インターン
始業式



 後期始業式に向かう列の最後尾。
 はりきる飯田の声を聞きながらたらたらとのんびり歩いていた西岐だが、不意に前が詰まって八百万にぶつかる寸前で足を止めた。
 何事かと顔を横に出して前を伺うと、下駄箱の手前でB組と小競り合いか何かをしているようで。

「こちとら全員合格、水があいたね、A組」

 どうやら仮免試験にクラス全員が合格したのかどうかということが話の論点らしく、合格を逃してしまった轟が気落ちしている。どうやら体育祭で感じたB組によるA組敵視は今なおのようだ。
 西岐はあまりB組と接触する機会がなかっただけにその辺のことはよく分かっていないが、彼が一種のプレイのようにA組に絡みたがっていることだけは分かった。そういえば騎馬戦で爆豪に喧嘩を吹っかけていたのも彼ではなかっただろうか。

「ボコボコォにウチノメシテ、ヤァ……ンヨ?」

 今も日本語があまり堪能ではない女子に何やら吹き込んでけしかけるようなことを言わせている。

「れぇちゃん! 反撃だ!」

 不意に上鳴が西岐に話を振った。最後尾にいた西岐を引っ張って前へと連れて行きB組の連中の前に突き出す。
 反撃と言われても困る。話の流れを正確に理解していない上、口でのやりあいは特に苦手な分類で。それに西岐にはB組に対して何も思うところなどないのだ。クラス愛が深くて結構な事だと思っている。
 しかも……。

「えっと……え、と」

 ちらっと上鳴を振り返る。

「物間だよ、物間、物間!」
「認識されてねぇぞ、あいつ」

 名前を憶えていないことを察した上鳴が、彼に聞こえる音量で名前を連呼し、切島がケタケタと腹を抱えて笑う。
 騎馬戦のあの混戦のさなか聞いた名前なんて覚えているわけがない。そもそも会話だって交わしていないし応戦もしていないし、きちんと顔を合わせるのはこれが初めてではないだろうか。

「も、ものまくん、ものまくん」

 もごもごと口の中で名前を繰り返しインプットする。今度こそ覚えた、はず。
 そうして改めて正面に立つと物間は何かに身構えるように癖のある笑みを浮かべた状態で口端をヒクつかせた。彼に身構えさせる要素が自分にあるとは思えないのだが、全力で警戒しているようだ。
 じっと見つめつつ、口を開く。

「あのね、クラスのこと好きなのいいと思う。……俺も好き」

 西岐だってA組がB組より優れていれば嬉しい。物間の感情は理解できるもので自然と笑みが浮かんだ。
 それを真正面から受けた物間は身構えた時の状態で、固まった。ウンともスンとも言わないし、動かなくなってしまった。

「あれ……ものまくん?」
「よーし、れぇちゃんよくやった!」

 目の前でひらひらと手を振っても視線さえ動かない物間に焦っていると、何故か上鳴にポンと肩を叩いて褒められ、混乱しているところに背後から聞き覚えのある声がかかった。

「オーイ、後ろ詰まってんだけど」

 振り返った先には想像した通り心操がクラスの先頭を歩いてくるところだ。かっこ悪いところを見せるなという言い分はつまりA組に憧れているというわけで、彼もまた相変わらずらしい。

「……しんそうくん!」

 暫くぶりに見た顔に西岐はパッと表情を輝かせて思わず心操の方へと小走りに駆け寄った。
 しかし、心操は何事も無かったかのようにスッと通り過ぎて下駄箱へと向かって行く。視線だけは一度西岐に当てられたから気付かなかったわけがない。あえて無視したということだろう。
 まさか心操に無視をされるとは思っていなかっただけに、西岐は大きなショックを受けてしまった。

「さァ、西岐くん、速やかに!」

 飯田に促されて西岐も動き出したA組に列に続く。
 グラウンドにずらりと並ぶ全校生徒。
 長々と内容の見えない校長の話。
 先程の心操の様子が気になってとてもではないが話に集中できやしない。
 こっそりと最後尾から姿を消してC組の真ん中でぼんやりと立つ心操の背後に移動した。いきなり現れた西岐に周囲の者がざわつき、つられたように心操が振り返る。驚いて口を開きかけた心操に向かってシッと指を立てる。あまりざわざわが大きくならないようにと周囲にも口元に指を立てて目線を送ると、幾らか静かになって心操も口を引き結び、視線を前に戻した。

「ね、俺なにかした?」

 そっと隣に立ち、心操にだけ聞こえるくらいに声を潜める。

「怒らせた?」

 心操は前を向いたまま口を開く。

「……ニュース見た。あんた大変だったって」
「うん」

 皮肉をてらう物言いだ。以前より逞しくなっている拳を握りこみ、しんなりと眉を顰めた。

「ニュースで、だぞ」

 心操の言いたいことがうまく見つけられず西岐は必至で考えた。例えば逆の立場で、心操が大変な目にあったことをニュースで知ったとしたら、と考えてみる。でも多分、そこで浮かぶ感情は西岐と心操とでは全然違うに違いない。

「ごめんなさい」

 取り繕うように謝る悪い癖が出る。

「怒ってるんじゃない……ただ情けないだけだ。知らないことも、そこにいられなかったことも。不甲斐なくて情けない」

 段々と口調に苛立ちが滲んでいって声が大きくなっていく。押さえようと心操は手で口元を覆うがそれでも吐き出された荒い息が指の隙間から零れ落ちる。

「少し入院しただけだよ、なんにも……大変じゃなかった」
「そんなんで相澤先生が状態のこと隠すと思うか? 俺、訊いたんだぜ、西岐どうなんですかって。で、教えられないってよ……」

 安心させようと思ってついた少しの誤魔化しが心操の感情を煽る。口元を押さえていた手が西岐の肩を掴み、今度こそ押さえられなかった声が周囲の目を集めた。
 やっと、なんとなく心操の思っていることが分かって、西岐も眉を寄せる。
 あの事件からそれなりの時間が経過しているが、まだ何も終わっていないし、知らない傷跡があちこちに刻まれているのだと思い知る。西岐ならば蓋をして見ないようにすることは簡単にできたけれど、周りの人間はそうはいかない。ひとつひとつ向き合っていかなければいけないのだ、きっと。

「お昼、中庭で会える? そこで話すよ」

 いつになく落ち着いた声が出た気がする。震えた情けない声にならないように努めた結果だ。
 心操が頷くのを確かめてから元の場所へと静かに戻るのだった。
create 2018/04/04
update 2018/04/04
ヒロ×サイtop