生きている
尻もちをついて脱力した私を見て、円堂はだんだんと本格的に焦り始めたのでようやく立ち上がる気持ちになれた。
「お腹すいてる?」
「少しだけ」
「じゃあご飯にしようか」
円堂も食べられそうなので準備に取り掛かることにした。
疑問に思っていたことがある。今のところ毎日一緒に食べているが、一日活動している私と違い、睡眠中に来ている円堂はお腹がすくのだろうか。
先ほどの答えからすれば時間の経過ですくものの、その程度は私とは異なるようだ。
……初日に一人前のカレーをたいらげていたが、多かったかもしれない。
「一葉さんっ、俺何か手伝いたい」
「えっいいよ、円堂くんは座ってて」
キッチンへ向かおうとする私の後を追う円堂。
私はそれを押しとどめた。
「調理実習くらいでしか作ったことないから料理は難しいかもしれないけど、一葉さんのために何かしたいんだ!」
「ぐう」
こちらを見上げる円堂の目はまっすぐで、伝わってくる献身に私は胸を押さえた。
か、かわいい。
一メートルほどあった距離も人ひとり分まで縮んでおり、絶対引き下がらないぞという意思を隠さない円堂を押し返す気持ちは無くなってしまった。
「……じゃ、じゃあ、食べ終わった後に一緒に洗いものしようか」
「うん!!」
途端にぱあっと顔を輝かせて円堂は一歩離れる。
私、この顔に弱いかもしれない。
「ごちそうさまでした」
両の手を合わせて呟く。少し前に食べ終わっていた円堂は早速と言わんばかりにお皿を重ね始めた。
おおういきなりで驚いた。
もっと落ち着きがあってもいいかなと思うが、やっと何か手伝える!という気持ちが大きいのがそわそわした様子から覗えたので、素直に見守ることにする。
気持ちだけで十分にうれしいというか、ほほえましい。
「俺一人でもできるよ、一葉さん仕事してたんだから休んでて」
「そう来るか。でも円堂くん置く場所とか分からないじゃん」
「……まあ……そうかもしれない」
「かも、じゃないでしょ。私洗うから拭いてよ」
ちょっとひねくれた言い方をする円堂に驚きながら私は脇腹を小突いた。
大して痛くも無いだろうにいてっと声を上げる円堂の顔は笑っていて、やっぱり痛くないじゃんと私もにやけてしまった。
布巾を渡してから、スポンジを泡立てた。
「じゃあ今日で覚える」
「え、二回目があるの?」
「え、ないの?」
一気に落胆した声。
視線を寄越せば円堂は布巾を握りしめたまま悲壮な表情だった。
慌てて「分かった! 分かった!!」と言うところりと笑顔に変わったので拍子抜けだ。
円堂もしかして、なにか学習してる? 落ち込まれることに弱いって分かっちゃってる?
そう伝えた所で、何が?と分かっていませんという表情で返される気がして、私はさっさと皿洗いに取り掛かることにした。
最後にひとつひとつを水洗いしてから円堂に渡していく。
この子は家でお手伝いとかしているのだろうか、ここに私ではなく円堂の母である温子さんが立っているのを想像する。
サッカーについて温子さんは確執があったものの、円堂の勇姿にやがて応援してくれるようになるのを見てとても心が温かくなるのを覚えている。
家族っていいよなあ。私の父と母は高齢だったので一緒に運動とかはできなかったが、母には裁縫や料理、父には魚釣りをよく隣で見せてもらったものだ。
見る人から見れば若い祖父と祖母、少し心配し過ぎるきらいがある二人のことが私は大好きだ。
円堂もそのように家族へ愛情を持っているのだろう。
……ふと、そこで円堂がDVDを見てしまったことを思い出した。
「よし、これは終わり。一葉さん次のちょーだい」
円堂は、本当に気にしていないのだろうか。
一度終わったことを掘り起こしてしまい、少し気分が落ち込む。
布巾で熱心に皿を拭いていく円堂の横顔は、とても気にしているようには見えない。
円堂なら本当にそうなのかもしれないと思う反面、画面越しでない目の前の円堂の気持ちを私は本当に分かっているのだろうかと不安になる。
「どうしたの?」
いつの間にか円堂の視線は私に向いていた。流しにはお皿が残っていて、一向に渡してこないことに疑問を感じてのことだろう。
「あ、ごめん」
慌ててお皿を渡す。
「……円堂くん」
「ん?」
「その……DVDのこと……」
「一葉さん、もしかして俺が気にしてるって思ってた?」
言い淀んでいたら円堂が核心を突いてきて動きが止まる。
恐らく私の中で、自分がアニメになっていたら気にするに違いないというイメージが強いから、円堂の態度を見ても信じ切ることができなかった。
だがしかし、円堂に言わせてしまったのは――何か、違う。
円堂のことを気遣ったのではなく、迷う素振りを見せることで、彼に勘付いてもらえるように誘導したのかもしれない。
自分が最低で汚い人間だという可能性を見つけてしまい慌てて頭を振る。
そうじゃないはずだ。言い辛くてでも気になっていて、円堂から聞きたいという気持ちは否定できない。
でも。
この小さい子が、悲しむような、悩むような要素があるという可能性を、放っておきたくなかった。
「……聞いてる?」
「へぇっ?!」
どうやら円堂は何かを話していたようだった。
嘘、私聞いてなかった?
