林間合宿
余燼



 たった今、緑谷たちが爆豪を救出して飛び去って行った空を見上げて、オールマイトは困ったように笑っていた。誰かを救けるために飛び出してしまう彼の気質はもう治しようがないのだろうか。
 しかし爆豪だけでなく西岐もこの場から連れ戻され、だいぶ動きやすくなった。どこに隠されているか分からない西岐の身を案じながら戦えるような相手ではないからだ。これで心置きなくオールフォーワンを倒せる。
 一方でオールフォーワンもまた爪のようなもので、ヴィランたちを誘導しワープゲートの中へと逃がしていく。
 意識が死柄木たちに向いたその油断を見逃さず拳を振りかぶる。だが例の液体でグラントリノが目の前に転送され、それに加えて己の腕が物凄い反発によって弾かれ、その手がグラントリノの横っ面を張り倒してしまう。
 オールフォーワンの腕が大きく膨れ上がる。
 そのまま炸裂してしまえば甚大な被害をもたらすのであろう一撃をオールマイトの拳が打ち消し、周囲のビルの隙間を緩んだ衝撃の風が土煙を伴って擦り抜けていく。
 力によって人を弄び、壊し、奪い、つけ入り支配する。人々を理不尽が嘲り笑う。

「私はそれが、許せない!!」

 途方もない悪意、それらが刻んでいく爪痕は決して小さくない。
 オールマイトの怒りが拳に乗って空を斬り、オールフォーワンのマスクを突き破る。奇妙に柔らかい頭部に拳が突き当たる。
 だが、オールマイトの容姿に変化が表れ始めた。活動限界に達し、口からとめどなく血が流れ、ゼエゼエと耳障りな呼吸音が漏れ聞こえる。

 地に伏したオールフォーワンの言葉は嘲りを含んで、オールマイトを揺さぶる。志村菜奈、その名前を、嘲りを、汚すような言葉を聞くなり冷静さが失われていた。感情的になってもう一度拳を振りかぶる。必要以上の感情の高ぶりが隙を生み、下から突き上げられオールマイトの体が呆気なく上空へと飛ばされる。
 グラントリノが空中でオールマイトの身体を受け止めてくれる。そうしてもらっていなければあと少しでマスコミのヘリに衝突するところだっただろう。

 挑発に乗り感情的になったこと、オールフォーワンの言葉にいちいち反応してしまう弱い部分を叱責されていつになく小さな声で返事をする。平和の象徴と呼ばれ巨悪を前にしていながら未だ師に叱られてしまう己の弱さが情けなく思えた。
 身体に限界を感じる。ダメージも少なくない。苦しい息を整えようとするが酷くなる一方だ

 オールフォーワンの腕がこれまで以上に膨れ上がる。
 警戒したグラントリノが避けろと促す。
 しかし、オールマイトは避けることが出来ない。背後に物音を聞いてしまった。人がいることを知ってしまった。正面からまともに攻撃を受けながら、血を吐きながら、それでもオールマイトは耐えた。人々の命がかかっている以上一歩も退くことなどできなかった。
 土煙が風に流され消えると、そこにはガリガリにやせ細ったオールマイトの姿があった。

「惨めな姿を世間に晒せ、平和の象徴」

 オールフォーワンの言葉に被さるようにマスコミのヘリの音がする。こうなることをこの男はすべて見抜いていたのだろう。
 電波を通してオールマイトの"本当の姿"が世界中の人々の目に晒される。
 目の前の男はこの姿を嘲る。
 だがその眼の光は決して消えてはいない。燃え滾る闘志を宿した目は真っ直ぐにオールフォーワンを映している。

「身が朽ち衰えようとも……その姿を晒されようとも……私の心は依然、平和の象徴!! 一欠片とて奪えるものじゃあない!!」

 己の矜持を確かなものと見せつけるかのように、細い拳を強く強く握りしめた。
 男はそれさえも冷ややかに嗤う。どこまでも折り合わない奴だと思う。そして人差し指を立てて試すような物言いをした。

