芸術家はいずこ







なんとか円堂の書置きを解読しようと粘ること三十分。大部分を読み解き、どうしても分からない部分は前後の文から推測することでおおよそ把握することができた。

『一葉さんへ。今日は昼間に来ちまったみたいだ! 多分一葉さんが帰るころにはいないと思う。サッカーやりたかったけど今日はがまんする! 明日こそサッカーやろうぜ!』

やたらと『!』が多い文面が円堂の勢いをよく表していて微笑ましいが、文章を書くときは落ち着いた方がいいのではないだろうか。
しかも『我慢』がひらがなだ、国語の成績はお察しだろう。

『あと、寝るときはベッドに行くといいと思う!』
「言うんじゃない」

思い出して顔を伏せた。
寝不足でベッドにあがることすらままならず、かつ中学生の高体温に負けて床で寝落ちしてしまった。布団までかけてもらい、ずいぶんと世話を焼かれてたことに気恥ずかしさを覚える。

「なにこの絵」

実は紙面の下部にある絵が気になっていた。
恐らく棒人間が二人、描く時の勢いが良すぎて腕やら足やらが半身を飛び出しているし、二人なのに大きさがあきらかにでたらめだ。
二人の間にはサッカーボール(これが一番上手い)があり、サッカーをやていることが辛うじてわかる。
また、片方の棒人間は下半身を一つの四角で囲むようにしてあり、箱の中に入っているのかと考えて――それがスカートだと気付いた。

「まさか私!? ぶ、ふふっ、あははははっ!!」

勢いよく吹き出しよだれが出そうだった。
下半身を囲った四角はスカートであり、そう見れば性別は女。おそらく円堂と私が揃ってサッカーをやっているつもりの絵だったのだろう。

なんて下手くそな絵なんだ。
私は数分ほど笑いを止められないまま、その手紙を小物入れに仕舞うことにした。




――次の日。
本来ならば一日休みのはずだったが急遽午前のみ出勤し、急ぎの書類を作成することになった。帰れるならば帰りたい、そんな思いとは裏腹に退社できたのはお昼を大分過ぎてからだった。
昼食の時間を取るのがもったいないから作業を続けたものの、自宅に着いたのは午後三時。襲い来る空腹と共に、一日の大部分が終わってしまったことに落胆してしまう。
溜息をつきながら扉を開けると奥から足音が響いてきた。

「あっ一葉さん! 俺の手紙読んでくれた?」
「ひいっ!」

帰宅の音に気付き駆け寄ってきた円堂から飛び出した言葉は、私の膝を容赦なく折った。
足腰は立たないというのに腹筋には無駄に力が入り身体が震える。
思い浮かべるのは棒人間。棒が四方に飛び出し人体の構造を無視した挙句、箱を履かされた私。
ある意味芸術的なセンスだったと述べておこう。



――円堂は今、私の向かい側に腰を下ろしている。
しかしあぐらをかいて顔を壁に向けながらだ。

「…………」
「ごめ、ごめん円堂くん」
「…………」
「良いセンスだと思うよ。私のことも描いてくれたよね、ほら、あの箱――いやスカート! 硬くて長く履けそう、経済的〜!」
「……箱履いてサッカーなんてできないよな」
「ぐふっふう! ほんとごめん、ふふ、なんかかわいくて」

流石に笑っていることがバレてしまって、先ほどから円堂はずっとこの調子だ。
まずい、ナイスなフォローがさっぱり思いつかない。発言すればするほど円堂の自尊心をごりごり削り取ってしまっているらしく、今やすわった目をしている。
私が言葉の合間に笑いを滲ませてしまっているのが余計に悪い。なんてこった。
そうだ、これ以上フォローができないならば、言葉ではないもので伝えよう!

紙とペンを取り出し、描いてゆく。
素早くかつ丁寧に、愛情を込めて。

「円堂くん見て!」
「……ん?」
「私のオリジナルキャラクター、ウサ次郎!!」

――ウサ次郎は私が高校生の時に生み出した、ウサギの男の子だ。
見ないでウサギを描こう、ということで自信満々に描いたところ友人に大笑いされ、未だに笑われることに納得のいかない作品だ。
納得はいかないが、かつての友人のように円堂も笑ってくれたら。そのため今回はウサ次郎に出動してもらった。

私が突き出した紙に円堂は不機嫌なまま視線を寄越し、

「――んぐふっ」

頬が大きく膨らんだ。

よし笑った!
でもやはり納得いかない、何故ウサ次郎はこんなにも笑われなければいけないんだ。

「な、な……なんだそれ! ぶはっウサギじゃない、猫だ! 耳が短い!」
「個性だよ、ウサ次郎にはウサ次郎だけの耳がある!」
「な、なあ、なんで目ん玉が人間? 目つきこわ、ぐふっ」
「ウサギって視野は360度だけど視力は悪いらしくて、だから色々見られるように人間にしたの」
「細かいな!! じゃあ唇は?薄くておっさんみたいな顔だぜ?」
「動物ってこんなもんじゃない?」
「絶対違うーー! あっはっはっはっ!」

