年相応






「あっ天野さん! おかえりなさい。言ってた通り、これって夢だったんですね!!」
「ナンデ!!?」

久しぶりに人と話して夜を明かしたからか、私は人ごみを求めて終日外出することにした。
そろそろやることがなくなったなあと諦めて夕方家に帰り、扉を開けると明るい光が飛び出してくる。
消したはずの電気が点いていることに震えながら様子をうかがうと、奥に円堂がいた。私を見るなり笑顔を見せたがその輝きように少し戸惑う。
奴は薄青のスウェットで、すでに昨夜座った座布団でテレビを見ている。
バラエティに笑いをこらえているのが見えたが、もしや貴様図々しい奴だな?

一週間分の材料を買い込んだ二つの袋が両手から落ちていたことに気付いたのは、駆け寄った円堂が袋を拾い上げてからだった。

「落ちてる落ちてる!!」
「うわわ、ごめんありがと!」

ごろんごろんと転げる人参やらピーマンやらを助け上げ、円堂が袋の口を広げているので突っ込んだ。
そのまま彼から袋を奪い取り、テーブルで広げてから冷蔵庫の中へ移動する。大きく鳴り響く心臓もようやく大人しくなりはじめ、落ち着いて声をかけられるようになった。

「夢ってことは、また眠ったらここに?」
「はい」
「賭けみたいなもんだったのに……」
「え?」
「ナンデモナイ」

円堂には聞こえてなかった、いいね?
彼の言葉によれば、どうやら寝ている間だけの限定的な移動という可能性が高いようだ。
だから円堂は行方不明にも、住所不定にもならないということで。
私のシリアス限界値劇場は杞憂にすぎなかったのだ。

「天野さんなんで震えてるんですか?」
「震えてないし!」

深く考えすぎて心身擦り切れそうになっただけだ、さしたる問題ではない。
力強く冷蔵庫を閉めたように見えるが気のせいだ。

「そうだ、いつからここにいたの?」
「うーん、二時間くらい前?」
「うそ! そんな前から?」

時計を見れば現在八時。ならば夕方六時からずっとここで一人で過ごしていたということで、同時刻千円違いのスカートを比べて唸っていたことが申し訳なく感じる。しかも買わずに帰った。
円堂が現れた時点で日は沈み、暗い部屋で過ごすのは気持ちよくは無かったはずだ。
昨夜のように家主もおらず勝手も分からず、困ってしまっただろう。
私が帰るなりぱあっと輝いた笑顔からその不安さは推し量れた。
私が引き起こした事態ではないと分かっているが胸が痛む。

「二時間もいたら流石に暇だったよね!」
「まあ、それは……あ、勝手にテレビ見てました! すみません」

耐えかねて電気とテレビを点けるに至ったらしく途端に円堂は申し訳なさそうに言う。
確かに驚いたし図々しいとほんの少し思ったが、この家での円堂の娯楽はテレビだけであり、昨夜触れたもの以外漁らなかったのだから怒ることなどない。
つい疑いの眼を向けてしまった罪悪感がこみ上げ、眉間に力入った。

「テレビぐらいいいよ……。基本的に仕舞ってあるものとかじゃなかったら使って、冷蔵庫にお茶もあるから!」
「そこまでは流石に」
「我慢されると精神的に辛いからお願い!」

ぶんぶんと手を振る円堂に私は懇願する。
立った状態で話していると分かるが円堂は私より背が低い。余裕を持って見下ろすことができ、瞳子監督もこの目線で彼らを見ていたのだろうかと少し羨ましく思う。
しかしそれ以上に円堂がまだ十四歳なのだと実感するのだ。ゲームやアニメの円堂達の目線から外れてみれば、彼はこんなにも小さい。
我慢なんてさせられるか!

「わ、分かりましたから! えっと、あっ! 天野さんもテレビ見ましょう!」

気を使われてしまった。
あからさまに話を逸らした円堂がテレビへとすっ飛んでいくので、少し遅れてついていく。
円堂はリモコンを押すたびにテレビ画面が切り替わっていき、二人で画面を見つめた。

「天気予報、ニュース、クイズ……」
「今日はサッカーの試合とかやってないかなー」
「サッカー部だもんね、やってたらそれにしよっか」

円堂が期待を込めてリモコンを押していくのを見てつい笑みがこぼれた。本当に好きなんだな。
その表情は昔わくわくしながらイナズマイレブンを見ていた自分を思い出させ、懐かしい気持ちになる。
少しずつ大人になり、また違った視線を持つようになったがあの頃の純真な気持ちは消えることなく残っている。
楽しみで仕方ない、そんな気持ちが。

それにしてもお腹すいたなあ、帰ってすぐ食べる予定だったので円堂がテレビを見ている間にパンでもつまもうか。

「俺、選手たちの必殺技見るの好きなんです。楽しみだなー!」
「あー必殺技ね必殺技、…………ん?」

背筋に氷を投げ入れられたようだった。
丁度テレビ画面に緑色のグラウンド、駆け抜けるボールと人間が映し出され、円堂は歓喜の声を上げたが、そんな場合じゃない。

「俺も練習してるんですけどなかなかできないから参考に」
「円堂くん私お腹すいたからファミレス行きたいなあ!!!!」

円堂のリモコンを奪い取って即座に電源を切ると早口で捲し立てた。
何も言えずに戸惑いの視線を向ける円堂に、箪笥から引っ張り出したジャージとシャツを押し付け無視やり握らせる。

