メイドイン源田と俺





私はいたって普通の人間で、平凡な人生を歩んできたと思っている。
生まれついた時からの能力の差というものは存在していて、平凡じゃないやつらは私がこれでもかと努力してもその上のはるか遠くに立っていた。

天才を目の当たりにした私はといえば、おめでとうと賛辞し、心に生まれるどす黒い感情をできるだけ無視するために距離を置いた。良い人でありたかったから。
住む世界が違うんだと、私の世界の外へ、天才どもを置いたのだ。

――二度目の生を受けて、この身体はなんだと驚愕した。
前世の私が努力するにあたってぶつかっていた壁を、ただの地面と同じように歩いていくのだ。
なにかをこなしてみせる度にかけられる賛辞。
幼い子どもができることなんて大人だってできる、それでも心の奥底から湧いてくる喜びの衝動は押さえきれなかった。

私はこれがほしかった。
認められたい、褒められたい、称えられたい。

「大人になったからって、この気持ちが消えるわけじゃないの。ただ、押し殺すことを覚えただけなんだよ」

今だけは求めたっていいよね、私。



「…………はっ……お……あ、夢? なんだびっくりした……」

薄暗闇の夢から突然覚めたものの、しばらく自分が誰なのかを理解できずつい呆けてしまった。
俺の名前は天野一葉で、今日は休日だけど部活がある日。よしちゃんと起きてるな。
リビングに降りて、優しい母さんが作っておいてくれたであろう朝食を食べてから、「いってきます」と玄関の鍵を閉める。
――フットボールフロンティアが終わり、三年生が引退したこの時期は、残暑が中々厳しい。照り付ける日差しの中俺は学園まで走った。

第二練習場を過ぎ、更に進んで第一練習場、そして更衣室。扉を開ければ既に何人かの部員がそこで着替えている。鬼道は……もうグラウンドに出ているようだった。
軍人を思わせる深緑のユニフォームを着用する。背番号はもちろんまだ無い。

「おはよう、天野」

「あ、源田。はよっす。少し遅かったな」

襟からすぽんと顔を出したところで、今しがた着いたであろう源田と目が合った。

「ああ、ちょっと支度に手間取ってしまってな」

困ったように笑う源田がそのまま俺を通り過ぎていくと、何故か鼻がすんと鳴った。
何か甘く、酸っぱい香りだ。

「……柔軟剤変えた? うまそーな匂いする」

「んっ?! あ、いや、そうかもしれないな。俺の母さん色々試すの好きだから」

しかし柔軟剤にしては香りが軽すぎる。すんすんとしつこく嗅いでいたら「やめろ!」と顔面に張り手をされてしまった。



・・・・


「水……水をくれ……」

「天野、こっちだ」

「あっ鬼道、わかった」

練習を終え息も絶え絶えになりながら水道場にいる鬼道へと歩く。
体力は有り余っているが、喉の渇きだけはどうにもならない。
水道水を貪っていると鬼道は「手もしっかり洗えよ」と言い出した。
いつもなら言わないのにどうしたんだ。

「源田がおもしろいものを持ってきたんだよ」



・・・・


「レモンの蜂蜜漬け! 源田マジか! マジか!」

「マジだ、天野」

何やら部員が群がっていると思えば源田が中心にいて、そして源田はいくつかの食用で使う箱を持っていた。
食い散らかされたのか残りは少ないものの、そこには黄金色に艶めくレモンの輪切りがある。
俺は前を歩いていた鬼道をさっと追い抜かすとレモンに飛びついた。

「なっ天野!」

「お先!」

レモンは残り数枚。意気揚々と手を伸ばすが、それよりも早く横から褐色の手が伸び、驚く間もなくレモンをすべて奪っていった。
佐久間が俺を意地悪く笑いながら見ていた。

「俺が先だ、ばーか」

「全部って正気かよ! 」

「悔しいか? 悔しいだろ! いただき!」

佐久間はこうして俺に挑発してくることが多々ある。
おそらく俺が鬼道の個人指導を受けているのが気に食わないのだろう。佐久間ってば鬼道大好きだな。
俺は佐久間の女の子みたいに綺麗な顔とか、ちょっと意地っ張りなところとか嫌いじゃないけどなあ。

数枚のレモンをこれ見よがしに大口を開けて放り込もうとする佐久間。
俺はその手首を掴み無理矢理引き寄せると、近づいてきたレモンに勢いのままかぶりついた。

「んなっ!?」

「んぐ、んぐ、うまい! 鬼道これスゲーうまい! 源田って器用だなあ!」

「……俺はこれぐらい目を瞑ってでも作れるぞ」

「フルコースレベルの鬼道が作るレモンの蜂蜜漬け……気になる……!」

レモンを本格的なところから仕入れることから始めるのでは?
そんな想像をしていると怒り心頭といった赤い顔の佐久間に肩をどつかれた。

「なななななにしやがる!」

「残り数枚全部持ってくような輩にあげるレモンはありませーん。だから俺が食った!」

「他にやり方があるだろ! 男相手に気持ち悪いんだよ!」

「佐久間可愛いから大丈夫だってオーケーオーケー」

佐久間が地団駄踏み出した。




「まだあるんだが……聞いてないな」

「では源田、俺がもらおうか」



・・・・



「紹介します。新入部員の天野一葉です」

「一年の天野一葉です。ポジションは……えー」

「オールラウンダーなので、基本どこでもいいそうです。俺の推薦で、総帥から許可をいただきました」

「そうです! よろしくお願いいたします」


五月。
鬼道に連れられ第一練習場に姿を現したその男は天野という。
新入生代表を務めた天野は一度に一番多くの人間に顔を覚えさせた男だろう。
才色兼備という言葉がよく似合う。