「あの、多分なんだけど、本当に平気」
「平気?」
平気という言葉は、『その事実自体は誰かにとって悪いかもしれない』という含みがあると取れる。
俺『は』平気、というような。
やはりあのDVDは懸念事項なのだろうか。
「なんかやっぱり違うかな……うーん……ちょっと言葉が悪くなるんだけど、俺にとって関係無いというか、どうでもいいのかな。だってサッカーが楽しいから。こんなに胸が熱くなってワクワクするスポーツなんだぜ? この気持ちが本物だって俺が一番分かってる。サッカーが楽しいのは変わらない、だから俺にとって関係無いんだ」
サッカーが楽しい。
そう言った円堂は笑顔だ。でもその笑顔はアニメでもゲームでも漫画でも見たことが無い、少し違う笑顔だった。
私が見たことの無い円堂。
決して誰かが描いたものではない円堂。
今この瞬間、円堂守という生身の人間が存在していることを、私はようやく知った。
肩の力がふっと抜ける。
円堂のその言葉を心の底から信じよう、無意識に緩む口元に気付かないまま、そう決心した。
「そ……そっか……うん……そうだよね」
「あ、やっと眉間のひび割れ無くなった!」
「ひび割れ!? そんなに険しかった!?」
「うん。直ったから良かった」
「ぐぬぬ……確かに目の周りが疲れてる……」
「あっ!! でも!」
円堂が最後のお皿を置いてから、大声を上げた。至近距離の大声に肩が跳ねる。
「サッカーアニメだろ?」
「う、うん」
「サッカーやるんだろ?」
「そうだね」
「色んな奴らとサッカーすんのかなーって思うと羨ましい! 俺もやりたい!」
あ、うん。円堂はこういうやつだった。
そんな円堂だからこそ、私の暗雲のような心をあっさりと晴らしてくれるんだろう。
私は一日活動したので風呂に入る。
円堂はどうだろうな、でも滞在時間からすると遊びに来ているというような感覚に近いので、入らなくても問題は無い気がする。
ならば円堂が入りたさそうにしていたらいいかもしれない。
私が風呂から上がると円堂が待ちかねたように「おかえりなさい」と言ってくれた。
だれかに送られたり迎えられたりするのは嬉しい。
私は円堂に座椅子を譲っていたのだが、座椅子は空っぽで代わりに座布団に先着一名様が。
色々円堂をもてなしているつもりだったが、彼からすれば居心地が悪かったのかもしれない。
少しは家主らしく、ふんぞり返る方が良いのかな?
大人しく座椅子に座った。有言実行としてちょっとふんぞり返る、もとい胸を反らしてみると、「ストレッチか?」と言われた。
違う。
「あ、そうそう。今日会社でいらないサッカーボールをもらえたんだ! 空気入れるのを他の人にお願いしてるから、今度サッカーしてみたら?」
「マジ!? や、やったー! 一葉さんありがとう!!」
円堂は喜びのあまり立ち上がった。
見上げるとちょっとだけ首が痛い。
「多分円堂くんが来るのは夕方で暗いだろうけど……近くの公園は電灯のおかげでかなり明るいから、いけると思うんだ」
「うわー、すっげー楽しみ!」
両腕を上下に振って全身から期待感を溢れさせている。
犬崎さん、ぜひ空気入れをお願いいたします……!
