隠し切れない
後五分もすれば私は家を出る。
今日は日曜日だが、仕事である。会社によるから仕方ない。
朝の食器はすべて洗い、仕事用のバッグも確認済みで準備万端と言えるだろう。
「……円堂来る、よね?」
もし昨日のように待ちぼうけになってしまったら可哀そうだ。
どうするのがいいか考えた末、私は大きいテーブルの上にいくつかのDVDとためていたお菓子、そして書置きを残すことに決めた。
「あーっと、これは危ない」
DVDを仕舞っていた棚を見ると『イナズマイレブン』を見つけ、しばらく辺りを見回して迷った末に本棚の上に隠す。明日はもっときちんとした場所に隠そう。
決心をした後、私はようやく玄関へ向かうのであった。
・・・
「おっ」
自然と瞼が開くと女の部屋が目に飛び込み円堂は天野の部屋だと期待を込めた声を上げた。
彼女の部屋に来るのはこれで三度目だが、昨夜悩んでいたことを話したおかげで新たな気分だ。
天野に迎えられているという事実はこんなにも大きいのかと円堂は実感する。
そろそろ覚えてきた時計の位置に視線を投げれば、現在時刻は午後六時。
昨日も一昨日も同じような時刻だったのであるが円堂はそれに気づかぬまま視線をずらした。
そして初日にカレーを食べたテーブルの上に何かが置いてあることに気付き、近づいてみると紙切れを見つけたので読むことにした。
『おはよう、こんにちは、こんばんは。(いつ来るのか分からないから全部書いたよ)
机の上にDVDを置きました。お腹がすいたらお菓子も食べてね。デッキの使い方は多分分かると思うから頑張って。
あまり遠慮しないで、リラックスしてね』
少し角ばった字。
これが彼女の書く字なんだと一つ知った。
傍らにあるDVDを見ると、大人から子どもまで楽しめる童話にSF、コメディ、ホラーなど豪華な品揃えだった。集めているのだろうか。
数秒ほど悩んでから一つを手に取る。
どうやら現代を舞台にしたファンタジーで、パラレルワールドを題材にしているらしい。
「これにするかあ」
――しばらくして。
画面にスタッフロールが流れ始めたのを確認すると円堂は大きく体を伸ばし、「面白かったあ!」と満足そうに言った。
時計を見てみると昨日天野が帰宅した時間に近づきつつあった。そろそろ帰ってくる頃だろうか? いやどうだろう。
「早く帰ってこないかなあ」
大切な部員たちの話を天野は楽しそうに聞いてくれるので、円堂はどんどん話してしまう。
また聞いてほしいことがあるのだと、天野の帰りを今か今かと待ちわびていた。
円堂は映画鑑賞の間休憩をとらなかったせいかトイレに行きたくなった。
確か廊下の途中だったはずと立ち上がり一歩踏み出したが、その足はずるりと床を滑ってしまった。
「うおっ!たっ! たっ!」
かかとが前に滑ったため円堂は抵抗するが身体は後退する。何とか体勢を立て直そうとするも結局背後にあった本棚に背中をぶつけてしまった。
「いだッ!」
がたんと派手な音が部屋に響く。その衝撃によって本棚が大きく揺れ、仕舞われていたものがばらばらと降りかかってきた。アクセサリーやネイル容器、キーホルダー、はては貯金箱が円堂の周りに散乱する。
更に運の悪いことに、痛みに唸る円堂に向けて一際大きな物体が落下した。
「いてて……だッ!! な、なんだよーー!」
じんわりと目元が熱を持ち、猛攻を仕掛けてきた物体を強く睨み付けた。
そして止まった。
「…………俺?」
円堂の頭を攻撃してきたのはプラスチックでできた箱だった。その表面には複数人の人が描かれている。
そしてその中心には、手の平を前面に突き出した――ゴッドハンドの構えを取る――円堂の姿があった。
手に取り、まじまじと見つめる。
「……俺、だよなあ」
写真だと思ったが、写真の中の円堂は手から稲妻を出しており、必殺技を身に着けていない自分には無理だと否定する。周囲の男子中学生にも見覚えはなく、そもそもこのような写真は撮っていない。
ますます分からなくなった。
更にその箱は開くようになっているので開けてみると、DVDが何枚か入っていた。
しばしの間見つめて思案する。
そして円堂は一枚目を手に取った。
・・・
「天野さん、この街ってサッカーボールは可燃ごみですか?」
背後からかかった声に私はキーボードを叩く指を止めた。
振り返ってもネクタイの下しか見えないので顔を上げてみると、犬崎さんがいた。
彼は私よりも半年後に入社した、二十三歳。年上の後輩だ。
半年しか変わらないのに彼は丁寧に私を先輩扱いしてくれる良い人だ。
犬崎さんは何故か薄汚れたサッカーボールを持っていた。
円堂が喜びそうだ。こちらに来てからサッカーをしていないので、もしかしたらやりたいのではないだろうか。
「ゴムだし……可燃、じゃないですか?」
「あ、やっぱりそうでしたか」
犬崎さんは優し気な目尻に皺を寄せて笑った。
名前は関係無いだろうが、本当に犬のような人だ。
「やっぱり?」
「オレの前住んでいた所ってサッカーボールは埋め立てだったんです。捨てる前に確認したくて」
「あ、サッカースタジアムありますもんね、納得」
きっとサッカーが有名な地域ではそういう方針なのだろう、私は二回ほど頷いた。
