落とし物と俺





ない。
ない、ない、ない!

週明けの月曜日、昼休みに鞄の整理をしていて気が付いた。
生徒手帳が、ない。
努めて平静な様子で鞄の中をもう一度見る。やはり見当たらない。
豪炎寺の偵察に行った時は鞄にしまったから間違いなくあったものの、そこから先を覚えていない。確実に落としただろうが道か、電車か、距離を考えてもちょっと探したぐらいでは見つからないだろう。

めったに使わないとはいえ無くしたまま放置するわけにはいかない。
再発行の手続きを思うと気分が重くなった。

「天野! まだか?」

廊下で鬼道が呼んでいる。
後ろには普段はいない源田と寺門がいて、俺は焦りを隠しながら駆け寄った。

「わるいわるい。あれ、源田、佐久間はどうした?」

「佐久間なら腹下してこもってるぞ」

「まじか、なんか悪い物でも食べたのかな」




・・・・・



帝国のビュッフェ形式の昼食は本当に美味しい。しかし今日ばかりは味が薄く感じてしまう。
生徒手帳の再発行ぐらいでここまで落ち込むとは……自分のミスを報告するのは酷く緊張する。
誰にもばれないうちに済ませてしまいたい。昼食が終わったら残りの時間で言いに行くかな。

「天野、お前何かあったのか?」

サラダを噛み続けていると不意に正面に座った鬼道が口にした。

「え? 何もないけど」

「……そうか? 悪いな、食事の邪魔をした」

「気にするようなことじゃないだろー」

あ……あぶないぞこいつ。
そりゃあ鬼道の観察眼はすごいと思っているがそれはサッカーにおける話だ。
日常生活の感情の機微に突っ込まれるとは思わなかった。

誤魔化すの得意ってほどじゃないからなあ。
生徒手帳無くしましたなんてくだらないこと鬼道に知られたくない。
はやく職員室行かねば。



・・・・・


『一年一組、天野一葉さん。事務室まで来てください』

「えっ」

昼食が終わった後早速職員室に向かっていたら、突然放送で呼び出しを受けた。
しかも事務室?
驚きの声を上げると同時に周囲の視線が集中し、足元からどっと羞恥心が込み上げてきた。

「俺なんかしたっけか!?」

校則を無視して走り出す。
その頃には見えなくても自覚してしまうほど顔が熱くなっており、息を弾ませながら事務室の窓を叩く。

「あ、あのっ、よ、呼ばれて、きたんですけどっ!」

口元に少しだけ皺にある女性が顔を出し、俺を見るなりにっこりと笑った。
いつも事務室にいるこの人とはあまり会話をしたことが無いが、来客の案内をしているのは何度か見た覚えがある。
事務の人って何やってるんだろう。

「あ、いらっしゃい! あのねえ、天野くん生徒手帳落としたでしょう。拾ってくれた人がいたのよ」

「えっ!?」

もしかしてその人が届けてくれたのか!?
ずいと身を乗り出すと目の間に生徒手帳、ではなく一枚のメモ用紙を突きつけられた。
その流れのまま何も考えずに受け取る。

「……え?」

「はい。その子の希望なんだけど、直接連絡を取り合ってね。どうするか決まったらきちんと担任の先生に伝えるのよ」

……その『子』?
やっと紙を確認してみて、変な声が出そうになった。
『木戸川清修中学 一年 ゴウエンジ シュウヤさん TEL xxx-xxxx‐xxxx』



・・・・・



そっか〜そっちで落としたか〜。
学校伏せてたつもりなのにこれでモロバレだな〜。
部活終わったら電話しないといけないな俺〜。

「おい、天野。呼び出しがあったみたいだがどうしたんだ」

更衣室で靴紐を調整していると鬼道が声をかけてきた。
顔は靴に向けたまま、いつもの調子で応えた。

「ああー、ちょっと授業のことでな」

「授業?」

「うん。悪い話とかじゃないから気にしないで。部活に影響無いから」

嘘は得意じゃないから早く終わらせたい。
その気持ちが通じたのか鬼道はそのまま自分の準備に取り掛かった。

「わかった」

鬼道が頷いたのを見てグラウンドに走る。
あー、今日ばっかりは早く終わってくれないものかな。





「……授業の用事で事務室に行くわけあるか、馬鹿が」


・・・・・


さて、豪炎寺から見たら俺は怪しい人間という印象に違いない。自分の部屋で頷いた。
しかしその上で生徒手帳を拾って、警察では無く学校に連絡をしてくれたのだから、彼は責任感のある優しい少年だと推察する。
そんな彼にこれ以上嫌な気持ちにはさせたくないがために、会話のポイントを紙に書きだした。