「はい着替えて! 入るから! 着替えて!」
「え? 天野さん? えっ? でもサッカーの試合」
「お腹と背中くっつきそうで死んじゃう!」
「すぐ着替える!!」

鬼気迫る勢いに押された円堂が着替えることを宣言したので部屋を出て見えないところへ移動する。
ばくばくと大音量でリサイタルを繰り広げる心臓、吹き出る汗。とても一呼吸で落ち着けるものではない。
円堂には大変申し訳ないことをしたと反省はしているが、後悔はしていない……だって仕方ないじゃないか。

――必殺技なんてうち(この世界)にはありません!

・・・

「なにがいい?」
「いいですよ俺は、腹減ってないし」
「……このパフェおいしそ〜」
「うぐ」
「いちごジャムに、チョコブラウニーまで乗ってる。すごいなあ大きいなあ」
「……それがいいです」

存外甘いものが好きらしい円堂を説き伏せ、パフェと定食とドリンクバー二つを選ぶことにした。

あれから不満げだけど文句は言えないという微妙な面持ちの円堂を引き連れ、自宅付近のファミレスへと足を運ぶ。
一時期人気を掻っ攫った作品の主人公を外に出すことに不安はあったが、バンダナをしていない円堂はそれなりに溶け込んでいる。
風丸やヒロトだったら……フードを被ってもらわなければいけないだろうな。
なお歩いている途中で、やはり長かった裾を何度も直す円堂は庇護欲を掻き立てられた。

「天野さん、なにがいいですか?」

注文してすぐに立ち上がった円堂に問いかけられる。流れからすると飲み物だろうからメロンソーダとだけ答えておいた。
円堂が満足げに去っていくのを見て私は息をつく。

サッカーを見たがる円堂の様子を思うに、円堂はこの世界を住んでいる場所と同じだと考えているらしい。
異世界だと最初から思うことがまず難しい。私が同じ文明圏の世界に飛んでしまったら、住民が日本語を話していれば市外や県外を想像したに違いない。

そもそも、作品としてのイナズマイレブンを知っているかどうか。
たったひとつの知識で、私と円堂では考えの着地点が大きく変わるだろう。
先ほどは必殺技が無いことに疑問を持つことを阻止すべく、こうして連れ出すに至ったが、円堂にとっては何が最善なのだろうか。
答えは出ない。

悶々としていた所で円堂が帰ってきた。
ストローのささったメロンソーダが炭酸を弾けさせながら現れる。
身体に悪そうな色のジュースを飲むと子どもの気分になる気がして、それが好きでやめられない。
円堂も同じメロンソーダだ。なんだかうれしい気分。

「ありがとう。いただきまーす」
「天野さん、コーヒーとか飲まないんですか?」
「コーヒー? うーん、ミルクたっぷりなら飲むけど、進んでは飲まないね」

円堂の問いかけにストローを口から放す。
私はもともとコーヒーを飲まない人間だ。ミルクや砂糖が入った甘い物なら我慢できるが、学生時代から避けていた。
しかし高校を卒業してすぐ就職し、職場でコーヒーを出してもらえるので全く飲まないわけではない。挨拶として飲むだけであるが。
まだぎりぎり十代な私は世間一般でも子どもだし、自分自身でもそう思っている。

「大人ってみんなコーヒー飲むのかなって。うちの父ちゃん毎朝飲んでるんです」
「大人って、私まだ十代だからね。飲めないわけじゃないけどまだまだジュースの方がおいしい!」

そういった感覚は、大人よりも円堂の方に近いだろう。仕事もしてお金ももらって意識は変わりつつあるが、一年と少し前までは高校生だったんだから直ぐに大人にはなれない。

「興味あるなら持ってきたら?」
「絶対残すからいいです!」
「ふ〜ん、子どもよのう」
「天野さんだってジュース好きなくせに……」

円堂が拗ねて頬を膨らましたのでつい噴き出してしまう。
元々丸い顔なのに、更にふっくらしてたこ焼きみたいだ。

そうこうしている内に頼んでいたものが出てきた。
定食についていたお味噌汁を一口飲み、息をつく。ファミレスの和食はなかなかレベルが高いと思うのだ。


「……そこで、一年の壁山ってやつが、お菓子を部屋で食べるからマネージャーが掃除が大変だって怒ってるんですよ」
「木野さんだっけ、それは確かに大変だなあ」
「木野のやつ、ちょっと怖いから俺からも壁山に言ったんですけどやめなくて」

円堂は困ったように笑った。
秋ちゃんがぷりぷりと怒っている姿を想像するが、本人はそのつもりでないだろうけど、かわいいという感想になってしまう。
円堂の前ということで、彼女を木野さんと呼んでいるが違和感は強く、そのうちボロが出そうだ。