「何でうちにサッカーボールがあるんですか?」
「なんでも、二年前までにいた先輩の忘れ物で、誰もいらないから捨てろって言われたんですよ」
犬崎さんの持つサッカーボールは汚れているものの破れてはいない。少し萎んでいるが空気を入れれば十分使えるだろう。
「捨てるなら私がもらっていいですか?」
「天野さんが?」
きょとん、といった顔で犬崎さんは私を見る。
ボールがあれば円堂とサッカーができる。私は期待を持って言葉をつづけた。
「あー……弟がサッカー好きで、一緒にやるために練習したくて」
「そうなんですか、家族思いですね!」
弟なんていない。私は一人っ子だ。
しかし申し訳ない気持ちをぐっと飲み込む。
「オレの家に空気入れあるから入れますか?」
「えっ……いいんですか? 是非お願いしたいです!」
犬崎さんの申し出は願ったりかなったりだ。
私はサッカーは授業でしか触れたことがなく、空気入れなど持っている訳がなかった。
萎んだままではまともに蹴ることなどできないだろう。
「もちろんですよ。それに、オレ大学でサッカーやってたんで、いつでも練習に付き合いますよ!」
「え? あ、ありがとうございます。そのうちお願いしますね」
職場の人とプライベートでサッカーは気まずいなあ。
曖昧にしながら私は空気入れを彼にお願いすることにした。
その後は早く帰ろうと精を出したのだが定時近くになってまたやることが増えてしまった。
何度も時計を見ては、円堂は暇してないだろうかとそわそわする。
せっせと残業をこなし、終了した瞬間周囲の先輩に声をかけ退勤した。
早足で駅に向かい、電車を乗り継ぎ、また早足で歩き家に着いた頃には頑張り過ぎたがための疲労感に襲われた。
小窓からわずかに灯りが漏れており、円堂がいることを確信する。
息を吸って、吐く。
「ただいまー!」
一人暮らしをしてから久しくこの言葉を使った。
むず痒い感覚を抱きながら返事を待っているが、こない。
「寝ているのかな」
起こしてしまっては酷だ。
静に上がると、円堂らしき声が聞こえる。
なんだいるじゃないか。返事がないから不安になってしまった。
ほっと息をついた瞬間、軽快な音楽が耳に届いた。
『Stand up! Stand up! 立ち上がリーヨ!』
「えっ」
『イナズマチャレンジャー!』
――あまりにも聞き覚えがある音楽。
弾かれたように駆け出しテレビのある部屋へ飛び出すと、そこには座ったままテレビにかじりつく円堂と、何度も見たイナズマイレブンのオープニング映像を垂れ流す画面があった。
円堂の目は何故か輝いている。
「す……すげーーー! 俺がアニメになってるーーー!!」
「なにやってんのなにやってんのなにやってんの!!?」
『ドン底弱気をパンチング!』
「わあああああ!!」
床に膝をつきテレビの電源ボタンを直接連打する。
待て一回でいいんだ、つい何回も押してしまった。
――家に帰ったら円堂がイナズマイレブンを見ていた。
意味が分からない。
何故だ、何故こうなった。
「……その……」
振り返る勇気は無い。
自分がアニメになっているのを円堂はどう思ったのだろう。
「え、……円堂は円堂だよ。たまたまここでは作品になっていただけで……だから、えっと……」
自分が何を言いたいのか分からない。
正解はなんだろう、円堂を傷つけない言葉は?
考えても余計に頭がこんがらがり、しどろもどろになってしまう。
もっと気の利いたことを言えないのか、情けなくなり口を閉ざす。
「これは……パラレルワールドってやつだ!」
「…………ん?」
――パラレルワールド?
「俺がアニメになっている世界もある。パラレルワールドってのはそういうやつだよね、一葉さん!」
一人で納得したようにうんうんと頷く。
円堂は何を言っているんだ。私はひどく混乱していた。
言っていることは間違ってはいない。むしろ私と円堂の世界は正にパラレルワールドといってもいいのではないだろうか。
しかし疑問は、円堂はそういう発想に至るのだろうかということだった。
「いやーすごいなあ。本当にあるんだな、パラレルワールド!」
ふと私が用意したDVDがテレビの前にあることに気が付く。
そして納得した。
恐らく円堂はこのDVDを見た。
その作品は主人公がヒロインを事故で亡くした矢先、不思議な能力を手にしてパラレルワールドを渡っていく話だ。
様々な障害を乗り越えながらヒロインが生きている世界を探し求めるが、最終的には主人公が生きていく世界はヒロインが死んだ世界でしかありえなく、生きているヒロインに叱咤されやっと死を受け入れるという結末だ。
「……ねえ円堂くん、これ面白かった?」
手に取って聞いてみると、円堂は大きくうなずいた。
「すげー面白かった!」
劇中ではパラレルワールドという言葉が多用されている。
つまり、そういうことだろう。
一気に肩の力が抜け、その場で尻もちをついてしまった。
「も、も〜〜〜、すごい損した気分……!!」
「えっ? 一葉さんどうしたの? 大丈夫?!」
――もういい、まずはご飯だ。
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