「じゃあこれも君の心には支障ないかな……あのね…………、死柄木弔は志村菜奈の孫だよ」

 勿体つけて言い放ったその言葉は、彼の思惑通り確かにオールマイトの心を激しく揺さぶった。言葉を交わすなと言われたばかりだというのに、耳を傾け、己の弱さを露呈してしまう。嘘だと思いたかった。けれどこの男は執拗なまでにそういうことに手を回す人間だということを知っている。今まであった挫けぬ心が簡単に手折られる。
 怒りなのか、ショックなのか、それさえも分からず身を震わせた。
 こんなことではこの男を打ち破ることなどできないと分かっていても、冷静さが剥がれ落ちてしまって取り戻せない。
 そんなオールマイトの耳に微かな声が届く。

『……オー……ルマイ、ト』

 誰かが呼んだ。

『オ……、ルマイト……聞いて』

 この声、この響き方には覚えがあった。
 頭の中で反響するような、狭い空間を共有しているような、不思議な感覚。

『みんなの声を聞いて』

 聞き覚えのある声がそう言うと、今度は頭の中に溢れ出す尋常ではない数の声、声、声。これがオールマイトの戦いを見守る人々の声だと気付くまでそう時間はかからなかった。

『敗けるな』
『頑張れ』
『勝って』

 ――救けて。
 最後の声は背後から聞こえた。
 失いかけていた勇気が、闘志が噴き出し熱くなる。
 そうだ、何があろうとも平和の象徴、悪を挫き人々を守らねばならない。消えようとしている灯が完全に消えてしまう前に。
 右手をしっかり握りしめ力を込めた。片側だけ歪に膨れ上がりワンフォーオールを纏う。
 オールフォーワンは身体を浮き上がらせ応戦の構えをとった。

 そこにプロヒーローが駆け付ける。傷つけられたヒーローたちや一般の人々を彼らが救け出してくれる。それはもちろん彼ら自身ヒーローであるから当然の行いだ。けれどその行動がオールマイトの背を押してくれていることは分かった。
 煩わしいと一蹴し、持ち得る限りの攻撃手段を右腕に集結させるオールフォーワン。あの気味の悪い腕は間違いなく平和を手折ることのできる悪しき力だ。
 ならば自分はそれを超えよう。

 凄まじい勢いで向かってくるオールフォーワンを迎撃する。
 振り上げた腕が奴の拳にめり込む。
 先程と同じく衝撃が丸々戻ってきて筋肉が切れ、骨が砕ける音がした。膨らませていた筋肉もしぼんでしまう。
 けれどオールマイトの耳には、緑谷の叫びが聞こえていた。
 あのどうしようもなくて、すぐに走り出してしまう教え子はまだまだ手がかかりそうなのだ。だから無様でもここで死ぬわけにはいかない。
 すぐに左に力を込めて振りかぶる。
 オールフォーワンの顔面を捉えるが浅く、左手を構えさせてしまう。

 二人の力の激突は周囲の者に様子を伺わせないくらいの量の土煙を舞い上げる。
 普通ならば近寄ることも困難であろうオールマイトの背後にかすかな人の気配を感じた。そして背中に軽く触れ、あっという間に消え去った。
 それと同時に全身の痛みが掻き消えてしまった。
 ダメージも折れた骨さえも元に戻る。
 ただ身体が回復しただけ、活動限界には変わりない。それでも込められる力が大きく違うだろう。
 全力を右腕に注ぎ込む。
 口から血が溢れ、残り火が消えようとしている。
 噛みしめた歯がギリギリと鳴った。
 渾身の叫びと共に最期のワンフォーオールの力が炸裂した。

 確かな手応えがあった。
 今までにない暴風が螺旋を描いて上空に舞い上がり、ゆっくりと晴れて全貌を見せていく。その衝撃の渦の中心にオールフォーワンは叩きつけられ、もう起き上がりはしない。
 カメラが、人々が見ている。
 勝利の安心を人々が待っている。
 限界を超えた限界の中で拳を高く突き上げ、全身の筋肉を大きく膨らませていく。これが平和の象徴の勝利のスタンディングだと見せつけるように。
 オールマイト、平和の象徴、ヒーローとしての最期の仕事を全うしたのだった。
create 2018/01/05
update 2018/01/05
ヒロ×サイtop