「おかしを禁止するのは難しそうだね」

壁山という男の子は漫画によれば体重が百五十キロもあるらしい。そんな彼に「やめろ」と言うのは大分酷かもしれない。
あの大きな体のおかげで得た技もあるのだからそれを考慮すれば難しい話だ。
とはいえ、将来を思えば減量した方がいいので彼には是非ダイエットに挑戦してほしい。

「そもそも学校にお菓子を持ち込むことがいけないと思うけど……飴ならまだ汚れないんじゃない?」
「飴……飴かあ。言ってみます!」
「一回でだめなら二回、二回でだめなら三回、四回、五回って繰り返せばそのうちなんとかなるよ!」

そう言うと円堂は得心がいったという顔で笑った。
きっと円堂ならこんなこと言うだろうな、というつもりだったのだが、悪くない意見だったようで安心した。

円堂の話はとても面白かった。
今のところ部員の話のみだが、先ほどの壁山のこととか、栗松は入学式からゲーム機を持ち込んでいるが未だバレていないから怖いとか、染岡がはじめ一年生に近づいてもらえず悩んでいたとか……本編で見ることが無かった話を聞かせてくれる。
聞けば聞くほど、あんなかっこよかった彼らも中学生らしい面が多分にあるのだと分かった。

その中で発覚したのが、現時点でアニメまたはゲームの第一話には入っていないらしい。
もともと明確な日付は公開されておらず、第二期では北海道で大雪、沖縄では真夏という極端な季節を同時期として描写されているので尚分からない。
しかし円堂によれば四月という、偶然にもこちらと同じ月だったのだ。

目の前に座っている、にこやかに笑う円堂が、この先帝国学園と闘い、仲間を得て、世界へと飛び立っていくのか。
つい肩に力が入り目が離せなくなる。

「あ、そろそろ行こうか」
「へっ、あ……はい」

あっという間に時刻は九時半を迎えた。
円堂に声をかけつつ伝票を握り二人でレジに向かう。
私が支払いをしている間、円堂は背後でうろうろとしており、どうも落ち着かない様子だった。

外に出れば夜風が心地良い。
空腹が満たされ、ほう、と息をつくと円堂が声をあげた。

「あの!」

振り向くとファミレスの電灯に照らされた円堂がそこにいる。

「俺、明日もここにいるんでしょうか」
「……うん、きっとね」

ただの予測であり、確信に近い推測だ。
この答えに数秒の沈黙が生まれる。

この目の前の小さな男の子が、優しくてひたむきな十四歳の少年が考えていることを私は分かっていた。

「うちにいなよ」

円堂が肩を震わせた。
テレビを見ること、食事をすること。円堂は子どもらしからぬ動揺を見せ、謝るか断りを入れてきた。
円堂守という子は決して礼儀知らずではない。
無茶苦茶な面もあるが、ボールが当たりそうになったら深く頭を下げ、またキャプテンとして相手チームに堂々と挨拶し、感謝と笑顔を忘れない人間という印象を受けている。

今は持ち前の明るさこそ失わなかったものの、母ではない大人の自宅で過ごし、また食事をするということに申し訳なさを感じていたのだろう。
今の円堂には私物がないから尚更だ。

「円堂くんが眠っている間だけだし、一緒に話したり食べたりするの楽しいし、私は困らないよ」

努めてにこにこと答えた。
快く受け入れるということがよく伝わるように。

事実、この二日間は確かに楽しかった。
もとより円堂の事は知っており、その人柄は信じている。
単純だが、こんなにも明るい十四歳の男の子の、何を疑えばいいのか。
一人暮らしから早一年、一日数時間滞在という丁度いい同居人だ。

「何迷ってるの?」
「……」
「円堂くん、ここにいてよ」

隣人が遊びに来た! それでいいじゃないか。
作品の存在とか、世界が違うとか、扱い方を迷っていることはたくさんある。
けれど今はともかく、この子を安心させてあげたかった。

やがて首を小さく上下に振り、目元を強くこすってから笑顔を見せてくれた。

「ありがとう、天野さん!!」
「……それよりもさあ、ずーっと悩んでたんだ? まだまだ子どもなんだから早く忘れて楽しんじゃおうよ!」
「子どもってなんですか! 俺は天野さんに貰ってばかりだったから……!!」
「よそよそしいのもやめ! 敬語もやめ! 名前で呼んで、一葉だよ、ほら!」

もう神妙な顔はおしまいだ。
力を込めて頭を撫でまわすと思ったよりも硬い髪だった。
円堂は後ずさって抵抗を試みてくる。

「わっ! えーっと、じゃあ一葉さん? でいい?」
「んー、まあいいか。よし、家に帰ろう!」
「うん!」

私と円堂を隔てていたものが小さくなる。
確実に近づいた距離を、明るい声色から感じた私はその後ずっと上機嫌だったのである。


――そしてもう一つ。
円堂と話している途中、彼は唐突に姿を消した。
不自然に動きを止めたと思ったすぐの出来事に、私はあちらへの帰る瞬間を目撃したと覚った。






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