――しばらく円堂とテレビを見ていると、不意にあくびが漏れた。
「一葉さん眠いの?」
「そんなことは、……ふああ」
また出てしまった。
実はと言うとここ数日眠かった。
普段やることもそれほど無いので早々に就寝してしまう私は、円堂が現れたことで彼が帰るまで久しぶりに夜更かしをしていた。
明確に時間をはかってはいないが、円堂が帰るのは夜の十二時を過ぎてからだったように思う。
眠いことは分かっていたけれど、起きていたかったのだ。
現在時刻は十一時。遅すぎることは無いものの、今の状態では眠るには十分な時間だった。
「……そっか、一葉さん、俺が帰るまで起きてたよね。俺こっちに来ると疲れたーとか眠いなーとかが無くなっちゃうんだ。こう、元気な時に戻るって感じ」
「え、そうなんだ……それは、初耳……かも」
「ああ、ごめん一葉さん。もう寝てよ」
円堂がベッドへ促すように肩を押してくるのでそのまま床に倒れてしまう。
手のひらはとても温かくて、ホッカイロのようで、ほっとする。
瞼が重くなってきた。
「なあ、一葉さんベッド行かなきゃ」
「うん……そうだね……」
「聞いてないだろ?」
もしかして呆れてる?
困ったような声色の円堂に、顔が見たいと好奇心が首をもたげたが視界はどんどん暗くなっていった。
「明日は……一緒にサッカーやろう……」
最後に分かったのは、全然怖くない溜息と、ふんわりと温かい何かが身体にかかったことだった。
――うーん、昨日は不覚だった!
朝起きれば体にかかった毛布が温かく、二度寝を決めてしまいそうだった。それをかけてくれた円堂を思うと、キーボードを打つ指に力がこもる。タァーン! という具合にだ。
「なんか優雅に決めてますね、天野さん」
「あ、犬崎さん! も、もしかして」
突然かけられた声に、期待を持って振り返る。
そこにいた犬崎さん、もとい小脇のサッカーボール!
ぱあっと顔が輝いたのが自分でもわかった。
「そのもしかしてですよ。どうぞ!」
「ありがとうございます! 本当に助かりました!」
サッカーボールを差し出されつい抱きしめた。
表面は細かい傷がたくさんついているものの、土埃は見当たらない。きっと綺麗にしてくれたのだ。
「これ、小さいですけどお礼です」
用意していた紙袋の差し出すと、犬崎さんは嬉々として受け取ってくれた。
「犬崎さんお菓子好きだから、と思って」
「詰め合わせ! わあ、嬉しいなあ」
やがて犬崎さんはニコニコとして去っていった。
私も改めて仕事にとりかかる。
今日は家に帰るのが楽しみだ。
扉の前で深呼吸。鍵はすでに開けた。
ドアノブを握り扉を開いて声をあげた。
「円堂くん! サッカーやろうぜ!」
ちょっと調子に乗ったかもしれない。でも円堂といえばこのセリフに限る。
本人を相手に言えるなんて贅沢な女だ!
――しかし、待っていたのは暗闇に包まれた廊下だった。
「…………あれ?」
待てど暮らせど返事は無い。そもそも電気が点いておらず、人の気配は感じられない。
円堂くんが来る前の私の家のようだった。
電気を点けて、奥へ進むがやはり暗い。部屋の電気をすべて点けたが目当ての人物はいなかった。
円堂がいない?
あたりを見回すと、食卓の上に紙切れを見つけた。
どうやら書置きのようだった。
円堂が書いたのだろうか。
ならば一応ここには現れたことになるが、帰ってしまった?
……つまり、円堂がやってくる時間は、固定ではなく、ランダムということか?
円堂は一体私に何を残したのだろうか。今までとは異なる展開に緊張しながら紙を拾い上げ、読んだ。
「…………字が汚すぎて読めない!!!」
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