「鬼道の推薦って……なんだよあいつ」

隣にいた佐久間が小さくつぶやく。
佐久間は俺と同じく入部当初から第一練習場に振り分けられた仲間だ。いつ第二練習場に落とされるか分からないからと、フォワードとゴールキーパーである俺達は互いに切磋琢磨していた。
だからこそ想像できる。鬼道を慕っている佐久間にとって、その鬼道から推薦された天野は良い存在ではないだろう。


紹介の後、一部の先輩から疑問の声が上がった。
実力のほどは、と。
天野は表情を変えず、何を考えているのか分からない。代わりと言わんばかりに鬼道が口を歪ませた。

「では実際に見てもらいます」

鬼道が三年生から二年生、俺達一年生を順々に見る。そして右腕を一人に向けた。

「相手は……適当に……そうですね。先輩、お願いします」

適当なんて嘘だ。
鬼道の迷いのない動きに俺はそう確信していた。

「フォワードの先輩がゴールすれば勝ち、天野は向かってくる先輩からボールを奪えば勝ち。いいですか?」

「ああ、分かった」

今から天野が相手にするのは二年のフォワードだ。
補欠選手ではあるがその実力は確か。やや直情的なので一年の鬼道にボールを取られてしまうが。いやこれは鬼道の才能か。

二人が位置につく。

「源田、ゴール前に行け」

「キャプテン、でも今はあの二人が」

「ゴールキーパーがいなけりゃ盛り上がんないだろ。あいつのシュート取る練習だと思って行けよ」

キャプテンはこの勝負を少し面白がっているらしかった。
勝利条件が違う二人なのだからゴールキーパーは別に不要だろうに。フォワードとディフェンダーがいて、一人だけのキーパーなんて滑稽だ。

グラウンドでは鬼道が天野に何か話しかけていた。
天野は何故か疑い深い目で鬼道を見ている。

「いいか、俺の動きは先輩を抜ける」

「はあ」

「つまりお前もできるということだ」

「本当かよ……。お前がすごいのは認めるけど、あの人の方が強そうだぞ。真似っこしたところで負けるって」

真似っこ?
何のことだろうか。

「……いい加減その懐疑心に塗れた態度を直せ」

「勝てたら考える」

「今でも後でも結果は同じだ」

……あまり仲が良くないのか、この二人は。
ゴールへと向かう俺に気付いた鬼道に「すまんキャプテンに言われて」と言えば何故か笑われた。

「多分仕事は無いと思うが、まあ頼んだ」

「鬼道プレッシャーかかるから! 俺に!」

「鬼道、始めていいかー!?」

しびれを切らしたキャプテンの掛け声で鬼道はその場を離れた。
そして合図とともに先輩が駆け出す。いつものドリブルと変わらない。

天野が動いた。

「……鬼道?」

俺はそこに鬼道がいるように錯覚した。
模擬戦で、鬼道がミッドフィルダーで俺がゴールキーパー。鬼道やみんなの背中を見ながら俺は腰を低く構えている。
相手を翻弄し、無駄なくボールを奪い取るその動き――鬼道と見紛うその姿は、赤いマントなど無い、天野だった。

鬼道と全く同じ動きで天野は先輩からボールを奪う。
そして足の裏で地面に縫い留めてから、信じられないという目でボールを見つめていた。

あざやかなその動きを見て認めないものは誰一人としていなかった。
戸惑いながらも皆一様に声をかけ、歓迎した。


「鬼道っ」

やがて天野は鬼道のもとへと走った。
そして二人で顔を見合わせ、どちらともなく片手を上げるとぱちんと叩きあった。


二年生のボールを奪うことを成した天野は、それ以降の練習で、鬼道の指導のもとに選手の動きをそっくりそのままやってみせた。
真似をすると言うと簡単に聞こえるが、所詮他人の動き。
角度という細かいところまで修正することなど不可能だ。
だが天野は外部からの修正を受け、一度正しいと確信すれば、何度でもできた。
その才能は薄ら寒い、妙な恐ろしさを感じさせる。
妙なやつ、それがみんなの感想だった。


時は戻り。
俺はレモンの蜂蜜漬けの新しい箱を開封しながら思いを馳せる。
今にして思えば、二人はあの勝負から急激に仲良くなったように思える。
部内では鬼道の後ろをついていく天野という図式が成り立っていたが、始めはお世辞にもそう言えなかった。
だがそのことを知っているのは、俺ぐらいだろう。

「まだあんの? 源田最高!!」

「待て天野、今度は俺からだ」

「へいへーい」

俺の作ったレモンの蜂蜜漬け。
その匂いを嗅ぎつけ至近距離で嗅ぐ恥ずかしい奴で、レモンを満面の笑みで頬張り、佐久間をいじりながら、鬼道のもとへ戻っていく男。
よく分からないやつだけど、天野はきっと悪い奴じゃない。




2017.11.4

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