やがて円堂は涙で目を潤ませ机を叩き始めた。
唯一無二のウサ次郎が不当な扱いを受けていると感じ、私の胸に黒い感情がどろどろと流れ出てきた。

「なるほどこんな気持ちか……これは腹立たしい……」
「ひっ、ひー……! 次郎ってことはさ、……一郎は?」
「カチカチ山で死んだ」
「なんで設定盛り込んでんだよ!!」

やめろ机に頭をぶつけるんじゃない!!
ウサ次郎の兄であるウサ一郎は、カチカチ山で火あぶりにされたというおとぎ話と絡めた重い過去を背負っているのだ。
そんな過去を一切におわせない凛々しい顔つきのウサ次郎。
散々友人に笑われて封印していたが、こうして円堂の機嫌が直ったことを鑑みると、公開して良かったのだろう。

「ふっ、ふふふっ、ひひ」
「円堂くん機嫌直った?」
「うん、直った、直ったからそれ仕舞って」

息を切らせながら震える円堂を見る限り不機嫌さはどこかへいってしまったようだ。
私は絵を円堂の書置きと同じ場所に仕舞ってから、改めて向き直った。

「よいしょっと。昨日はね、夕方に来るもんだとばかり思ってたから本当に驚いたよ」
「俺も! あ、そうだ。一人でつまんなかったから何回も時計見てて気付いたんだけどさ、俺が寝ている時間と、こっちに来てる時間がほとんど同じぐらいだった!」
「え?」
「いつも七時間ぐらい寝てるんだけどさ、昨日はこっちに来たのが朝の九時で、帰ったのが大体夕方四時ぐらいだったんだ」

円堂が指折りしながら教えてくれた事実に目を丸くする。
九時に現れ四時に帰る、きっかり七時間だ。
初めて円堂が現れた日はどうだったろうか、数日前の出来事を思い出し、私は何度か頷いた。
多少の誤差はあれども、円堂が入眠状態になるまでの時間も考慮すれば妥当な時間だったのだ。

「へえ。こっちにいる時間と寝ている時間は同じなんだね。……でも、どうして来るタイミングは違うんだろう」
「そうだよなあ」
「時間の流れが違うとか?」
「うーん」
「でも寝る時間帯が同じだし、一日に一回のペースになる訳が無いよね。円堂くんの世界が二倍の速さだとしたら、こちらには一日二回来てないとおかしいし」
「ん?」
「空間の移動だけじゃなくて時間も移動しているって考えればいいのかな……」
「んんん?」
「それとも時間の流れは同じで、かつ二十四時間という枠の中に限って、ランダムの時間にこっちに飛ば」
「だー! わっかんねーよ一葉さん! なあサッカーボールあるんだろ? やろうよ」

円堂が両手で頭を掻きながら声を上げたことで、私は独り言のように話を進めていたことにようやく気付いた。
円堂がこちらに移動してくる仕組みがさっぱり分からないので片っ端から想像していったら、のめり込んでしまったようだ。
そうだ、サッカーボールを用意していたことを忘れていた。
玄関に置いたので取りに行こうと思ったが、タイミングよく私の腹から空腹の知らせが鳴り響いた。

「円堂くんごめん、お昼食べてないからちょっと待っててもらっていい?」
「そうなの!? 食べないと力が出ないぞ!」

早く帰ってサッカーをやらせてあげたかったんだよ、とは言わずに苦笑いだけ返しておいた。

「円堂くんも食べる?」
「俺はいいや」
「じゃあカップ麺にしようかな。そんなにかからないと思うから待っててね」
「わかった! あ、急がなくていいよ!」
「そう? ありがとう」


――湯を沸かして、乾いた麺が浸るように注ぎ込み、三分間。
すでに出来上がったものがこちらです、とアナウンスを脳内で流しながら半分まで開けた蓋をすべて剥がした。

ふわりと立ち昇る香りは味噌だ。
端で一口分を掬い、少しばかり持ち上げてから口に入れる。縮れた麺に味噌スープが絡まり、少しばかり濃いめの味付けが空腹の胃に染み渡っていく。
うん、美味しい。
味付けを堪能しているが円堂が待っていることは忘れていない。素早く二口目、三口目と食べ進んでいき、ふと円堂を見て手を止めた。

「……円堂くん、口元」
「え? おわ、やばいやばい」

円堂は口を半開きにさせながら私の手元を見つめており、不意に口の端がきらりと光ったのだ。
唾液だろうなと予想して声をかければ円堂は口元を袖で拭った。
少しだけ頬を赤くしている円堂は、おそらくお腹は空いていなかったものの、いざ目の前にすると食欲がわいてきてしまったのだろう。
分かる、そういう経験は私にもあるぞ。
心の中でうんうんと頷きながら、箸をカップの上に置いたまま円堂の方へ押し出した。

「はい、どうぞ」
「いや、いいって。腹減ってないから」
「でも食べてみたくない?」
「この後運動するし!」
「一口だけだって」
「ううう、でも」
「でももヘチマもない」

勝者、私。
『ヘチマってなんだよ……』なんてぼやきながら円堂は味噌ラーメンをすすったのである。

「俺一葉さんに甘やかされてる気がする。…………お、うまい!」

甘やかされている気がするんじゃなくて、甘やかしてるんだよ。






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