきりと率直に問いかけた。
 連絡を受けてから間髪おかず駆け付けたこと、西岐を覗き込んだ時の目、あの子と呼ぶときの愛しげな表情。本人は自覚がないのだろうか。
 小さな既視感が段々と確信に変わっていけば眼鏡では隠せない面影に気付く。

「あの子をお願いしますね、先生」

 問いかけには答えず、何を考えているのか読み取らせないような笑みを浮かべたまま、暗間はその場から消え去った。
 答えないということが明らかな答えで、相澤は残された部屋の中で小さく笑った。
create 2017/12/01
update 2017/12/01
ヒロ×サイtop