仮免許
アンテルーム



 一抜けとなった西岐が静かに座っている控え室に、一人で百二十人を脱落させて通過したというアナウンスが響き、間もなく扉が開いて入ってきたのは会場外で一度会った夜嵐だった。

「……百二十人、すごいね」

 控え室からは会場の様子を伺うことが出来ないため、どうやってそれだけの人数を脱落させたのか分からず、耳に入った情報にただ驚嘆する。雄英の推薦入試をトップで合格したというのは伊達ではないということだ。

「あの、そこに磁気キーがあって……えっと、ターゲットを外したらバッグと返却して、って」

 第一印象のせいもあって少々恐れを感じながらも職員からの指示を伝えると、会場外で会った時同様、夜嵐は大袈裟なほど動揺して真っ赤になって西岐から距離をとった。別に西岐から近づいたわけでもなく、椅子に座ったまま声をかけただけなのにその反応はさすがに傷付く。
 磁気キーの場所に夜嵐が向かったことだけ確認して、ため息交じりに自分の手元へ視線を引き寄せた。
 手持無沙汰が過ぎて手に取った紙コップにはなみなみと液体が満たされている。あれくらいのことしかしていないのだから疲れていないのも当然で、喉も渇いていない。何となく手に取ってしまい口をつける気にもなれず体温で液体を温めている状態だ。
 折角障子が背中を押してくれたというのに、こんなことならクラスメイト達が通過するのを手助けしたほうがよかったのではないかという思いが沸いてきて、小さくかぶりを振った。
 せめてクラスメイト達が今どうしているのか知りたい。遠目を使おう。
 そう思って顔を上げて、西岐の喉から掠れた高い声が出た。

「び……っくりした」

 いつの間にかすぐ目の前に夜嵐が立っていて西岐を見下ろしていたのだ。
 相変わらず顔を真っ赤にして無言で立っているさまは一種異様で、無意識のうちに身体を後ろに反らせてしまい椅子が軋んだ音を立てる。
 磁気キーのありかや返却棚が分からないのかとも思ったが、ターゲットもボールバッグも身に着けてはいない。何のためにそこに立っているのか分からずにいると、夜嵐が緊張しきった様子で口を開く。

「じ、自分、れぇさんのファンっス」

 コスチュームに目元を覆うマスクを加えてよかったと思った。そうでなければ相当間の抜けた顔を晒してしまっていたに違いない。
 真面目な顔つきで言うからには夜嵐の言葉は冗談ではないのだろう。
 ファン、ファンと何度か頭の中で言葉を繰り返してみるが自分の中で落ち着くことはなく、擦り抜けていってしまう。

「ふぁん……?」

 疑問がそっくり口に出た。

「大好きということっス!」

 即座に言い換えられてそのストレートな言葉に面食らう。
 てっきり嫌われているとばかり思っていたので全くの予想外だった。
 頬が熱を持つ。

「あ……ありがと」

 もどかしく思いながら簡単なお礼で返すと、夜嵐は隣の椅子に腰かける。大きな体が椅子からはみ出て西岐の腕に当たり、紙コップの中身が少々跳ねる。それに気づいて夜嵐が身体を縮こませるので、西岐は思わず笑ってしまった。
 そんなに怖い人でもないようだ。

「あの、ね、よあらしくん」
「イナサでいいっス!」
「イナサくん」

 下の名前で呼ぶと自分で訂正しておきながら顔を覆って悶絶している。

「あのね、推薦入試って、どんな内容だったの?」

 落ち着くのを待とうかとも迷ったが、待てずに浮かんだ問いかけが転がり落ちる。ずっと知りたくて誰にも聞けなかった問い。
 願書も出していなければ受けてもいない入試。そして何故か合格してしまった事実。
 見ないように考えないようにと蓋をしていたけれど、推薦という言葉が耳に入るたび心穏やかにはいられなかった。
 雄英ではなく士傑を選び進学した彼からなら躊躇いなく聞けると思ったのだ。
 夜嵐は顔から手を剥がして西岐に目を向けた。

「超ウルトラスペシャル難関な障害物だらけの三キロマラソンっス」

 その返答を聞いて西岐はほっと息を吐く。
 一定の距離の中で速さを競う競技、それなら実際に試験を受けていたとしてもクリアできたかもしれない、そう思ったからだ。障害物があったところで瞬間移動してしまえば問題ない。まあ、入試当時は遠目遠耳を持っていなかったしコースを見ていない以上確実なことは言えないが、資格も無いのに入学できてしまったという憂いを払うことくらいはできる。

「れぇさんが受験してたなら超余裕だったっスよ!!」

 夜嵐がまるで西岐の心を読んだかのように肯定してくれる。

「そうだといいなぁ」

 注がれた言葉ごと紙コップの中身を喉に流す。
 体温で暖まった液体を飲み干すと、控え室内に再びアナウンスが響いた。立て続けにどんどん通過者を知らせては寂しかった控え室が賑やかになっていく。
 五十四人目が通過したという知らせを聞いた直後、控え室に入ってきたのは轟だった。やっと現れたクラスメイトの姿に自然と西岐の表情が綻んで、轟の元に向かおうと立ち上がる。
 その腕を夜嵐が掴んだ。
 前に出しかけた足が後ろに戻り、力に逆らえず身体が椅子へと戻ってしまう。
 何事だと夜嵐を見れば彼の目は轟に向けられていた。鋭く嫌悪のこもったような目だ。こういう視野の狭い目をどこかで見たなと既視感が過る。
 轟も夜嵐の視線に気づいたのだろう。しかしどうしてそういう目を向けられたのか分からないとでも言いたげな疑問を張り付け、隣に座っている西岐に気付くなり短く西岐の名を呼んだ。

「え……っと、行ってもいいかな」

 困ったように問いかければ夜嵐はまた顔を赤く染めてパッと手を離した。
 もう一度椅子から立ち上がって、空になった紙コップを捨ててから轟の元に向かう。

「とどろきくんが勝つとこ見たかったぁ」

 雄英体育祭の時のようなモニターがないことを残念に思いながら隣に立つと、轟は同意だと頷きながら飲み物に手を伸ばす。コップの半分ほどを一気に飲み干してから、先程の視線がやはり気になるのか夜嵐を横目で一瞥した。

「あいつなんだ?」
「イナサくん?」

 西岐が夜嵐の名を口にするとギョッとした顔で振り向く。

「は? もう名前で呼んでるのか?」

 轟の目に静かな怒りを感じた途端、まだ半分残っていた紙コップを思い切り握りつぶしボダボダと液体をぶちまけた。
 テーブルに置かれていたダスターで慌てて轟の手元を拭くが、轟はそんなことはどうでもよさそうに手元には目もくれず西岐との距離を詰める。
 何かが轟の逆鱗に触れたらしい。

「…………しょうとくん」

 恐らくこれではないかと思い至ったのだが、当たっているのかどうか。

「名前で呼ぶ?」

 そう問いかけるや本当に炎を噴出しそうなほど轟の顔が赤くなった。
create 2017/12/14
update 2017/12/14
ヒロ×サイtop