@拾ってくれてありがとうとお礼を言う。
A申し訳ないけれど着払いで郵送してもらえないかとお願いする。
BOKが出たら、住所を伝えて、もう一度お礼を言う。

「シンプルだ、シンプルに行こう」

ポイントに沿って話を進めればしどろもどろになる恐れはない。
お礼をしつつ、顔を合わせることなく、最低限に済ませるにはこれが一番だろう。
もっとフレンドリーな仲であればお菓子でも持ってお礼をしたいがもちろんそんな朗らかな間柄ではない、却下。

いざ、発信。
ボタンを押せば耳元でコール音が響く。
一回、二回、三回、四回、五回……出ないな!?
あと三回ほど出なかったら出直すか……と思ったところで突然コール音は途切れた。

『……はい』

「あ……豪炎寺くんですか。天野一葉、です」

そう言えば豪炎寺にきちんと名乗るのは今が初めてだった。
じゃああの一連の流れを名前の分からない俺が繰り広げていたのか?
ますます怪しくなってしまった。

『……あの時の……』

「そ、そう! その、拾ってくれて本当にありがとう! どこで落としたか分からなくて焦ってたんだ」

『……』

えっ……豪炎寺全然喋らないんだけど……。
ここまで警戒されるほど怪しかったのかと少しだけ泣きそうになった。
いや、こういう時こそポイントを思い出すんだ、お礼を言ったから今度は郵送のお願いをするぞ。

「で、生徒手帳をね、申し訳ないけど、」

『俺が預かった』

「うん、迷惑かけてごめんね。それを、」

『××駅まで行くから、取りに来い』

「えっ?」

まるで誘拐犯のような口上で続ける豪炎寺に戸惑いの悲鳴が漏れる。
待ってくれ話のスピード感についていけない。これが元エースストライカーの素早さなのか? いやそういうスピードじゃないから。
××駅って帝国学園の最寄りだ、それなりに距離があるのに拾い主に来させる訳にはいかない。

「ゆ……郵送はお願いできないかな? もちろん着払いで」

『断る』

「えっ……(郵送で済まされないほど怒ってる!) わかった、じゃあ俺が木戸川清修の最寄り駅まで行くから!」

『わかった。じゃあ今週の日曜日、十時でいいか』

「うん。迷惑かけるけどよろしくお願いします」

『ああ』

ぷつりと電話が切れた瞬間、俺はベッドにうつ伏せに飛び込んだ。
読めない。
豪炎寺修也の考えが全く読めない。
思いがけず埋まった日曜日の予定を想像しながら俺は叫んだのである。

「どうしてこうなった!!!」


・・・・・


もう何も聞こえなくなった携帯電話を手に俺はひとつ息をついた。
つい、あの男を呼び出してしまった。

男の名前は天野一葉。これはあいつが去る際に落としていった生徒手帳に書かれていた名前だ。
丁寧に鉛筆で振り仮名を振っており、読むことには困らなかった。生徒手帳の名前に振り仮名を書く奴は初めて見た。

帝国学園は木戸川清修中学からそれなりに離れており、それは地区予選で一緒にならない程度の距離だ。
交通費を考えれば警察もしくは郵送で送るに然るべきだろうが、そうしなかったのは俺の勝手な考えからだ。

『やりたくないならやらなくていいと思う。じゃなきゃ潰れちゃうぞ』

正直、前後の発言を合わせても、どういう意味なのか分からなかった。
おそらくサッカーに大してだとは分かるが、その意図を正確に読み取れなかったのだ。

いつも通り無視をすればよかったとも思う。
けれど『サッカーをやめる』という道を選んで以来かけられた言葉たちとは、少し違う内容だったため、できなかった。
気恥ずかしいが、何か期待を寄せてしまっているのだ。

どうしてそう言ったのか俺は聞きたい。

――頭に浮かぶのは目を覚まさない妹。
俺がサッカーをやったばかりに、応援に来てくれた夕香が事故に遭った。
息があるのに目を覚まさない、それでは俺は夕香に怒られることも、許されることもできない。
ならばせめて夕香が目覚めるまでは俺自身が、俺を罰するしかない。

いや。
そうさせてほしいんだ。





2018.1.6


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